秦野の春:水無川~戸川公園~白泉寺~はだの歴史博物館~出雲大社相模分祠~龍蛇神の社~今泉名水桜公園


- GPS
- 06:15
- 距離
- 15.2km
- 登り
- 200m
- 下り
- 270m
コースタイム
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2025年03月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車
|
写真
1707年(宝永4年)の富士山噴火によって、火山灰は約半月間、降り続き、当時は「砂降り」と呼ばれた。
田畑の耕作土を入れ替える作業「天地返し」が行われ、火山灰が埋められた痕跡が見つかった。
感想
「白泉寺」の枝垂れ桜と「龍蛇神の社」の名水が見たくて秦野へ。
水無川沿いの道では、上流側(戸川公園側)で桜と菜の花のコラボが楽しめました。
▶︎はだの歴史博物館
秦野の歴史と古墳が楽しめます。
【宝永大噴火とタバコ栽培】
秦野の歴史は、宝永噴火なしには語れない。
1707年(宝永4年)、富士山は噴火した。
火山灰は、16日間も降り続き、当時はこれを「砂降り」と呼んだ。
噴火したのは、11月23日、現在の暦でいうと12月16日だから、種まきが済み、麦の芽が出だす頃だ。
秦野では、42~45 cmの火山灰が積もり、麦を始め、畑作物はほぼ壊滅状態。これから冬だというのに薪にも困るし、馬牛にくれるエサさえない。
餓死が決まったようなものだ。
時は、五代将軍綱吉の治世末期。好き勝手な政策で、幕府の財政は火の車状態。悪政の結果の天罰との指摘もあった。
現代も同じようなもので、どうも政治が悪いと、山火事や地震などの天変地異が多発するようだ。
幕府は、早急に火山灰を取り除き、春の種まきに間に合わせるよう指示を出したが、なんせ食べ物がない。幕府の助けもない。
農民たちは、泣く泣く自力で重労働の復旧作業を行なった。
それが「天地返し」と呼ばれる土地改良法である。
表面の上層土とその下の下層土を入れ替える手法で、畑を復活させるには画期的な方法である。ただし、保水力が落ちてしまう。
そこで選ばれたのがタバコの栽培であり、秦野の特産になった。
技術力の高さから全国有数の産地となったが、戦争の影響でタバコ耕作は衰退し、戦後の不況で秦野は活力を失った。
さらにタバコを吸う人が激減したため、昭和59年(1984年)、秦野でのタバコ耕作は完全に幕を閉じるに至った。
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