槙山・砲台跡を巡る


- GPS
- 06:00
- 距離
- 15.6km
- 登り
- 1,319m
- 下り
- 1,314m
コースタイム
- 山行
- 5:02
- 休憩
- 0:59
- 合計
- 6:01
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2025年07月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
青井峠への道は道形なし、槙山山頂域・金ヶ崎三角点付近は旧陸軍の砲台跡 |
その他周辺情報 | たかお温泉光の湯\900 |
写真
感想
真夏の低山は命の危険がある。舞鶴市の最高気温は連日37℃を記録し、午前中に頑張ろうと京都を3時半頃に出発した。登山口の青井集落奥の青井川沿いの林道の傍らに車を止め奥へと進んだ。直ぐに林道終点となり青井峠への道が始まるが、指導標に「青井・蒲生往還山路」とあった。登山道に踏み出すと直ぐに道形が無くなり谷筋の歩き易い処を進んだ。大きな町へ通じる道ではなく半島の東岸と西岸を結ぶ峠道とあっては、昔もそれ程の交通はなかったのだろう。
青井峠を目指し高い処を目指して登って行くと峠より上の方に乗り上がってしまった。峠の様子を見たかったので下って行ったが峠らしい痕跡は一切なく越えている筈の道も見出せなかった。稜線の真ん中に2m近い石柱なのか人工物が転がっていた。東北東に進み高度を稼ぐと4等三角点「神崎」(361m)のピークに達した。グーグルマップには由良城址とされているが痕跡は何もなく詳細は分からない。方向を変えて西に進み標高を120m程上げると槙山西峰(483m)に達した。電波塔があるだけで展望は得られなかった。
東に少し進むと槙山山頂域に到り、また電波塔があり直ぐ東側の開けた所からの展望が素晴らしく、丹後半島や栗田半島が一望でき南側では舞鶴市街や五老岳(301m)、遠く弥仙山(664m)の鋭鋒まで望むことができた。此の辺りから要塞地帯で砲台の跡や下部の弾薬庫等の施設が残されていた。槙山砲台は、舞鶴鎮守府によって明治33年(1900)に葦谷、浦入、金岬の砲台、武部山、吉坂の堡塁と共に設置され合計10基の砲が置かれた。昭和3年(1928)には要塞整理で葦谷、浦入の両砲台を除いて廃止され伊根町の新井崎砲台が新たに設置・集約された。
槙山(485m’)山頂はハングライダーの離陸場があり丹後半島の展望が開ける。愛好者にとっては海に向かって飛び出すスリルが何とも言えないのだろう。作業道を少し下り最初のヘアピンカーブの地点から斜面を這い下り南東方向にある槙山南峰(480m)に足を伸ばした。3等三角点「深多尾」があり傍らには気象庁のレーダーが設置されていた。重要施設なのかフェンスは二重で監視カメラも多数設置されていた。作業道を歩いて槙山本峰に戻り、北に続く稜線へと踏み出した。すぐ北の小ピークに達すると円形の石に十文字の溝が切られた点標があり四方に石柱が立てられていた。一体何なのだろうか?
P363は何もなく、さらに進むと標高290m位の地点に2基の砲台跡があった。金ヶ崎先端の小ピークは金岬砲台跡で8門の砲が設置され舞鶴湾の入口を守っていたようだ。一番北の砲台跡の傍らに4等三角点「金ヶ崎」(218m)が設置されていた。梺から此処迄陸軍の軍用道路が設置され兵士や資材の輸送が行われていたようだ。帰りはこの旧軍道を歩き白杉集落に下りる心算だが少し進むと崩壊箇所があり高巻いて通過した。軈て槙山電波塔群の作業道に合流し舗装道路となった。作業道も嘗ては軍用道路だったが今は業務用車とハングライダー愛好者の平和な利用が続いている。嘗ては砲身等重量物の輸送もあったことから立派な道路で谷には石造アーチ橋が残るなど文化財級の遺構がある。
標高を下げて尾根の括れを乗越す所に小ピークがあり登ってみるとピークに金刀比羅神社が祀られていた。白杉集落に下りると舞鶴湾岸の府道601号線を歩いて登山口に戻る。堤防は至って低く略海抜0mと云うところか。湾を隔てて多禰寺山や青葉山、五老岳が美しい。鑠石の日射はアスファルトを焼き、登山靴を通して熱が伝わり、遮るもののない炎天下の長時間歩行は身の危険を感じる程だった。苦難の末青井集落奥の駐車地点に帰着するとたかお温泉光の湯へと向かった。
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