糸魚川の旅:フォッサマグナミュージアム~長者ケ原考古館~長者ケ原遺跡~フォッサマグナパーク~枕状溶岩~渡辺酒造店


- GPS
- 07:39
- 距離
- 13.0km
- 登り
- 269m
- 下り
- 232m
コースタイム
- 山行
- 8:04
- 休憩
- 0:36
- 合計
- 8:40
天候 | 快晴 ほぼ無風 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2025年08月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車
新幹線:東京6:28-8:41糸魚川 途中 頸城大野13:28-13:34根知 根知15:28-15:43糸魚川 帰り 新幹線:糸魚川19:02-21:16東京 |
コース状況/ 危険箇所等 |
糸魚川駅からフォッサマグナミュージアムへの道は、途中から山道となる。今の時期は蜘蛛の巣だらけ。 最後は、道もなくなり、薮も酷くなり、強引に突破した。 ここはあまり勧められない。 |
写真
感想
糸魚川の「フォッサマグナミュージアム」に行き、糸魚川における翡翠再発見の経緯を知り、
「フォッサマグナパーク」では、人工的に露出させた糸魚川-静岡構造線の断層を観てきました。
フォッサマグナパークに行く途中で知り合った大阪の女性と意気投合し、最後は、二人で糸魚川駅に戻り、美味しいお鮨を堪能してきました。
出逢いに感謝。🙏
▶︎忘れられた翡翠
糸魚川は、今や日本を代表する翡翠の産地であることは有名ですが、近代史以前は、翡翠の存在や価値についての認知度は低かったそうです。
糸魚川の翡翠は、縄文時代、装飾品として加工され、全国各地に流通されていましたが、
古墳時代中期以降になると、翡翠の加工品は見られなくなり、東大寺三月堂の勾玉を最後に、翡翠は日本の歴史から姿を消してしまいます。
そんな経緯から、糸魚川が翡翠の産地であったことは忘れられてしまい、遺跡から発見された翡翠でさえも外国産ではないかと考えられていたそうです。
▶︎翡翠再発見のきっかけ
そんな翡翠の再発見のきっかけを作ったのは文人の相馬御風(そうまぎょふう)でした。
相馬は、郷土史を研究しながら、糸魚川は縄文時代、翡翠の産地として重要な役割を果たしていたことを言及し、
古事記や万葉集に登場する奴奈川姫の記述から、翡翠の産地は姫川流域にあるのではないかと推察しました。
この話を聞いた知人が実際に調査したところ、姫川の支流である小滝川の滝壺で翡翠を発見し、
1939年、翡翠の産地は小滝川であることが発表されました。
しかし、この発表は、第二次世界大戦中であったことから、どさくさに紛れて多くの貴重な翡翠が盗掘されてしまいます。
小滝川のヒスイ峡が国の天然記念物として保護されるようになったのは、翡翠文化が再び脚光を浴びるようになった1956年のことであり、発見から17年も経ってからでした。
コメント
この記録に関連する登山ルート
この場所を通る登山ルートは、まだ登録されていません。
ルートを登録する
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する