中京区文化協議会主催 文化財鑑賞会 〜旧嵯峨御所大本山 大覚寺を探訪する〜


- GPS
- 02:23
- 距離
- 3.1km
- 登り
- 3m
- 下り
- 1m
コースタイム
過去天気図(気象庁) | 2024年10月の天気図 |
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アクセス |
利用交通機関:
バス
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写真
宸殿(重要文化財)は客殿の南方に建ち、元和五年(一六一九)造営の東福門院和子の女御御殿で、延宝年間(一六七三−八一)に下賜・移建されたと伝える。
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(京都検定テキストの一部)
大沢の池
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大沢池は、月の名所として親しまれる嵯峨院庭園の遺構。
庭湖石は巨勢金岡が立てたと伝え、中国の洞庭湖を模したとされる。
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(京都検定テキストの一部)
説明のみ
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「小倉百人一首」で有名な大納言藤原公任の「滝の音は絶えて久しくなりぬれど名こそ流れてなほ聞こえけれ」に詠まれた名古曽滝は古くからの名所で、発掘調査成果に基づき遣水が復元整備され、「大沢池附名古曽滝跡」として国の名勝に指定されている。
また、一帯は「大覚寺御所跡」として国の史跡に指定されている。
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(京都検定テキストの一部)
今日いただいたパンフP6-1
特別に
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客殿(正寝殿・重要文化財)は桃山時代の建築で、主室である御冠の聞の帳台構に施された框は、嵯峨蒔絵の名で知られている。
狭屋の間の明り障子の腰板に描かれた「野兎図」(重要文化財)は、さまざまなポーズの兎十九羽を描いた愛らしい動物画で、長く尾形光琳の筆と考えられてきたが、その後の研究によって渡辺始興の筆とされている。
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(京都検定テキストの一部)
感想
今日は中京区の大覚寺鑑賞会
https://blog.goo.ne.jp/corpus2247/e/2f3a34ec627ae1bfcec2c09c5ff01448
いつもは入れない正寝殿を見学することができた。
建物には入れても近くで見ることはできなかったが、
野兎図、框が見られている良かった。
大覚寺パンフ
https://blog.goo.ne.jp/corpus2247/e/4256f4086258d605d316889c22913d5a
大覚寺
本尊 五大明王
真言宗大覚寺派の大本山。
山号は嵯峨山。
貞観十八年(八七六)に淳和天皇の皇后正子内親王(嵯峨天皇の皇女)が、父の嵯峨天皇の離宮であった嵯峨院を寺に改めたことに始まる。
清和天皇から大覚寺の寺号を賜わって、開山を恒寂法親王(淳和天皇の皇子)とした。
文永五年(一二六八)に後嵯峨上皇、正応二年(一二八九)に亀山上皇、徳治三年(一三〇八)には後宇多法皇が入寺して、大覚寺統(南朝)を形成。
以来、北朝の持明院統と皇統の勢カを争ったが、のち明徳三年(一三九二)に南北朝合一となった。
応仁・文明の乱で衰退後、しだいに復輿した。
客殿(正寝殿・重要文化財)は桃山時代の建築で、主室である御冠の聞の帳台構に施された框は、嵯峨蒔絵の名で知られている。
狭屋の間の明り障子の腰板に描かれた「野兎図」(重要文化財)は、さまざまなポーズの兎十九羽を描いた愛らしい動物画で、長く尾形光琳の筆と考えられてきたが、その後の研究によって渡辺始興の筆とされている。
宸殿(重要文化財)は客殿の南方に建ち、元和五年(一六一九)造営の東福門院和子の女御御殿で、延宝年間(一六七三−八一)に下賜・移建されたと伝える。宸殿の襖絵として描かれた狩野山楽の「紅白梅図」と「牡丹図」(ともに重要文化財)がある。
また、仏像彫刻としては、円派仏師の明円作として名高い五大明王像(重要文化財)が挙げられる。
大沢池は、月の名所として親しまれる嵯峨院庭園の遺構。
庭湖石は巨勢金岡が立てたと伝え、中国の洞庭湖を模したとされる。
「小倉百人一首」で有名な大納言藤原公任の「滝の音は絶えて久しくなりぬれど名こそ流れてなほ聞こえけれ」に詠まれた名古曽滝は古くからの名所で、発掘調査成果に基づき遣水が復元整備され、「大沢池附名古曽滝跡」として国の名勝に指定されている。
また、一帯は「大覚寺御所跡」として国の史跡に指定されている。
なお、当寺は華道の嵯峨御流の総司所でもあり、嵯蛾天皇の命日には華道祭を行っている。
(京都検定テキスト)
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