岡山市北区御津 久保城跡〜九谷八幡様〜金高城跡 史跡&動植物


- GPS
- 04:08
- 距離
- 9.0km
- 登り
- 323m
- 下り
- 325m
コースタイム
- 山行
- 3:43
- 休憩
- 0:24
- 合計
- 4:07
歩行距離9km、歩行時間3時間45分、歩行数14,600歩、消費カロリー950Kcal
天候 | 曇り後時々晴れ |
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過去天気図(気象庁) | 2025年03月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
なお、常在寺の駐車場は寺に用のない人は駐車禁止です。日蓮宗不受不施派の寺院なので、檀家以外は利用不可だと思います。 |
コース状況/ 危険箇所等 |
危険箇所はありません。九谷(くだに)八幡様<写真31>から金高(きんたか)城跡東曲輪<写真36〜38>を経て北西の地形図の破線の道に出合うまでは道ではありませんが、ヤブコギはわずかですみました。 九谷(くだに)八幡様<写真31>から金高(きんたか)城跡<写真32〜38>のある尾根までは、一部ヤブコギしました。 九谷(くだに)八幡様<写真31>から北西に延びている土道に入ると、しばらくして突然前方が倒木地帯となりました。西方向の植林帯にある木が数本切り倒され、こちらに向かって転がってきています。とりあえず北に向かい、足元はよく見えないので、なるべく倒木の上を歩き東に進んで脱出、標高130mを切った辺りで道に出ました。そこから東に進むと、万坂池(まんざこいけ)<写真30>の北西端で南から延びてきたきれいな土道に出合いました。池の畔を一周する道があるようです。 池の北西端から北上する道は明らかに細く怪しげでしたが、足元は気にせず歩けました。しかし、標高125m辺りで急に周辺が少し開け、ちょろちょろ流れをまたぐとすぐヤブに突入。足元は幅30cm程のちょろちょろ流れが続いており、ぐちゃぐちゃでした。蔓などをよけて北東に進むとすぐに脱出成功しましたが、またすぐにつる性のヤブに突入し、やはり足元はちょろちょろ流れがありました。そのまま北上し蔓をくぐり抜けてすぐに東によじ登ると、水はなくなり、標高130m手前でヒノキの植林帯に入りました。 雨上がりで少し崩れやすい斜面ですが、木を掴まなくても登れ、すぐにマシになりました。標高180mの尾根まで上がってくると、これまでとは一転、非常に歩きやすくなりました。 金高(きんたか)城跡<写真32〜38>のある尾根から東曲輪<写真36〜38>を経て北西の地形図の破線の道に出合うまでは、道ではありませんがほぼかき分けずに歩けます。 城跡のある尾根には明瞭な道はありませんが、落葉樹の雑木林のようで、細い木を切った跡があり、明らかに人が歩いています。急な下りもありましたが、木を掴めるので安心です。金高(きんたか)城跡西曲輪の竪堀上部<写真32>からすぐ東、標高250mを超えるとササがまばらに茂り始め、以後、東曲輪<写真36〜38>まで断続的に続きました。 西曲輪<写真32〜35>から尾根上を南東に下ると、赤いビニールテープがあり、東曲輪<写真36〜38>までにもう1回、見かけました。鞍部から東曲輪に向かって北上する斜面は地形図で見るよりも急ですが、木を掴まなくても登れます。 東曲輪<写真36〜38>から赤いビニールテープを探さないまま一か八か北西に下りることにしました。斜面が急で足場が不安定ながらも手でかき分けるほどのヤブはなく、木を掴みながら下れます。標高170mを切るとツツジ類の細枝が体に当たるようになりますが、邪魔にはなりません。 標高110m辺りからササなどが茂り始めましたが、たまに片手でよけるくらいですみ、地形図の破線の道南端辺りで土道に出合いました。周辺は墓地で、この道はさらに南に延びていました。土道はすぐにコンクリート道になり、スムーズに麓まで下りることができました。 |
その他周辺情報 | 出発点の北、宇甘(うかい)川対岸にくぼ農園があります。直売所は10〜17時で1〜6月は水曜定休です。この時期は収穫体験はありませんが、土日祝限定で餅つき開催中です。 |
写真
装備
個人装備 |
長袖シャツ
ズボン
靴下(厚手)
防寒具
手袋(防水加工)
軍手
雨具
日よけ帽子とフード
雨用帽子
登山靴(防水加工)
靴ひも予備
ザックカバー
地形図
コンパス
マップケース
筆記用具
タオルハンカチ
カメラ
飲料水(スポドリ&茶)
水筒(保温)
非常食(栄養補助食品)
スマホ(地図アプリ使用)
eTrex22x(GPSナビゲーター)
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感想
【御津紙工&御津宇甘の花と史跡巡り】
今年は多くの花の開花が2週間程遅れています。この日はすでに3月半ばでしたが、岡山市北区御津(みつ)地域では2月に見られる梅の花などがまだ見られるだろうという期待感がありました。また、岡山県古代吉備文化財センターの「岡山県中世城館跡総合調査報告書」によれば、他地域との境界上も含めて確認できる山城跡が20ヶ所、遺構が不明なものが11ヶ所もあり、山城王国といわれています。今回は、梅の花や山城跡を見るために御津紙工と御津宇甘を周遊しました。
さて、御津紙工の“紙工”ですが、なんと読むのでしょうか?岡山市民でも知らない人が多いこの地名は“しとり”と読みます。周辺に鼻紙を製造する職人が多く住んでいたことから、紙の加工を意味する“紙工”が地名になりました。江戸時代に編纂された『吉備温故秘録』には、編纂当時に現在の紙工地区に含まれている久保、紙工、天満の集落を紙工三ヶ村としていたことが記されています。
宇甘渓(うかんけい)の紅葉で有名な宇甘(うかい)川が貫流する紙工には、岡山市指定重要文化財の「河原邸」や体験農園として知られている「くぼ農園」などの観光スポット、また、川の北には久保城跡<写真17>があります。一方、御津宇甘(うかい)は御津紙工の南東隣に位置し、御津河内との境界にまたがりジェラートが人気の「まつだ牧場」、紙工との境には金高(きんたか)城跡<写真32〜38>があります。
コース上に山名のある山はありませんが、山城跡のある紙工と宇甘の境界尾根はとても歩きやすく、山城らしいロケーションでした。ただし、尾根に上がるまでの取り付き点や尾根から下りるルートがよく分からず、行き当たりばったりのアドベンチャーコースを楽しむことができました。
【セツブンソウ満開!】
今回、先にセツブンソウの群生地<写真01〜07>を訪問しました。セツブンソウはキンポウゲ科の植物で、春先にいち早く芽を出し節分の頃開花するといわれています。岡山県では準絶滅危惧種に指定されており、群生地はたいてい保護されています。今回の訪問地もそうで、立ち入り禁止となっており管理の方の許可をいただき立ち会いの下、見学が可能です。たまたま気づいてくださったようで、「セツブンソウ見に来たんじゃろ」と声をかけてくださり、おかげさまで近くで観賞できました。20年程前に訪問した際には、たまたま後ろから管理の方が来られ、南京錠を開けて立ち会ってくださったので観賞できたことを思い出しました。ここは管理の方がおられるとは限らないので、運がよかったです。
通常の開花時期は2月中旬から3月中旬といわれていますが、開花が2週間程遅れたおかげで、3月半ばでもギリギリ満開の状態でした。セツブンソウの白い花弁のように見えるのは萼で、通常は5枚ですが、八重もあります。中心部の青いのがおしべの葯で、紫色の平たい棒状に見えるのがめしべです。黄色いのが花で、ほとんど蜜腺だけになっており花の体をなしていません。雨が上がったばかりで、白い萼が透き通って見える花がほとんどでした。これはこれで美しいのですが、おそらくそろそろ終わりでしょう。
セツブンソウには気品という花言葉がつけられています。この日の透明感のあるセツブンソウはまさに気品に溢れ、高貴な花でした。
山行開始後は白梅を中心に梅の花もたくさん見られました。白梅は例年だと2月下旬から3月上旬が開花時期なのですが、この日のセツブンソウ同様、3月半ばでも満開でした。実は白梅の花言葉も気品です。確かに、まだ寒いうちから咲き始める白い花は凛として美しいです。
本日の花見ではリッチな気分に浸ることができました😊
【山城王国御津】
冒頭で述べましたように、御津は山城王国です。今回は最初に御津紙工(しとり)の大守八幡宮南西にある久保城跡<写真17>を訪問しました。大守八幡宮<写真16>から砂利道を少し下ると、浄源庵跡碑のある平坦地があります。このすぐ北東に道を挟んで左右に堀切があったようですが、気づきませんでした。詳細不明の城跡で、岡山県古代吉備文化財センターの「岡山県中世城館跡総合調査報告書」によれば、浄源庵跡碑の背後に見えるこんもりした部分も曲輪だそうです。メインはこの石碑のある周辺の平坦部だろうと思います。
浄源庵は日蓮宗不受不施派の僧・日義が開き、寛文6年(1666年)に廃寺になりました。石碑から階段を下り始めてすぐに右側に立派なお墓がありましたが、同じく日蓮宗不受不施派の僧・恵教院日慈の供養塔だったのかもしれません。八重の房咲き水仙<写真18>撮影地点のすぐ下に「恵教院様参道」の石碑がありました。恵教院日慈は長らく痔を患い、死後は自分のような者を救いたいと言い残して亡くなったそうです。以来、その供養塔は下半身の病に効くと評判だとか。
ちなみに、御津金川には日蓮宗不受不施派の総本山妙覚寺があり、信徒以外立ち入り禁止の立て札が立てられています。不受不施派は、信徒以外からは施しを受けたり法を施したりしないという一派で、その排他性からひどい弾圧を受けた過去があります。さすがに現在は信仰の自由が保障されているので、教えをきっちり守っている信徒が大勢おられることでしょう。恵教院様も信徒以外はお参りしてもご利益がなかったりして😅
あまり知られていませんが、歴史的に味わい深い城跡でした。
久保城跡<写真17>を出て、しばらく宇甘(うかい)川沿いを梅の花を見ながら歩き、山野神社<写真23〜28>に参拝した後、南西に延びている舗装道路を進み、万坂池(まんざこいけ)<写真30>の西に鎮座する九谷(くだに)八幡様<写真31>に参拝しました。さて、問題はここからです。金高(きんたか)城跡<写真32〜38>のある尾根に上がるルートがよくわかりません。地形図上の万坂池周辺の道はどれもきれいで池の畔を一周できるようです。
とりあえず、九谷(くだに)八幡様<写真31>から北西に延びている土道に入ってみました。グーグルマップの航空写真では、この西に南北に延びている尾根上に明らかに林道と思われる線が見えています。この林道に入って北上し、城跡のある尾根に入れるのではないかと考えていました。
しかし、突然前方が倒木地帯となりました。目指したい西方向に植林帯が見えますが、なんと、木が数本切り倒され、こちらに向かって転がってきているのです。西は諦め、とりあえず北に向かうことにしました。
足元はよく見えないので、なるべく倒木の上を歩き東に進んで脱出、標高130mを切った辺りで道に出ました。やれやれと東に進むと、万坂池(まんざこいけ)<写真30>の北西端で南から延びてきたきれいな土道に出合いました。ちょっと迂回しただけかい😅
池の北西端から北上する道は明らかに細く怪しげでしたが、足元は気にせず歩けました。しかし、標高125m辺りで急に周辺が少し開け、ちょろちょろ流れをまたぐとすぐヤブに突入😅しかも、足元は幅30cm程のちょろちょろ流れが続いており、ぐちゃぐちゃです。足元を見ながら上の蔓などをよけて北東に進むとすぐに脱出成功😊気を抜く間もなくまたすぐにつる性のヤブに突入。しかも、やはり足元はちょろちょろ流れ😅前方に植林帯は見えているので、このまま北上し蔓をくぐり抜けてすぐに東によじ登ると、水とはおさらばでき、標高130m手前で念願のヒノキの植林帯へ😍雨上がりで少し崩れやすい斜面ですが、木を掴まなくても登れ、すぐにマシになりました。
標高180mの尾根まで上がってくると、これまでとは一転、非常に歩きやすくなりました。明瞭な道があるわけではないのですが、落葉樹の雑木林のようで、細い木を切った跡があり、明らかに人が歩いています。急な下りもありましたが、木を掴めるので安心です。しばらく尾根上を散策気分で歩きました。岡山県古代吉備文化財センターの調査隊もここを歩かれたのかもしれません。
急に石埋まりが増えてくると、どうやら金高(きんたか)城跡西曲輪の竪堀上部<写真32>だったようです。石はこの周辺だけで遺構かどうかはわかりません。ここからすぐ、標高250mを超えるとササがまばらに茂り始め、以後、東曲輪<写真36〜38>まで断続的に続きました。
金高城跡は『吉備温故秘録』に古城ありとの記述が見られるものの、詳細は不明です。西曲輪(にしくるわ)<写真32〜35>は西方面を意識したものと考えられています。確かに、切岸や竪堀は西から南に残っていました。
西曲輪から尾根上を南東に下ると、赤いビニールテープがありました。下山は楽勝かもとテンションが上がる連れ。さて、結果は・・・。
西曲輪から東は、特に遺構は確認できなかったそうですが、通路だった可能性が指摘されています。やはり緩やかで歩きやすい尾根で、東曲輪<写真36〜38>までにもう1回、赤いビニールテープを見かけました。
鞍部から東曲輪に向かって北上する斜面は地形図で見るよりも急ですが、木を掴まなくても登れます。東曲輪の直下は切岸で、曲輪頂部は木の間からなんとなく周辺が展望できました。北から東を意識して造作された可能性が高いとのことですが、確認したのは南方面<写真37>😅
北西の明瞭な切岸に腰かけて靴ひもを結び直し、赤いビニールテープを探さないまま一か八か北西に下りることにしました。斜面が急で足場が不安定ながらも手でかき分けるほどのヤブはなく、木を掴みながらどんどん下ります。標高170mを切るとツツジ類の細枝が体に当たるようになりますが、邪魔にはなりません。標高110m辺りからササなどが茂り始めましたが、たまに片手でよけるくらいですみ、地形図の破線の道南端辺りで土道に出合いました。周辺は墓地で、この道はさらに南に延びていたので、例の赤いビニールテープの主はこれを利用されたのかもしれません。土道はすぐにコンクリート道になり、スムーズに麓まで下りることができました。
金高(きんたか)城跡は思っていたより広域に広がっており、遺構がはっきりとした形で見られました。この城跡も久保城跡同様、あまり知られていませんが、御津らしい隠れ城跡のようで探索し甲斐がありました。
セツブンソウ、梅、城跡・・・いずれも訪問する前は見られるか否か不確定要素が多く、出たとこ勝負でしたが、すべて結果オーライとなり、ハッピーエンドでよかったです😊
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