記録ID: 7248698
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ハイキング
鳥海山
大物忌神社山頂御本社(鳥海山)めぐみの秋風
2024年09月16日(月) [日帰り]



体力度
4
1泊以上が適当
- GPS
- 12:49
- 距離
- 16.0km
- 登り
- 1,273m
- 下り
- 1,273m
コースタイム
日帰り
- 山行
- 9:49
- 休憩
- 2:48
- 合計
- 12:37
距離 16.0km
登り 1,273m
下り 1,273m
4:39
10分
鉾立
8:18
8:23
1分
御苗代
8:30
8:50
4分
旧千蛇谷分岐ベンチ
9:45
10:00
47分
6番ポール(休憩)
12:48
12:55
4分
休憩
14:30
14:45
5分
旧千蛇谷分岐ベンチ
17:16
ゴール地点
天候 | 快晴,弱い風ときどきあり。 前夜に南下した前線の北側に入り,涼しく乾燥した秋風で歩けました。ありがたや。 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2024年09月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
↓こちらのサイトのなかほどに駐車場の便利な見取り図あり。ありがとうございます。 https://bariko.jp/blog-yama/2023/07/cyokaisan-beginner/ |
コース状況/ 危険箇所等 |
■□重要□■御浜小屋のトイレは9/9をもって閉鎖されています。経緯は次項の登山情報ページに詳しく書かれています(7月の豪雨災害の影響あり)。山頂トイレは使用可でした。チップに協力しましょう。 ■山頂御室,御浜小屋とも閉じられて無人で室内利用はできません。 ■コース現況については遊佐鳥海観光協会さんの「登山情報」ページがとても充実しており,刈払い時期の予告などもされています。他の情報も多く,事前にご覧になって損はないと思います。 https://www.yuzachokai.jp/spot/climbing-news/ ■同サイトで次の点は赤文字で強調されていますので,ぜひご協力ください:「大平コースの河原宿から笙ヶ岳三峰へのショートカットは残雪期限定のルートです。植生等保護のため登山道である長坂道分岐を経由した登山にご協力をお願いいたします。(2024.8.7)」 ■大平コースと鉾立コースを連絡する河原宿~賽ノ河原間のショートカットの入口には道標が出ていませんが,道はわりと明瞭でケルン(賽ノ河原側)や,赤テープ(河原宿側)に注意すればわかります。 ■鉾立(象潟)コースの七五三掛以上やあざみ坂,新山周辺ではヘルメット着用が推奨されています。 |
その他周辺情報 | ■温泉 あぽん西浜 400円 ■鳥海山の前回の噴火(1974年3月~4月)から今年でちょうど50年です。鳥海山は有史以降,6~10世紀と,16世紀末~19世紀初めの2回,活発な活動期がありました。1974年噴火は約150年ぶりに起こっています。 ■大和政権が律令制を運用した期間(7世紀後半~10世紀ごろ),その権力の及ぶ範囲の北限は牡鹿・玉造・色麻(太平洋側)と出羽柵(酒田近辺)を結ぶ線で,鳥海山はその境界に接してそびえるばかりか,ちょうど律令制のころに火山活動のひとつのピークがあったため,国境の守護神として崇められまた激しく畏れられた,という説が一般的です。当時の「秋田城」(秋田市寺内)は,支配が及んでいない地域の中で孤立して運営されていました(渤海使を迎えるため)。 ◾️鳥海山の信仰登山の歴史は下記の遊佐町のパンフレットに簡潔にまとめられています。 https://www.town.yuza.yamagata.jp/ou/kikaku/kanko/files/P15-22.pdf 森敦氏の短編集「鳥海山」に描かれた,「麓から夜通し登って登拝する白装束の巡礼集団」は,明治の神仏分離後に盛んになった「お山参り」の形態であって,関連して蕨岡・吹浦は登拝基地としてまた避暑地として栄えたが,それは昭和40年代を最後に急速に衰微した,ということです。現在の鳥海山で白装束の方を見かけることはたえてなく,森氏の描写はいったいいつの時代のことやねん?と疑問だったので,その答えが見つかりました。 |
写真
北に開ける秋田側の展望も雄大です。千蛇谷の由来になった貞観十三年(871)噴火のいまは草むした溶岩流がよく見えます。男鹿の本山がよく目立って,秋田の景観の大事なアクセントに。
このへんが一番急傾斜かな〜。...と思ったらホントに急なのはまだ先でした(^^;)。今日はよく晴れてますが秋の空気にて暑いほどではないです。たくさんのハイカーさんたちが山頂をめざしておられました。
御本殿わきにひとつだけ残された石碑。明治十六(1883)年八月に「亀田和田丁の渡辺某」という64歳の方が自ら背負って奉納したと書いてあります。小藩の旧亀田藩は戊辰戦争(1868)の折に幕府方の庄内と新政府方の秋田に挟まれた位置にあって非常な辛酸をなめた地域です。背負ってきたお気持ちとなぜ一基だけ残っているのか等々,妄想は広がります。
遠ざかっていきました。
尾崎紀世彦さんの歌唱で有名な「また逢う日まで」(阿久悠作詞)は,もしかしてこの世から来世に向かう道のりのことか?とちょっとここらで妄想。(だいぶ違うはず(^^;
尾崎紀世彦さんの歌唱で有名な「また逢う日まで」(阿久悠作詞)は,もしかしてこの世から来世に向かう道のりのことか?とちょっとここらで妄想。(だいぶ違うはず(^^;
感想
ぐっとお花が減った秋の鳥海山。今日の御本社参りはお天気に恵まれ,同日登られたたくさんのハイカーさんたちとシアワセを共有できた感じです。
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昔はここから鳥海山に登拝していたと話していました。なるほど、25坊とは。そこまで栄えていたんですね。
ちなみに、ニャンコ岩は、ボクは秋田犬に見えました
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