記録ID: 7493434
全員に公開
無雪期ピークハント/縦走
金剛山・岩湧山
葛城二十八宿経塚巡行【復刻版】近内から北山・草谷寺 、龍頭塚、龍胴塚を巡る
2016年07月06日(水) [日帰り]


体力度
3
日帰りが可能
- GPS
- 07:47
- 距離
- 13.8km
- 登り
- 794m
- 下り
- 935m
コースタイム
日帰り
- 山行
- 7:46
- 休憩
- 0:01
- 合計
- 7:47
距離 13.8km
登り 794m
下り 935m
葛城二十八宿経塚巡行では、大澤寺から行者杉に登り神福山にお参りした後、千早峠から大和側の急斜面をトラバースして、中葛城山中腹にある(元)草谷寺−北山の草谷寺−久留野地福寺−小和道−石寺跡と巡るようになっている(中野榮治;葛城の峰と修験の道)。千早峠から草谷寺までの道があるのかと探していたら、古い国土地理院5万図(昭和33年要部修正)には中葛城山の西のコルから久留野峠道の三本松まで破線路が示してあった。この道は使えるのか?さらに調べると、北谷町の草谷寺から中葛城山まで道があって、その沿道には龍伝説の縁となる三ヶ所の石や高天岸野神社というのがあり、いずれもが修験の行所になっていた。
これは行かねばなるまい、ということで、近内から入り、久留野・地福寺−北山・草谷寺−尾根取付き−中葛城山ピーク直下の約830m龍胴塚まで歩くことにした。さらに800m付近を横切っている道はあるのかも確認したい。そうすると、近内から千早峠まで繋がる道が発見できるかもしれない。もし発見できなくても、無理やり中葛城山に登れば次善の策の巡行ルートとしては繋がるはずだ。
■北山の龍伝説
http://www.7kamado.net/den_yamato/uti_den4.html(残念、2024/11/15現在、ナナカマドさんがサイトを閉じられていた)
・・・・・・・・・・・
金剛山の南麓、北山村には、昔、大龍がすんでいて、村を荒らしまわった。或日、一人の修験者が、龍を退治しようとして、祈りをはじめた。一天にわかにかき曇って、あらわれ出た大龍は、今にも修験者に飛びつこうとすると、修験者は、手に持った数珠を振り上げて、ハッシと投げつけた。龍は忽ち天へ逃げ上がろうとしたが、身が三つに切れて、ぱたりと地上におちた。
村人はよろこんだが、龍の祟りをおそれて、龍の頭の落ちた所に龍頭寺、胸の落ちたところに龍胸寺、尾の落ちた所に龍尾寺と、三つのお寺を建立して、龍を厚くとむらったと云う。今は寺のあとかたもないが、修験者の祈祷した場所を法願田と云い、龍の胸の落ちた所を胸が段と云っている。又、三つの寺の佛像は、今でも国宝として、北山村の草谷寺に残っている。(吉川星一)
・・・・・・・・・・
■参考サイト(ショウタンさん)
https://www.syotann.com/soukokuji.html
最新!https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-7291229.html
■コースタイム
8:20 吉野口駅
9:00 北宇智駅/165m
9:16 久留野分岐道標
9:25 地福寺分岐・自販機/250m
9:34 久留野御霊神社/297m■休憩 9:46
9:53 山麓線通過
9:59 近畿自然歩道道標
10:02 近畿自然歩道道標/330m
10:05 久留野峠道分岐/349m(GPS標高は357m)
10:19 北山東谷
10:25 草谷寺・経文塚見学/310m■休憩 10:50
11:01 北山西谷尾根取付【葛城28宿経塚巡行道標】/360m
11:16 棚田■昼食1休憩 11:37
--------元草谷寺跡、元草谷寺跡、龍頭塚、龍胴塚
11:44 植林帯物置小屋【龍頭塚道標】/450m
12:00 谷道分岐【龍頭塚道標】/570m
12:05 元草谷寺跡
12:08 竜頭塚見学/610m■休憩 12:31
12:34 「北山」ペイント分岐
12:36 鳥居下ブッシュ撤退
12:39 「北山」ペイント分岐
12:40 高天岸野神社分岐
12:43 高天岸野神社見学/650m■休憩 13:06
13:09 尾根道復帰・古川山小台地【高天岸野神社・龍胴塚道標】/620m
13:19 神社真上の谷渡【龍胴塚道標】/670m
13:35 コンター750炭焼場跡?水平道/750m■休憩 13:45
13:46 コンター750屈曲点【龍胴塚道標】/750m
13:51 コンター800付近、広い尾根
13:55 コンター820水平道に出合う【葛城28宿赤札・龍頭塚道標】赤札修復
13:57 龍胴塚見学/830m 14:03
14:04 コンター820水平道探査■休憩 14:09
-----下山
14:04 コンター820水平道探査■休憩 14:09
14:15 コンター750水平道、探査 14:20
14:29 高天岸野神社真上の谷渡
14:34 古川山小台地■休憩 14:41
14:42 高天岸野神社分岐
14:44 龍頭塚下
14:46 古草谷寺跡
14:51 谷道分岐/570m
14:58 棚田上■昼食2休憩 15:15
15:23 北山西谷道路着地/360m■休憩 15:2
15:36 草谷寺下
15:42 地蔵
15:46 山麓線通過/240m
15:57 越智自治会館
16:12 京奈和自動車道通過
16:17 金剛山道道標/143m
16:29 商励商店街/114m
16:35 五条駅
------------------------------------------------------------------------------
■2024/11/15【復刻版】作成
対応元記事は;
https://stellabyhydra.blog.fc2.com/blog-entry-307.html
https://stellabyhydra.blog.fc2.com/blog-entry-308.html
https://stellabyhydra.blog.fc2.com/blog-entry-309.html
これは行かねばなるまい、ということで、近内から入り、久留野・地福寺−北山・草谷寺−尾根取付き−中葛城山ピーク直下の約830m龍胴塚まで歩くことにした。さらに800m付近を横切っている道はあるのかも確認したい。そうすると、近内から千早峠まで繋がる道が発見できるかもしれない。もし発見できなくても、無理やり中葛城山に登れば次善の策の巡行ルートとしては繋がるはずだ。
■北山の龍伝説
http://www.7kamado.net/den_yamato/uti_den4.html(残念、2024/11/15現在、ナナカマドさんがサイトを閉じられていた)
・・・・・・・・・・・
金剛山の南麓、北山村には、昔、大龍がすんでいて、村を荒らしまわった。或日、一人の修験者が、龍を退治しようとして、祈りをはじめた。一天にわかにかき曇って、あらわれ出た大龍は、今にも修験者に飛びつこうとすると、修験者は、手に持った数珠を振り上げて、ハッシと投げつけた。龍は忽ち天へ逃げ上がろうとしたが、身が三つに切れて、ぱたりと地上におちた。
村人はよろこんだが、龍の祟りをおそれて、龍の頭の落ちた所に龍頭寺、胸の落ちたところに龍胸寺、尾の落ちた所に龍尾寺と、三つのお寺を建立して、龍を厚くとむらったと云う。今は寺のあとかたもないが、修験者の祈祷した場所を法願田と云い、龍の胸の落ちた所を胸が段と云っている。又、三つの寺の佛像は、今でも国宝として、北山村の草谷寺に残っている。(吉川星一)
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■参考サイト(ショウタンさん)
https://www.syotann.com/soukokuji.html
最新!https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-7291229.html
■コースタイム
8:20 吉野口駅
9:00 北宇智駅/165m
9:16 久留野分岐道標
9:25 地福寺分岐・自販機/250m
9:34 久留野御霊神社/297m■休憩 9:46
9:53 山麓線通過
9:59 近畿自然歩道道標
10:02 近畿自然歩道道標/330m
10:05 久留野峠道分岐/349m(GPS標高は357m)
10:19 北山東谷
10:25 草谷寺・経文塚見学/310m■休憩 10:50
11:01 北山西谷尾根取付【葛城28宿経塚巡行道標】/360m
11:16 棚田■昼食1休憩 11:37
--------元草谷寺跡、元草谷寺跡、龍頭塚、龍胴塚
11:44 植林帯物置小屋【龍頭塚道標】/450m
12:00 谷道分岐【龍頭塚道標】/570m
12:05 元草谷寺跡
12:08 竜頭塚見学/610m■休憩 12:31
12:34 「北山」ペイント分岐
12:36 鳥居下ブッシュ撤退
12:39 「北山」ペイント分岐
12:40 高天岸野神社分岐
12:43 高天岸野神社見学/650m■休憩 13:06
13:09 尾根道復帰・古川山小台地【高天岸野神社・龍胴塚道標】/620m
13:19 神社真上の谷渡【龍胴塚道標】/670m
13:35 コンター750炭焼場跡?水平道/750m■休憩 13:45
13:46 コンター750屈曲点【龍胴塚道標】/750m
13:51 コンター800付近、広い尾根
13:55 コンター820水平道に出合う【葛城28宿赤札・龍頭塚道標】赤札修復
13:57 龍胴塚見学/830m 14:03
14:04 コンター820水平道探査■休憩 14:09
-----下山
14:04 コンター820水平道探査■休憩 14:09
14:15 コンター750水平道、探査 14:20
14:29 高天岸野神社真上の谷渡
14:34 古川山小台地■休憩 14:41
14:42 高天岸野神社分岐
14:44 龍頭塚下
14:46 古草谷寺跡
14:51 谷道分岐/570m
14:58 棚田上■昼食2休憩 15:15
15:23 北山西谷道路着地/360m■休憩 15:2
15:36 草谷寺下
15:42 地蔵
15:46 山麓線通過/240m
15:57 越智自治会館
16:12 京奈和自動車道通過
16:17 金剛山道道標/143m
16:29 商励商店街/114m
16:35 五条駅
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■2024/11/15【復刻版】作成
対応元記事は;
https://stellabyhydra.blog.fc2.com/blog-entry-307.html
https://stellabyhydra.blog.fc2.com/blog-entry-308.html
https://stellabyhydra.blog.fc2.com/blog-entry-309.html
過去天気図(気象庁) | 2016年07月の天気図 |
---|---|
アクセス |
利用交通機関:
電車
|
写真
■参考マップ
国土地理院5万図「五條」から、北山付近(昭和33年要部修正測量)
出典はショウタンさんのサイト
https://www.syotann.com/soukokuji.html
割り出したチェックポイント。ほぼこの通りであった。ショウタンさんに感謝
国土地理院5万図「五條」から、北山付近(昭和33年要部修正測量)
出典はショウタンさんのサイト
https://www.syotann.com/soukokuji.html
割り出したチェックポイント。ほぼこの通りであった。ショウタンさんに感謝
■参考マップ
中野榮治「葛城の峰と修験の道」より久留野峠付近
点線、破線が、それぞれ、室町初期、江戸前期の行者道。実線は現代の行者道。
草谷寺跡から×区間はともかく、ダイトレまでのルートが気になる。
中野榮治「葛城の峰と修験の道」より久留野峠付近
点線、破線が、それぞれ、室町初期、江戸前期の行者道。実線は現代の行者道。
草谷寺跡から×区間はともかく、ダイトレまでのルートが気になる。
近鉄吉野口。はじめてこの駅に降りてみた。近鉄吉野線からJR和歌山線への乗り換え、JR北宇智ではICカードが使えないので、ここでJR切符を買わねばならない(当時)。近鉄2ホーム、JR3ホームがあり、往時は重容な結節点だったのだろう(今も?)。なかなかひなびた感じと同時に力強さも感じられてで好ましい。JRで来ても、西大寺まわり近鉄で来ても、北宇智の駅には9:00になることがわかったので、また使おうと思う。
近鉄特急も止まる。小学生の団体が乗って行った。遠足だろうか?特急に乗って行く時代か。
近鉄特急も止まる。小学生の団体が乗って行った。遠足だろうか?特急に乗って行く時代か。
9:25、もう久留野に入った。小さな工場の前に地福寺への分岐があるのだが、ここで地福寺を行くかどうか少し悩んだ。結局、出発時刻も遅いので、地福寺見学は後にする。暑いので早く森に入りたいというのもある。なお、小さな工場の前に自販機があるので利用できるだろう。
9:33、神社が見える。神社は、御霊神社。
9:33、神社が見える。神社は、御霊神社。
9:34,御霊神社。
五條、旧宇智郡にはなんと、御霊神社が20社以上もある。これは、当地にゆかりのある井上内親王の怨霊鎮護のためであると。藤原百川の策謀により、罪を被せられ、幽閉先の当地で不審の死を遂げられたのも暗殺ではないかとされている。詳しくは、ななかまどさん。
五條、旧宇智郡にはなんと、御霊神社が20社以上もある。これは、当地にゆかりのある井上内親王の怨霊鎮護のためであると。藤原百川の策謀により、罪を被せられ、幽閉先の当地で不審の死を遂げられたのも暗殺ではないかとされている。詳しくは、ななかまどさん。
本殿のすぐ裏が山麓線だったのだが、何を思ったか、鳥居まで戻って別の道を上った。やっとここに着いたのが9:53。7分かかった。すぐ下に鎮守の森が見えているので直接歩いてきたら1分で済むところだったのに。
今歩いている道は「近畿自然歩道」らしく、角に道標が2つ連続してあった。更に上に登って行き、牛舎を越えると、久留野峠道の入り口に来る。でもまだ;林道なのだが、ここには大きな石碑があった(10:05)。
ひとつは、白高大明神。もう1つ(1組)は、庚申さんと天津彦大神
ひとつは、白高大明神。もう1つ(1組)は、庚申さんと天津彦大神
ボクはこの谷(クソマル谷)には入らずに、山麓のトラバース道を北山に行く。ほとんど水平で静かな道なのだが、見晴らしは全くない。さらに、路傍の樹木や野草がキレイなわけでもない・・・この道も「近畿自然歩道」だったが、あまり管理されているようには見えなかった。
10:19、北山の集落に入ると、一転して見晴らしがよくなった。古い地図では、北山東谷というところだ。
10:19、北山の集落に入ると、一転して見晴らしがよくなった。古い地図では、北山東谷というところだ。
■草谷寺
宗派: 高野山真言宗
本尊: 薬師如来坐像(重要文化財)
創建: 不明
開基: 役行者(伝)
数々のお宝が収蔵されているが、専用の収蔵庫に保管されていて公開されていない。近年で公開されたのは2010年だったか?
宗派: 高野山真言宗
本尊: 薬師如来坐像(重要文化財)
創建: 不明
開基: 役行者(伝)
数々のお宝が収蔵されているが、専用の収蔵庫に保管されていて公開されていない。近年で公開されたのは2010年だったか?
ピカピカの扁額の横には「本尊 薬師如来 北山村 龍尾寺」の記載がある板がはられていた。この「龍尾寺」というのが草谷寺のルーツだろうか?よく読めないが、「●●谷●へ九丁」というのは、どういう意味があるのだろうか?
お墓の上の林に入って行くと「経文塚」はすぐに見つかった。石碑の裏には「遺蹟保存 昭和丙午・・・」と彫ってある。
昭和の丙午は昭和41年。比較的新しそうだが、信者や土地の方々が伝説を紐解いて伝承の地を保存しようとしたものか。
あとで気がついたことなのだが、この「経文塚」の他に「龍尾塚」というのも近くにあったらしい。経文塚の裏面の文字に気が行って、他のことに頭が回らなかった。どんだ「竜頭蛇尾」だ。まあ、また来ることもあるだろう。
それにしても、暑い!できるだけ風通しの良い所に座って、また休憩。風は涼しいのだが・・・
昭和の丙午は昭和41年。比較的新しそうだが、信者や土地の方々が伝説を紐解いて伝承の地を保存しようとしたものか。
あとで気がついたことなのだが、この「経文塚」の他に「龍尾塚」というのも近くにあったらしい。経文塚の裏面の文字に気が行って、他のことに頭が回らなかった。どんだ「竜頭蛇尾」だ。まあ、また来ることもあるだろう。
それにしても、暑い!できるだけ風通しの良い所に座って、また休憩。風は涼しいのだが・・・
10:50、そろそろ登らないと「午後から登山」になりそうだ。これから小さな派生尾根を越して、西谷エリアに入り、そこから尾根に取り付く。それまで車道の登りだ。
10:56、派生尾根の上まで農地が広がっている。ここで標高が330mくらいだ。
10:56、派生尾根の上まで農地が広がっている。ここで標高が330mくらいだ。
あまり通行がないらしく、道は荒れている。11:04、ブッシュ気味の道を登っていると、いきなり目の前をバババババっとバイクが通り過ぎていった。そこには立派な道があって、上の田んぼの耕作者がバイクで下っていったのだった。登山道でも何でもなく、れっきとした農事用の道だ。下りはバイクも下れると思うけど、登れるんかいな?と思うくらいの山道だ。
11:40、棚田を越えて、植林帯に入る手前が絶景ポイントだった。ここへ来て昼食とすればよかったんや。水はパイプで引いた沢水がバンバン流れている。絶好の休憩場所だった。文句なしの絶景だ。
尾根の東側をゆっくり登っていく。下生えも少なく歩きやすい道だ。動いているとそうでもないが、止まると一気に虫が寄ってくる。
12:00、谷道が分かれていった。ボクは道標に従って左の尾根の方に上がっていく。
12:00、谷道が分かれていった。ボクは道標に従って左の尾根の方に上がっていく。
道は全く平坦なので龍頭塚のあることを忘れてどんどん進み、これはいかにも行き過ぎというのに気がついて引き返した。
このあたりが怪しそう、ということで上ってみる。結果は正解だった。
写真は後で、「北山」とペイントされたヒノキに枝を立てかけたもの。
このあたりが怪しそう、ということで上ってみる。結果は正解だった。
写真は後で、「北山」とペイントされたヒノキに枝を立てかけたもの。
龍頭塚を守るように、そのマウンドの全面に宝永七年の「奉廻向・・・」の石碑があった。六十六という数字が読める。66回巡行修行をして、その功徳を衆生にも廻向するということだろうか。
下の石碑の傍らにヒデが落ちていた。
下の石碑の傍らにヒデが落ちていた。
龍頭塚を降りて、12時半ころまでゆっくり休憩。風は結構涼しい。
龍頭塚から100mばかし歩くと分岐が出た(11:34)。「北山」とペイントがある。さてどうしたものか?とりあえず下の道を行ってみる。
龍頭塚から100mばかし歩くと分岐が出た(11:34)。「北山」とペイントがある。さてどうしたものか?とりあえず下の道を行ってみる。
すぐに沢の水音がしてきて、1〜2分でに沢にぶち当たり、倒木で進めなくなった。隙間から鳥居が見える。木をくぐって進めそうだが、まさかこれが本参道とは思えない。他に参道があるはずだ。しかし、よく見ると、岩を穿ってステップを作ったような跡があったので、一時期はここも参道だったのだろう。ここからナナメ上に上がるとちょうど鳥居の前に出る位置関係で、自然な歩み方だ。
社殿の後ろは崖になっていてちょっとした岩もあった。一部が崩落していたが・・・社殿の前には立派な小屋が建っている。これも新しいもののようだ。ここで、信者さんや地元の方がお参りをするのだろう。社殿の横にはナベカマも置いてあった。ここで一夜の宿をお借りするのもいいだろう。
水は社殿の脇の沢に豊富に流れている。少し登ってみたがまもなく涸れ沢になったので、この社殿の位置が実質的な水源になるのだろう。
古くから市杵島姫を祀るとの伝があり、江戸初期には岸野弁財天と呼ばれたそうだ。水源に位置することから水の神が原初的な神だろう。草谷寺の奥の宮として祀られたとの説もある。
高天岸野神社
http://www.geocities.jp/engisiki/yamato/html/030808-01.html(廃止)
http://kamnavi.jp/it/kinki/takaamaki.htm
水は社殿の脇の沢に豊富に流れている。少し登ってみたがまもなく涸れ沢になったので、この社殿の位置が実質的な水源になるのだろう。
古くから市杵島姫を祀るとの伝があり、江戸初期には岸野弁財天と呼ばれたそうだ。水源に位置することから水の神が原初的な神だろう。草谷寺の奥の宮として祀られたとの説もある。
高天岸野神社
http://www.geocities.jp/engisiki/yamato/html/030808-01.html(廃止)
http://kamnavi.jp/it/kinki/takaamaki.htm
台地の少し上には【龍胴塚 ダイヤモンドトレール】という案内板があった。ダイトレまでちゃんと行けるんや!
この尾根の東側にも降りる道が付いていた。おそらく、元草谷寺跡の尾根に向かう分岐のところに出るのだろう。多分これが高天岸野神社への正規の参道なのだろう。ここは風通しもよく、よい休憩場所だ。虫さえいなければ・・・・
この尾根の東側にも降りる道が付いていた。おそらく、元草谷寺跡の尾根に向かう分岐のところに出るのだろう。多分これが高天岸野神社への正規の参道なのだろう。ここは風通しもよく、よい休憩場所だ。虫さえいなければ・・・・
13:19、7,8分歩くと、枯れた谷を渡るところに来た。道が崩れているが、そう大きなギャップもなく安心して横切れる。ちょうどアオキの枝が降りてきているので、それにつかまりながらヘツッた。
今までのところの概念図をまとめておいた。距離は正確ではないが、まあ、概念図ということで。
地理院地図を切り出し、書き込みした。
太い実線:歩いた道
破線-----:予想の道
■:案内板
☓:旧跡
650等数字:標高m
地理院地図を切り出し、書き込みした。
太い実線:歩いた道
破線-----:予想の道
■:案内板
☓:旧跡
650等数字:標高m
13:35、辛坊たまらず一息入れる。ちょうど炭焼き場跡のような凹地になっていた。ちょうどカーブの突端にあたり、心地良い風が吹き抜ける。木に白ペイントがある。
まてよ、道がカーブして北に向かう辺りは、もうすぐキックターンして登りにかかるあたりか。
まてよ、道がカーブして北に向かう辺りは、もうすぐキックターンして登りにかかるあたりか。
ここからキックターンして尾根に登っていく。
登り切った尾根はだだっ広い尾根で、小さな谷側を登るがその谷も広すぎて、ほとんど平坦地だ。
古い国土地理院5万図では、標高800m付近を破線路がトラバースしているが、道の痕跡らしきものは見られなかった。造林地なので訳もわからなくなるだろう。
登り切った尾根はだだっ広い尾根で、小さな谷側を登るがその谷も広すぎて、ほとんど平坦地だ。
古い国土地理院5万図では、標高800m付近を破線路がトラバースしているが、道の痕跡らしきものは見られなかった。造林地なので訳もわからなくなるだろう。
13:55、コンター820付近で水平道に出合い、【葛城28宿赤札】と【龍頭塚】道標が出た。
【龍頭塚】は「ここから降る」を指示しているのだろう。ということは、中葛城山か、または違う場所(上から)からここに降りてくることも想定しての道標だろう。おそらく鉄山氏のものだろうが、ポイントとなるところに設置してあり、必要にして十分、無駄がない。「何も足さない、何も引かない」とはこのことだろう。山屋としたら、ベストパフォーマンスだ。最近の山名板や赤テープ、三角点名板は目に余るものがあるのでね。
【龍頭塚】は「ここから降る」を指示しているのだろう。ということは、中葛城山か、または違う場所(上から)からここに降りてくることも想定しての道標だろう。おそらく鉄山氏のものだろうが、ポイントとなるところに設置してあり、必要にして十分、無駄がない。「何も足さない、何も引かない」とはこのことだろう。山屋としたら、ベストパフォーマンスだ。最近の山名板や赤テープ、三角点名板は目に余るものがあるのでね。
13:57、龍胴塚は、【葛城二十八宿】赤札から上に少し登ったところにあった。標高830m近く、そこまで明らかな踏み跡があった。
裏面。遺蹟・・・と読める。おそらく、龍尾塚、龍頭塚と同時に作られたものだろう。
裏面。遺蹟・・・と読める。おそらく、龍尾塚、龍頭塚と同時に作られたものだろう。
虫が多いので写真だけ撮って、先ほどの水平道まで降る。こことて、虫が多いのだが・・・
さて、820m付近のトラバース道、国土地理院の破線路は800m付近を通っているのだが、20mくらいの誤差はあるだろう。多分、破線古道がこれだろう。クルマの通れそうなよい道だ。もっとも、植林帯なので、造林用の道の可能性もあるが、古道が残っていたならば、それはうまく活用するのが普通だろう。
この写真は西向き。
さて、820m付近のトラバース道、国土地理院の破線路は800m付近を通っているのだが、20mくらいの誤差はあるだろう。多分、破線古道がこれだろう。クルマの通れそうなよい道だ。もっとも、植林帯なので、造林用の道の可能性もあるが、古道が残っていたならば、それはうまく活用するのが普通だろう。
この写真は西向き。
これは東に行ってみた写真。小さな谷を降りる感じで道が続いていた。 久留野峠道の三本松から続いているであろう破線路の可能性が強い。次回はこのトラバース道を歩いてみようと思う。しかし、夏場は飛ばして、秋か春にね。ちょっとおもしろくなってきた。
少し西に入りカーブするあたりまで行ってみた。すばらしい道だ。
もう2時を過ぎた。残念ながら今日は下山しないといけない。山麓の里まで1時間、五條まで1時間とすると、途中で休憩も挟んで3時間近くかかるだろう。5時には五条駅に着きたい。なにしろそこから家まで3時間くらいはかかるので。トラバース道は今後の楽しみだ。
もう2時を過ぎた。残念ながら今日は下山しないといけない。山麓の里まで1時間、五條まで1時間とすると、途中で休憩も挟んで3時間近くかかるだろう。5時には五条駅に着きたい。なにしろそこから家まで3時間くらいはかかるので。トラバース道は今後の楽しみだ。
14:09、下山開始。尾根、谷がなだらかすぎて、すぐルートを踏み外してしまう。
14:13、西に向いて降る辺りでルートに復帰したと思ったら・・・すぐ踏み外して、登りで休憩した炭焼き場跡らしい場所に下ってしまった。
14:13、西に向いて降る辺りでルートに復帰したと思ったら・・・すぐ踏み外して、登りで休憩した炭焼き場跡らしい場所に下ってしまった。
さらにおまけ。宇智野の情景としておこう。
宇智野は吉野川の手前だが、この風景を見ていると、大峰縦走や奥駆のあこがれに留まらず、宇智野から吉野川を越えて、葛城と大峰に挟まれた吉野あたりの人々の暮らしを感じ、その生活は今もある。雄大な景色だ。
15分ちょっと休憩してさらに下り、15:23 北山西谷の道路に着地した。谷口には水源設備があったので、そのおこぼれ水をいただき、顔を洗ったり頭を冷やしたり・・・最高に気持ちがよい。15:30くらいまで休憩した。
さて、ここまでは快速で降りてきた。しかしこの後が苦行だった。
宇智野は吉野川の手前だが、この風景を見ていると、大峰縦走や奥駆のあこがれに留まらず、宇智野から吉野川を越えて、葛城と大峰に挟まれた吉野あたりの人々の暮らしを感じ、その生活は今もある。雄大な景色だ。
15分ちょっと休憩してさらに下り、15:23 北山西谷の道路に着地した。谷口には水源設備があったので、そのおこぼれ水をいただき、顔を洗ったり頭を冷やしたり・・・最高に気持ちがよい。15:30くらいまで休憩した。
さて、ここまでは快速で降りてきた。しかしこの後が苦行だった。
15:34、北山東谷の草谷寺を見下ろす。お寺は見えない。
そういえば、草谷寺の参道前あたりに駐車場ができていた気がする。市営駐車場らしく、トイレのような建物もあったが未確認。
この下りはなかなか急である。ジグザグ歩行で降りて行く。おまけに風が無くなって暑いのなんの!山道の方がよほど歩きやすかった。苦行の始まり。
そういえば、草谷寺の参道前あたりに駐車場ができていた気がする。市営駐車場らしく、トイレのような建物もあったが未確認。
この下りはなかなか急である。ジグザグ歩行で降りて行く。おまけに風が無くなって暑いのなんの!山道の方がよほど歩きやすかった。苦行の始まり。
16:17、金剛山道の石碑。
石碑の後ろには文化三年の銘がある。
右に行って、近内、古和経由の道を指しているのか分からないが、まっすぐの道で、北山東谷の奥、あるいは久留野から三本松経由で久留野峠に至り、金剛山に登ったものとも考えられる。
https://yamap.com/activities/35932028/article#image-493756014
石碑の後ろには文化三年の銘がある。
右に行って、近内、古和経由の道を指しているのか分からないが、まっすぐの道で、北山東谷の奥、あるいは久留野から三本松経由で久留野峠に至り、金剛山に登ったものとも考えられる。
https://yamap.com/activities/35932028/article#image-493756014
感想
【結果】
草谷寺の経文塚、元草谷寺跡、龍頭塚、高天岸野神社、龍胴塚と、一応の目的は達成した。ただし、草谷寺の経文塚の他に「龍尾塚」があるはずだが、当日は見つけられなかった(忘れていた)。これについては更に挑戦する。
あと、結構重要な発見だと思うのは、1)国土地理院5万図の、三本松から中葛城山の西のコルに向かうトラバース破線路に沿って立派な道が付いていたこと。2)コンター700付近の屈曲点かか西に谷を回っていくようなトラバース道もあった。この道らしきものが、中野榮治著「葛城の峰と修験の道」にある元草谷寺跡から谷を播いていく巡航道ではないかと考えられるのだ。ただし、その詳細探索は秋以降だ。夏場は虫、ヒル満載で、歩く気が失せてしまった。楽しみに取っておこう。
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