行田散策:古代蓮の里~さきたま古墳公園~水城公園~忍城跡~行田八幡神社


- GPS
- 07:52
- 距離
- 17.0km
- 登り
- 4m
- 下り
- 4m
コースタイム
- 山行
- 5:54
- 休憩
- 1:58
- 合計
- 7:52
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2025年05月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車
|
写真
横穴式石室に使われた房州石
横穴式石室の天井石は、埼玉県長瀞や比企地域の緑泥石片岩が利用され、壁面は、千葉県富津市の鋸山周辺の海岸から採られた「房州石」が使われている。
横穴式石室の内部の再現
豪華な金製や金銅製の装身具は、朝鮮半島から輸入されたものであることから、埋葬された人たちは、日本と朝鮮半島を結ぶ重要な役割を担っていたと考えられる。
感想
行田市は歴史豊かな街。
古墳時代には数多くの巨大古墳が築かれ、古墳文化が花開いた。
稲荷山古墳からは、「金錯銘鉄剣」が出土されたが、文字記録が少ない古墳時代において、これは日本古代史上、世紀の大発見といえる。
現在、埼玉古墳群は、「特別史跡」に指定されているが、今後、世界遺産に指定されるのも夢ではないかもしれない。
▶︎ 将軍山古墳の横穴式石室
横穴式石室の壁面には、千葉県富津市の鋸山周辺の海岸から採れた「房州石」が使用されている。
凝灰質砂岩の表面には、プツプツした孔があるが、これは貝が棲みこむために空けられたもの。
重量があるため、舟運で輸送されていたようだが、房総地方と強力な政治的つながりがあったことが示唆されている。
▶︎稲荷山古墳の金錯銘鉄剣(国宝)
剣身の表面には57文字、裏面には58文字の計115文字の銘文が金象嵌で刻まれている。
すべての文字が判読可能なこと。
古墳時代の銘文をもつ刀剣類の中でも圧倒的に文字数が多いこと。
これらの理由で、「国宝」に指定されている。
銘文の中にある「獲加多支鹵大王」の大王とは、天皇のこと。また「辛亥の年」とは471年にあたる。
鉄剣の発見によって、この時代、天皇の勢力が関東から九州までの広範囲に及んでいたことが明らかになった。
【115文字の現代語訳】
辛亥の年七月中に記す。
わたしの名前は、ヲワケの臣。
わたしの先祖は代々、杖刀人首を務め、
ワカタケル大王が天下を治めるのを補佐してきた。
大王の朝廷(住まい)が、シキの宮におかれている時、わたしは政治を補佐したが、ここに百錬の利刀を作らせ、これまで大王にお仕えしてきた経緯を書き留める。
杖刀人首(じょうとうじんのしゅ)=大王の護衛官の長
獲加多支鹵大王(わかたけるおおきみ)=『日本書紀』に記された雄略天皇
コメント
この記録に関連する登山ルート
この場所を通る登山ルートは、まだ登録されていません。
ルートを登録する
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する