東京を朝7:00台の新幹線で出発して名古屋でツアーバスに乗り換え、漸く午後の14:00台に高野山奥の院に到着しました。和歌山県に来たのは初めてです。ユネスコ世界文化遺産登録20周年になる『紀伊山地の霊場と参詣道』に構成資産として登録されている神社仏閣を巡ります。
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11/11 14:43
東京を朝7:00台の新幹線で出発して名古屋でツアーバスに乗り換え、漸く午後の14:00台に高野山奥の院に到着しました。和歌山県に来たのは初めてです。ユネスコ世界文化遺産登録20周年になる『紀伊山地の霊場と参詣道』に構成資産として登録されている神社仏閣を巡ります。
高野山の地元ガイドさんに奥の院を案内いただきます。戦国武将の供養塔や企業の慰霊塔が並んでいます。
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高野山の地元ガイドさんに奥の院を案内いただきます。戦国武将の供養塔や企業の慰霊塔が並んでいます。
今年は気温が高いため紅葉が遅れ、ちょうどピークになっているそうです。
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今年は気温が高いため紅葉が遅れ、ちょうどピークになっているそうです。
UCCコーヒーの企業慰霊塔。お子さん方に人気があるそうです。
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11/11 14:48
UCCコーヒーの企業慰霊塔。お子さん方に人気があるそうです。
奥の院の御廟エリアが見えてきました。ここから写真撮影禁止。手前に見えている灯籠堂、弘法大師(空海)が祀られている御廟、灯籠堂の地下の御影堂を参拝。
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11/11 14:58
奥の院の御廟エリアが見えてきました。ここから写真撮影禁止。手前に見えている灯籠堂、弘法大師(空海)が祀られている御廟、灯籠堂の地下の御影堂を参拝。
奥の院の御朱印を頂きました。 ***正直なところ読めません。
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奥の院の御朱印を頂きました。 ***正直なところ読めません。
紅葉が見頃です。
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紅葉が見頃です。
ピラミッドがあります。無縁塚でした。
2024年11月11日 15:24撮影
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11/11 15:24
ピラミッドがあります。無縁塚でした。
豊臣秀吉の供養塔。
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豊臣秀吉の供養塔。
紅葉
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紅葉
紅葉
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紅葉
入定した弘法大師の姿を刻んだお守り。ガイドさんのお持ちのものを見せていただきました。先ほどの御影堂に掲げられている肖像と同じ図柄だそうです。
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11/11 15:33
入定した弘法大師の姿を刻んだお守り。ガイドさんのお持ちのものを見せていただきました。先ほどの御影堂に掲げられている肖像と同じ図柄だそうです。
奥にロケット(アポロ宇宙船の打ち上げに使われたサターン5型の様です)が見えます。企業慰霊塔とのことです。
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11/11 15:41
奥にロケット(アポロ宇宙船の打ち上げに使われたサターン5型の様です)が見えます。企業慰霊塔とのことです。
高野山には金剛峯寺の伽藍もありますが、ここまででタイムアップ。高野山だけなら個人でも何とか来ることができる場所ですのでいずれ出直しましょう・・・。
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11/11 15:43
高野山には金剛峯寺の伽藍もありますが、ここまででタイムアップ。高野山だけなら個人でも何とか来ることができる場所ですのでいずれ出直しましょう・・・。
田辺市の宿に移動。サントリー天然水を購入。左が購入した『奥大山』版、右が東京から持参した『南アルプス』版。
===1日目はここまで===
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11/11 22:00
田辺市の宿に移動。サントリー天然水を購入。左が購入した『奥大山』版、右が東京から持参した『南アルプス』版。
===1日目はここまで===
===ここから2日目===
宿からバスで20分ほどの場所にある闘鶏神社に来ました。
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11/12 8:26
===ここから2日目===
宿からバスで20分ほどの場所にある闘鶏神社に来ました。
神社の社名の由来になっている源平合戦の故事に関する銅像。熊野水軍の統率者である湛増と(伝)息子の武蔵坊弁慶の像。WiKiによれば弁慶が紀州の出身であるというのは伝承で歴史資料があるわけではないそうです。でも怪力無双の代名詞となっている弁慶の父親が熊野水軍のリーダーだったというのはストーリーとしては凄いですね。
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11/12 8:18
神社の社名の由来になっている源平合戦の故事に関する銅像。熊野水軍の統率者である湛増と(伝)息子の武蔵坊弁慶の像。WiKiによれば弁慶が紀州の出身であるというのは伝承で歴史資料があるわけではないそうです。でも怪力無双の代名詞となっている弁慶の父親が熊野水軍のリーダーだったというのはストーリーとしては凄いですね。
ご由緒 源平合戦の後半、瀬戸内海の海上の戦いにおいて熊野水軍が源氏・平家のどちらに与するかを決めるために闘鶏を行い、何回やっても白い鶏(源氏)が赤い鶏(平家)に勝つので源氏と組むことにした・・・のだそうです。
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11/12 8:18
ご由緒 源平合戦の後半、瀬戸内海の海上の戦いにおいて熊野水軍が源氏・平家のどちらに与するかを決めるために闘鶏を行い、何回やっても白い鶏(源氏)が赤い鶏(平家)に勝つので源氏と組むことにした・・・のだそうです。
闘鶏神社の社殿は今は洪水で失われた熊野本宮大社の社殿に習ったものだそうです。熊野三山の神々が招聘されており、実際に参詣道を熊野まで辿れない方々はこちらに参拝することで同じご利益を得ることができたそうです。
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11/12 8:35
闘鶏神社の社殿は今は洪水で失われた熊野本宮大社の社殿に習ったものだそうです。熊野三山の神々が招聘されており、実際に参詣道を熊野まで辿れない方々はこちらに参拝することで同じご利益を得ることができたそうです。
闘鶏神社の御朱印を頂きました。
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闘鶏神社の御朱印を頂きました。
闘鶏神社から40分ほどバスで移動し、中辺路のスタート地点である滝尻王子まで来ました。最初に熊野古道館でコースの概要を伺います。
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闘鶏神社から40分ほどバスで移動し、中辺路のスタート地点である滝尻王子まで来ました。最初に熊野古道館でコースの概要を伺います。
先達(地元ガイド)の方は3名で3班にわかれてガイドを頂きました。最初に地図を使ってこれから歩く中辺路(なかへち)、その他のコースについて解説を頂きました。
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先達(地元ガイド)の方は3名で3班にわかれてガイドを頂きました。最初に地図を使ってこれから歩く中辺路(なかへち)、その他のコースについて解説を頂きました。
平安時代に実際に中辺路を歩いた方の記録した道中の様子の古文書
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平安時代に実際に中辺路を歩いた方の記録した道中の様子の古文書
平安時代の参詣スタイル
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11/12 9:34
平安時代の参詣スタイル
滝尻王子の鳥居 かつては参詣道に沿って多数(99社)の神社『王子(熊野の神々の子供)』が存在していたが、明治時代の神社合祀政策により、多数の『王子』が集約・破却されてしまい、滝子王子も集約された神社の一つとして残ったものの、現在ある拝殿などは後世の再建だそうです。この後、中辺路で辿る『王子』は全て王子の跡地です。
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滝尻王子の鳥居 かつては参詣道に沿って多数(99社)の神社『王子(熊野の神々の子供)』が存在していたが、明治時代の神社合祀政策により、多数の『王子』が集約・破却されてしまい、滝子王子も集約された神社の一つとして残ったものの、現在ある拝殿などは後世の再建だそうです。この後、中辺路で辿る『王子』は全て王子の跡地です。
滝尻王子にお参り。
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11/12 9:43
滝尻王子にお参り。
中辺路のコースの取り付き点。いきなり急坂になっています。実は、今回参加したツアーは大幅なダイジェスト版で、出発ポイントである滝尻王子もポイントとして見学するだけで実際にはここからスタートはしません。
2024年11月12日 09:48撮影
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11/12 9:48
中辺路のコースの取り付き点。いきなり急坂になっています。実は、今回参加したツアーは大幅なダイジェスト版で、出発ポイントである滝尻王子もポイントとして見学するだけで実際にはここからスタートはしません。
南アルプスの北岳にもある徳仁親王殿下(今上天皇)の来訪記念碑。以前、とある関東地方の山に登った際にガイドさんから伺ったお話ですが、一般的な展開としては、この方が突然、その山域の山小屋に宿泊予約の電話をなさるそうで、それから地元の自治体や山岳会ではその日程に間に合わせるように登山道整備に大わらわになったそうです。それで見違えるように登山道が整備され我々下々の登山者はその恩恵に浴させていただくことができる訳ですね。
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南アルプスの北岳にもある徳仁親王殿下(今上天皇)の来訪記念碑。以前、とある関東地方の山に登った際にガイドさんから伺ったお話ですが、一般的な展開としては、この方が突然、その山域の山小屋に宿泊予約の電話をなさるそうで、それから地元の自治体や山岳会ではその日程に間に合わせるように登山道整備に大わらわになったそうです。それで見違えるように登山道が整備され我々下々の登山者はその恩恵に浴させていただくことができる訳ですね。
という訳で、本当のスタートポイントである牛馬童子口バス停までバス移動しました。
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11/12 10:23
という訳で、本当のスタートポイントである牛馬童子口バス停までバス移動しました。
先達を先頭にして急坂を登っていきます。ここで杖の貸し出しがありました。私は普段はストックを足を痛めた時の保険として携行するだけで、あまり使わないのですが、今回は古道歩きの雰囲気を楽しませていただこうと思い、お借りしました。しかし、これは借りて正解でした。急な石段が続く箇所が登り・下りとも結構あり、バランスをとるためには必須と思います。
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11/12 10:25
先達を先頭にして急坂を登っていきます。ここで杖の貸し出しがありました。私は普段はストックを足を痛めた時の保険として携行するだけで、あまり使わないのですが、今回は古道歩きの雰囲気を楽しませていただこうと思い、お借りしました。しかし、これは借りて正解でした。急な石段が続く箇所が登り・下りとも結構あり、バランスをとるためには必須と思います。
500mごとにガイド標識があります。緊急時には記載されている番号(ここは『24』番)を警察・消防にお伝えすると迅速に救護いただけるそうです。
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11/12 10:41
500mごとにガイド標識があります。緊急時には記載されている番号(ここは『24』番)を警察・消防にお伝えすると迅速に救護いただけるそうです。
ここは茶店の跡だそうです。
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ここは茶店の跡だそうです。
登り始めてから30分ほどで箸折峠に着きました。
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登り始めてから30分ほどで箸折峠に着きました。
箸折峠には中辺路のシンボルになっている牛馬童子像があります。先達のかたから牛馬童子のモデルになった花山天皇について説明をいただきます。
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箸折峠には中辺路のシンボルになっている牛馬童子像があります。先達のかたから牛馬童子のモデルになった花山天皇について説明をいただきます。
牛馬童子像
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牛馬童子像
箸折峠を過ぎると急な石畳の下り坂になっていますが、その途中で近露王子の側の集落を見渡せるポイントがあります。長閑な光景が印象的です。 *こちらを代表写真にさせていただきます。
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11/12 11:12
箸折峠を過ぎると急な石畳の下り坂になっていますが、その途中で近露王子の側の集落を見渡せるポイントがあります。長閑な光景が印象的です。 *こちらを代表写真にさせていただきます。
近露王子跡地の森蒼
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11/12 11:31
近露王子跡地の森蒼
近露王子跡地の石碑 揮毫したのは大本教の教祖であった 出口王仁三郎(でぐちおにさぶろう)。 大本教は戦前当局から弾圧を受け、その際に出口王仁三郎が揮毫した石碑類も悉く破却されてしまったが、この石碑は地元の方の機智によりのこされたとのこと。
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近露王子跡地の石碑 揮毫したのは大本教の教祖であった 出口王仁三郎(でぐちおにさぶろう)。 大本教は戦前当局から弾圧を受け、その際に出口王仁三郎が揮毫した石碑類も悉く破却されてしまったが、この石碑は地元の方の機智によりのこされたとのこと。
近露王子=>発心門王子 まで再びバスで移動(ワープ)します。バスの移動時間中にめはり寿司のお弁当で昼食。
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11/12 11:47
近露王子=>発心門王子 まで再びバスで移動(ワープ)します。バスの移動時間中にめはり寿司のお弁当で昼食。
ガイドさんからは、移動時間中に熊野古道の話だけではなく、火山の無い熊野で温泉が湧く地球物理学的な理由とか現在の田辺市の話とか多岐にわたる色々お話を伺いました。
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11/12 12:13
ガイドさんからは、移動時間中に熊野古道の話だけではなく、火山の無い熊野で温泉が湧く地球物理学的な理由とか現在の田辺市の話とか多岐にわたる色々お話を伺いました。
発心門王子に到着。実際はバスの乗降場から数百メートル程度戻った場所になります。
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11/12 12:47
発心門王子に到着。実際はバスの乗降場から数百メートル程度戻った場所になります。
発心門王子の祠。これも再建したものだそうです。
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11/12 12:50
発心門王子の祠。これも再建したものだそうです。
世界文化遺産の登録記念碑。
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世界文化遺産の登録記念碑。
果無山脈が見えます。
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11/12 13:07
果無山脈が見えます。
八咫烏
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11/12 13:12
八咫烏
お借りした杖 すっかり手に馴染んで最後返却するのが惜しく思える程でした。
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お借りした杖 すっかり手に馴染んで最後返却するのが惜しく思える程でした。
廃校になった学校の以前のプール もう少し紅葉が進むと絶景だそうです。
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11/12 13:27
廃校になった学校の以前のプール もう少し紅葉が進むと絶景だそうです。
水呑王子跡まで来ました。発心門王子と伏拝王子の間の中間点です。
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11/12 13:28
水呑王子跡まで来ました。発心門王子と伏拝王子の間の中間点です。
水呑王子にはお体が上下に分離するお地蔵さまがおられます。右寄りの赤い前掛けを掛けているお地蔵さまです。間にお賽銭を挟んで拝むと腰痛に効能があるそうです。
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11/12 13:28
水呑王子にはお体が上下に分離するお地蔵さまがおられます。右寄りの赤い前掛けを掛けているお地蔵さまです。間にお賽銭を挟んで拝むと腰痛に効能があるそうです。
熊野古道らしい区間 ※動画を添付しましたのでご覧ください。
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11/12 13:41
熊野古道らしい区間 ※動画を添付しましたのでご覧ください。
この地点で行き倒れとなった巡礼者の慰霊のためのお地蔵さま。以前、NHKのTV番組でも紹介されていました。地元の方がメンテなさっているそうです。
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11/12 13:51
この地点で行き倒れとなった巡礼者の慰霊のためのお地蔵さま。以前、NHKのTV番組でも紹介されていました。地元の方がメンテなさっているそうです。
赤い前掛けを外すと戒名『道休禅門』が読み取れます。*ガイドさんに説明を頂きました。
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赤い前掛けを外すと戒名『道休禅門』が読み取れます。*ガイドさんに説明を頂きました。
サボテンの花が咲いていました。
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11/12 14:01
サボテンの花が咲いていました。
コミュニティバスのバス停がありました。1日1便〜2便のダイヤですね。
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コミュニティバスのバス停がありました。1日1便〜2便のダイヤですね。
柿が沢山なっています。
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柿が沢山なっています。
カーブミラーがあったのでお約束の写真を撮りましたが、偶々通りかかった外国人の方に「なにをやっているのだろう?」と訝しがられてしまいました! 11月ですが気温が高いので半袖Tシャツにアームカバーの組み合わせで歩きました。
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11/12 14:03
カーブミラーがあったのでお約束の写真を撮りましたが、偶々通りかかった外国人の方に「なにをやっているのだろう?」と訝しがられてしまいました! 11月ですが気温が高いので半袖Tシャツにアームカバーの組み合わせで歩きました。
ヤギさんがいました! まったく長閑です。
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ヤギさんがいました! まったく長閑です。
伏拝王子(跡)に着きました。左側が展望スポット、右側が休憩所です。
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11/12 14:32
伏拝王子(跡)に着きました。左側が展望スポット、右側が休憩所です。
伏拝王子からは、本日最後に訪れる大斉原が見えるというのですが・・・ 中央の谷間の白い部分が大斉原だそうです。
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11/12 14:19
伏拝王子からは、本日最後に訪れる大斉原が見えるというのですが・・・ 中央の谷間の白い部分が大斉原だそうです。
本当かな・・・ という訳で帰宅してから『カシミール』の見通し機能を使って調べてみました。
2024年11月12日 14:19撮影
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11/12 14:19
本当かな・・・ という訳で帰宅してから『カシミール』の見通し機能を使って調べてみました。
見えます この後、急な下りが続く様です。
2024年11月12日 14:19撮影
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11/12 14:19
見えます この後、急な下りが続く様です。
どんどん下ります。
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どんどん下ります。
三軒茶屋跡 に来ました。
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三軒茶屋跡 に来ました。
江戸時代の道標があります。「右 かうや 左 きみい寺」と刻まれています。 『かうや』は高野山のこと 『きみい寺』は西国三十三所観音霊場の二番札所である金剛宝寺(紀三井寺)のこと だそうです。
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江戸時代の道標があります。「右 かうや 左 きみい寺」と刻まれています。 『かうや』は高野山のこと 『きみい寺』は西国三十三所観音霊場の二番札所である金剛宝寺(紀三井寺)のこと だそうです。
つまりここから北に延びる薄暗い路が 小辺路(こへち)ということですね。いままで歩いて来た中辺路も午後が押してだいぶ薄暗くなってきていましたが、小辺路はちょっと覗き込んだ感じではさらに薄暗くて一人で歩くのは少々怖そう。
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11/12 15:02
つまりここから北に延びる薄暗い路が 小辺路(こへち)ということですね。いままで歩いて来た中辺路も午後が押してだいぶ薄暗くなってきていましたが、小辺路はちょっと覗き込んだ感じではさらに薄暗くて一人で歩くのは少々怖そう。
途中の小休止タイムにガイドさんが 坂本冬美さんの『熊野路へ』というCDアルバムの解説をはじめられました。彼女は熊野のご出身で年に一回、帰郷コンサートをひらいておられるそうです。YouTubeに動画がありましたので貼っておきました。
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途中の小休止タイムにガイドさんが 坂本冬美さんの『熊野路へ』というCDアルバムの解説をはじめられました。彼女は熊野のご出身で年に一回、帰郷コンサートをひらいておられるそうです。YouTubeに動画がありましたので貼っておきました。
『ちょっと寄り道』展望台への分岐。う〜ん、とっても行きたかったのですがスルーでした。もう午後の3時半ですからね日没になる前に行動を終了するためには寄れないのでしょう。
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11/12 15:28
『ちょっと寄り道』展望台への分岐。う〜ん、とっても行きたかったのですがスルーでした。もう午後の3時半ですからね日没になる前に行動を終了するためには寄れないのでしょう。
おとなしく右に進みます。
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11/12 15:28
おとなしく右に進みます。
下って来た熊野古道らしい坂道です。
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11/12 15:38
下って来た熊野古道らしい坂道です。
山道の区間がまもなく終了です。
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山道の区間がまもなく終了です。
ここに出てきました。長いコースですが取り付き点は地味ですね。
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ここに出てきました。長いコースですが取り付き点は地味ですね。
熊野本宮大社の裏側から境内に入ります。
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11/12 15:53
熊野本宮大社の裏側から境内に入ります。
大社の社殿の屋根の妻面が夕陽を浴びて輝いています。
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11/12 15:54
大社の社殿の屋根の妻面が夕陽を浴びて輝いています。
八咫烏のポスト。通常の赤いポストと同じように利用できるそうです。
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八咫烏のポスト。通常の赤いポストと同じように利用できるそうです。
熊野本宮大社の社殿。
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熊野本宮大社の社殿。
熊野本宮大社の御朱印を頂きました。
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熊野本宮大社の御朱印を頂きました。
旧社地である大斉原(おおゆのはら)に向かいます。ジェットコースターのような急な石段の下りです。杖が必携です。
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11/12 16:15
旧社地である大斉原(おおゆのはら)に向かいます。ジェットコースターのような急な石段の下りです。杖が必携です。
案内看板
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案内看板
大斉原(おおゆのはら)に到着しました。
2024年11月12日 16:22撮影
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11/12 16:22
大斉原(おおゆのはら)に到着しました。
日本最大の鳥居だそうです。高さ34mとのことなので8階建てのビルぐらいの高さですね。西暦2000年(平成12年)の建立と比較的新しいものです。
2024年11月12日 16:27撮影
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11/12 16:27
日本最大の鳥居だそうです。高さ34mとのことなので8階建てのビルぐらいの高さですね。西暦2000年(平成12年)の建立と比較的新しいものです。
大斉原に祀られている石祠 先ほどの本宮の社殿とこちらの石祠を両方拝むと熊野の神様全柱にお参りしたことになるそうです。
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大斉原に祀られている石祠 先ほどの本宮の社殿とこちらの石祠を両方拝むと熊野の神様全柱にお参りしたことになるそうです。
八咫烏の石碑
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11/12 16:42
八咫烏の石碑
これで2日目の行程は終了! お借りしていた杖をガイドさんに返却しました。お世話になりました。
===2日目はここまで===
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11/12 16:47
これで2日目の行程は終了! お借りしていた杖をガイドさんに返却しました。お世話になりました。
===2日目はここまで===
===ここから3日目===
宿の窓から海が見えます。明け方の空の色が奇麗です。場所は橋杭岩の近くです。
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===ここから3日目===
宿の窓から海が見えます。明け方の空の色が奇麗です。場所は橋杭岩の近くです。
2024/11/13 08:49 撮影
宿から1時間ほどバスで移動して熊野那智大社の入口となる大門坂バス停まで来ました。本日のガイドさんです。笑顔の爽やかな方でした。
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2024/11/13 08:49 撮影
宿から1時間ほどバスで移動して熊野那智大社の入口となる大門坂バス停まで来ました。本日のガイドさんです。笑顔の爽やかな方でした。
大門坂の石碑。
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11/13 8:55
大門坂の石碑。
大門坂の神域の鳥居 この手前に平安装束のレンタル屋さんがありました。
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11/13 9:00
大門坂の神域の鳥居 この手前に平安装束のレンタル屋さんがありました。
夫婦杉
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11/13 9:08
夫婦杉
多富気王子跡 数ある王子(本宮の神の子供の摂社)の最後のNo.99だそうです。
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11/13 9:11
多富気王子跡 数ある王子(本宮の神の子供の摂社)の最後のNo.99だそうです。
参道の脇に仔鹿が居ました。
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11/13 9:21
参道の脇に仔鹿が居ました。
観光ポスターに出て来るアングルの大門坂のカット。
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観光ポスターに出て来るアングルの大門坂のカット。
登ってから振り返ったところ。下の方に平安装束のかたが登ってきているのが見えます。
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11/13 9:29
登ってから振り返ったところ。下の方に平安装束のかたが登ってきているのが見えます。
台湾からの観光の方とのことでした。ツアー参加者で写真を撮らせていただきました。 なお、ガイドさんの説明によれば、平安時代当時も都からずっとこのスタイルで歩いて来た訳ではなく、行程のほとんどの区間は歩きやすい軽装で過ごして、最後にお参りする段階で正装に着替えたとのことです。
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11/13 9:34
台湾からの観光の方とのことでした。ツアー参加者で写真を撮らせていただきました。 なお、ガイドさんの説明によれば、平安時代当時も都からずっとこのスタイルで歩いて来た訳ではなく、行程のほとんどの区間は歩きやすい軽装で過ごして、最後にお参りする段階で正装に着替えたとのことです。
十一文関跡 昔はここで入山料を徴収していたそうです。
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11/13 9:32
十一文関跡 昔はここで入山料を徴収していたそうです。
大門坂を上り切っても次の階段が待っています。傍らのシャッターに7月に行われる火祭りの様子が描かれています。
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大門坂を上り切っても次の階段が待っています。傍らのシャッターに7月に行われる火祭りの様子が描かれています。
石段の途中から那智の滝が見えます。
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11/13 9:56
石段の途中から那智の滝が見えます。
那智本宮大社の鳥居
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那智本宮大社の鳥居
登って来た階段を振り返って見たところ
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登って来た階段を振り返って見たところ
那智本宮大社の拝殿
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那智本宮大社の拝殿
神社ですが仏教寺院のような護摩木があります。明治に神仏分離令が出されるまでは、隣の青岸渡寺と一体の宗教施設だった名残だそうです。
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神社ですが仏教寺院のような護摩木があります。明治に神仏分離令が出されるまでは、隣の青岸渡寺と一体の宗教施設だった名残だそうです。
那智本宮大社の御朱印を頂きました。
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那智本宮大社の御朱印を頂きました。
すぐお隣にある青岸渡寺に来ました。このお寺は西国三十三所観音霊場の第一番のお寺です。ブラタモリでやっていましたが、江戸時代までは隣の那智本宮大社と建物どうしも渡り廊下で繋がっていたそうです。
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すぐお隣にある青岸渡寺に来ました。このお寺は西国三十三所観音霊場の第一番のお寺です。ブラタモリでやっていましたが、江戸時代までは隣の那智本宮大社と建物どうしも渡り廊下で繋がっていたそうです。
こちらは仏教寺院らしくお線香をあげるようになっています。高尾山薬王院と同じですね。
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こちらは仏教寺院らしくお線香をあげるようになっています。高尾山薬王院と同じですね。
青岸渡寺の御朱印を頂きました。
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青岸渡寺の御朱印を頂きました。
青岸渡寺の裏手の展望スポットに来ました。観光案内で見る青岸渡寺の三重之塔と那智の大滝を同時に見ることができる場所です。しかし、三重之塔は修復工事中でダミーの工事カバーが架けられています。
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11/13 10:28
青岸渡寺の裏手の展望スポットに来ました。観光案内で見る青岸渡寺の三重之塔と那智の大滝を同時に見ることができる場所です。しかし、三重之塔は修復工事中でダミーの工事カバーが架けられています。
ガイドさんに写していただきました。三重之塔の工事業者は、かの金剛組です。ギネスブックにも認定されている世界最古の企業ですね(西暦578年創業)。考古遺物などではなく現役のもので継続して1000年以上も維持されているというのはすごいことですね。
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11/13 10:39
ガイドさんに写していただきました。三重之塔の工事業者は、かの金剛組です。ギネスブックにも認定されている世界最古の企業ですね(西暦578年創業)。考古遺物などではなく現役のもので継続して1000年以上も維持されているというのはすごいことですね。
7月の火祭りの会場になる広場から急な石段で那智の滝に向かって下っていきます。階段のピッチが一定していないので少々歩きにくいです。本日は前のカットで写っている一本マイストックで歩いています。大門坂の途中で出しました。
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11/13 10:55
7月の火祭りの会場になる広場から急な石段で那智の滝に向かって下っていきます。階段のピッチが一定していないので少々歩きにくいです。本日は前のカットで写っている一本マイストックで歩いています。大門坂の途中で出しました。
那智の滝は摂社である飛瀧神社の御神体になっています。
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11/13 11:04
那智の滝は摂社である飛瀧神社の御神体になっています。
滝が見えました!
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11/13 11:10
滝が見えました!
@300円納めると滝のすぐ下まで行くことができます。
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11/13 11:21
@300円納めると滝のすぐ下まで行くことができます。
滝壺の上に虹がかかっています。 *動画を添付しました。
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11/13 11:23
滝壺の上に虹がかかっています。 *動画を添付しました。
名残は尽きませんが引き上げます。
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11/13 11:38
名残は尽きませんが引き上げます。
バス停まで石段を登っていきます。
2024年11月13日 11:39撮影
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11/13 11:39
バス停まで石段を登っていきます。
昼食は海鮮ひつまぶし
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11/13 12:08
昼食は海鮮ひつまぶし
昼食後30分くらいバスで移動して熊野速玉大社に来ました。
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11/13 13:24
昼食後30分くらいバスで移動して熊野速玉大社に来ました。
熊野速玉大社の境内 *摂社である神倉神社(ご神体のゴトビキ岩がある)にも行きたかったですがこちらも時間が押しているのでパス。
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11/13 13:29
熊野速玉大社の境内 *摂社である神倉神社(ご神体のゴトビキ岩がある)にも行きたかったですがこちらも時間が押しているのでパス。
熊野速玉大社の御朱印を頂きました。
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熊野速玉大社の御朱印を頂きました。
御神木の梛(なぎ)。 ツアーコンダクターの方に写していただきました。
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11/13 13:33
御神木の梛(なぎ)。 ツアーコンダクターの方に写していただきました。
手水社の吐水の龍。 *この隣に国宝館があるのですが、時間的にむりなのでスキップ。
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11/13 13:36
手水社の吐水の龍。 *この隣に国宝館があるのですが、時間的にむりなのでスキップ。
熊野川を渡って和歌山県から三重県に入ります。
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11/13 14:01
熊野川を渡って和歌山県から三重県に入ります。
最後の訪問地である花窟神社(はなのいわや)に来ました。社殿が無い古式の神社です。
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11/13 14:35
最後の訪問地である花窟神社(はなのいわや)に来ました。社殿が無い古式の神社です。
華やかな御朱印です。祭神がイザナミノミコト(女神)なので花で飾る伝統があり社名の由来になっているそうです。
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華やかな御朱印です。祭神がイザナミノミコト(女神)なので花で飾る伝統があり社名の由来になっているそうです。
この岩壁がご神体です。現在の神社には立派な拝殿や本殿がありますが、神道の本来のスタイルは自然物をそのまま拝むので古式そのままの様式を維持している神社です。
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11/13 14:42
この岩壁がご神体です。現在の神社には立派な拝殿や本殿がありますが、神道の本来のスタイルは自然物をそのまま拝むので古式そのままの様式を維持している神社です。
ご神体の岩壁と境内の樹木を繋ぐ紐 下げられているのは御幣にあたるものでしょうか
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11/13 14:43
ご神体の岩壁と境内の樹木を繋ぐ紐 下げられているのは御幣にあたるものでしょうか
祭神イザナミノミコトの神像
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11/13 14:57
祭神イザナミノミコトの神像
これで全行程が終了。後は帰るだけですが、バスと新幹線を乗り継いで家に帰着したのは夜中の12時ごろでした。
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11/13 14:59
これで全行程が終了。後は帰るだけですが、バスと新幹線を乗り継いで家に帰着したのは夜中の12時ごろでした。
途中の渋滞がさほどでもなく、名古屋で1時間半ほど空き時間ができたので、味噌煮込みうどんで夕食。名古屋まできたら一つぐらい名物を食べたいですよね。
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11/13 19:30
途中の渋滞がさほどでもなく、名古屋で1時間半ほど空き時間ができたので、味噌煮込みうどんで夕食。名古屋まできたら一つぐらい名物を食べたいですよね。
今回の歩行データ 3日間に分かれていますが累計では結構歩いていますね。
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今回の歩行データ 3日間に分かれていますが累計では結構歩いていますね。
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