【台高】銚子川・岩井谷の奥に「死人不帰の洞窟」の謎を追う


- GPS
- --:--
- 距離
- 10.5km
- 登り
- 1,456m
- 下り
- 1,433m
コースタイム
- 山行
- 12:30
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 12:30
天候 | 曇り時々小雨 |
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過去天気図(気象庁) | 2025年08月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
台高随一の名渓として有名な銚子川・岩井谷。その奥に、「死人不帰の洞窟」と呼ばれる洞窟があるという情報をつかみ、先々週遡行したばかりのこの谷に緊急的に再入渓した。険谷の奥で見たものとは? 【ルート状況】 ・ 入渓〜梅ノ木谷出合までは以下の岩井谷遡行の記録をご参照ください。今回は洞窟があるといわれる梅ノ木谷が目的なので、入渓点から三平滝上までは巡視路でショートカットしました。 https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-8538188.html#google_vignette ・ 「死人不帰の洞窟」があるとされる梅ノ木谷(岩井谷の支谷で、標高510m付近二俣の左俣。この谷自体も「死人不帰谷」の別名を持つ)は、目立った滝はほとんどなく、ひたすら一軒家大の巨岩が累々と詰まっているという単調な割に通過が面倒な谷で、ネット上の記録が全くないのも頷ける内容。古い記録では仕事道があり吊り橋が掛かっているように書いてあるが、ところどころに石垣やワイヤーが残る程度でほぼ残存していない。洞窟の目印になる「山道を約30分辿ったところにある植林小屋」も発見できなかった(それらしい石垣はあったが)。 |
写真
ズリズリと体を押し込めばもう少し先に進めそうではあったが、コウモリの糞とカマドウマにまみれてまで奥に進む気にどうしてもなれず、途中で引き返すことにした。
しかし、ここでも再びハプニング。稜線直前の斜面でまたもやクロスズメバチ(地蜂)の巣に鉢合わせてしまい、またまた刺されてしまった。1日に2回蜂に襲われるなんて初めてだ。2回目なのでアナフィラキシーを警戒したが、幸い痛いだけで何事も起こらず、速やかに下山に移る。「死人不帰の洞窟」を見に行って、本当に死人になって帰ってこなかったら、笑えないブラックジョークだ。
装備
備考 | ・ フェルトソール沢足袋使用。岩井谷はヌメリが強い印象。 ・ ロープ40m携行。梅ノ木谷で高巻き時に懸垂1回使用(10m程度) |
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感想
某水曜スペシャルの某探検隊のような煽りタイトルになってしまって恐縮ですが、今回の山行のきっかけになったのは、とにかくそれくらいインパクトのある情報だった。
銚子川・岩井谷は、言わずと知れた台高随一の険谷であり、先々週、自分も入渓したばかり。その遡行記録をまとめるために、関連書籍を当たっていると、新宮山の会さんの「南紀の山と谷」(昭和52年刊)の中の岩井谷の項に、以下のような一節があるのを発見した。
「この支谷(hillwanderer注・梅ノ木谷のこと)ぞいの山径を約30分辿ると植林小屋があり、この付近に『死人不帰』と言われる洞窟がある。」
また、同項に添えられた遡行図にも、岩井谷の支谷である梅ノ木谷沿いに山道と吊り橋、植林小屋の記載があり、植林小屋の付近には、以下のような簡潔な表記がポツンと記されていた。
「死人不帰の洞窟あり」
し、死人不帰(しびとかえらず)の洞窟? なんじゃその禍々しいネーミングの洞窟は? 思わず記録を書く手が止まってしまうほどの衝撃だった。
岩井谷の支谷である梅ノ木谷の別名が「死人不帰谷」であることは、大阪わらじの会の「台高山脈の谷」や日本登山体系にもそのような記載があるので知っていた。しかし、妙に不気味な名前だな、むしろ厳しい本流のほうに付けた方がぴったりの名前なのでは…と思ったくらいで、まさかそこにそんな名前の洞窟が存在するなんて思いもしなかった。もしかしたら、「死人不帰谷」という梅ノ木谷の別名も、この「死人不帰の洞窟」の存在ゆえにそう呼ばれていたのかもしれない。
それにしても、死人不帰、という語感が凄まじい。例えば不帰ノ嶮のように、「不帰(かえらず)」という山名は見たことがあるが、さらに重ねて「死人」不帰とは、生きて帰れないのはもちろん、死体さえも戻ってこない、それほど恐ろしい場所、ということなのだろうか。それとも、死者が一度赴いて帰ってこない場所、つまり黄泉の国のことを指しているのだろうか。
岩井谷遡行を実行する前に「南紀の山と谷」に目を通していなかったことを大いに後悔しつつ(もし読んでいたら、確実に一日目は梅ノ木谷出合泊として、その日の午後いっぱいを「死人不帰の洞窟」の探索に当てていただろう)、「死人不帰の洞窟」について何か情報がないか、手持ちの書籍やネットで調べてみた。しかし、調べた限りでは「南紀の山と谷」以外でそのような洞窟の存在について記述のある書籍はなく、またネット上でも全く情報はヒットしなかった。
梅ノ木谷沿いの山道を30分ほど歩いたところにある植林小屋の付近、という短い記載だけをヒントに、自分で探してみるしかなさそうだ。おそらく、当時の山道も吊り橋もなくなっているだろうし、谷を遡行するとなると、30分では済まないだろうが…。
また、「死人不帰の洞窟」の探索のついでに、梅ノ木谷も源頭まで詰めてみることにした。この谷は、本流と分かれる510m二俣から見るとむしろ本流よりも立派に見えるくらいの大きな支谷であるにもかかわらず、全く遡行記録を目にしたことがなく、気になっていたのだ。まあ、これだけ記録がないところを見ると、おそらく河原が続く凡谷なのだろうが…(しかし、実際には意外な光景に苦しめられることになった)。
そのような経緯で、岩井谷本流を遡行してから2週間後、再び岩井谷の谷底に降り立つことになった。まさかこの短期間でこの険谷を再訪することになるとは、夢にも思わなかったのだが…。
そして実際に入渓した梅ノ木谷は、確かに目立った滝はほとんどなく、その意味では凡谷であった。しかし、その代わりに待ち受けていたのは、側壁が切り立った中にみっしり詰まった巨岩の群れ。一つ一つの岩の大きさはいちいち一軒家くらいある。こんな巨岩帯は本流にもなかった。巨岩ばかりがゴロゴロ転がる荒涼としたあの世のような風景が、「死人不帰」という言葉に不気味なほどマッチしていると言えなくはないが、遡行的な観点からすると、正直これは普通の滝場が出てくるより嫌な光景なんですけど…?
巨岩に阻まれては高巻き、また阻まれては高巻き、の繰り返しになり、イライラするほど行程ははかどらない。単調な割に面倒な遡行。記録が全くないのも頷ける。また、古い記録で植林小屋までの仕事道が吊り橋の連続になっている理由もわかった。これは谷中を普通に歩くのは無理だ。
巨岩迷路に苦しみながらも、洞窟を見逃さないように両岸を注意深く観察しながら遡行を続け、谷が若干開けた場所に出た。左岸側には崩れた石垣が散見される。ここが洞窟のありかのヒントとなる植林小屋があった場所なのだろうか。残念ながら植林小屋の残骸は発見できなかったが、「南紀の山と谷」の記載のあった「山径を30分辿ると…」という記載から換算すると、このあたりの気がする(実はもう少し下流でも小屋場跡の可能性がある石垣を発見していたが、距離的に出合から近すぎると判断していた)。
そしてこの場所の左岸側の斜面を50mほど上がったところにある古い木馬道跡の上で、ついに一つの洞窟が口を開いているのを発見した。入り口が思った以上に小さいので、これは違うかな…と最初は思ったが、意を決してヘッデンを灯して入洞してみると、中は意外に奥行きがある。しかも奥は左手にカーブしていて、どこまで続いているか見通すことができない。そのことが余計に恐怖心を掻き立てる…。
果たしてこの洞窟が、「死人不帰の洞窟」なのだろうか?
結論から言うと、残念ながら「分からない」。この洞窟に関する情報があまりにも少なすぎて、同定する決め手に欠けるのだ。しかし、「南紀の山と谷」の記述から推定できる位置的な要素、また近くに木馬道があって人の目に触れやすいこと、さらにかなり巨大で目立つ岩体の基部にあるというランドマーク性や、奥が見通せず人に不気味さを感じさせる洞内構造が「死人不帰」という他界的なイメージによくマッチすることから、現時点ではこの洞窟を仮に「死人不帰の洞窟」と呼んでおきたいと思う。他に良い候補も見つからなかったし…。多分に主観が混ざっているので、あくまで個人的な見解ですが。
さて、そもそも、この「死人不帰の洞窟」とは、どのような謂れがある洞窟なのだろうか? 本来はここでそのような方向に筆を進めておきたいところなのだが、現時点ではあまりにも情報がなさすぎて、それもかなわない。地元の地誌などを調べれば何か判明する可能性もあるが、それも果たせていない(今後調べてみる予定です)。しかし、個人的に連想させられるのは、熊野の「花の窟」や出雲の「猪目洞窟」などに代表されるような、自然の岩陰や洞窟が死者の国、黄泉の国につながっている、という日本古来の信仰である。この周辺の山々を生業の場とした人々にとって、あまりに険しい悪渓である岩井谷は、ある意味では死者のみ赴き、生者の自由な往来がかなわない他界への道であり、その奥深くに口を開けるこの洞窟は、あの世への入り口にある「黄泉比良坂(よもつひらさか)」であったのかもしれない。あくまで資料なしの、個人的な感想でしかないですが。「謎を追う」と銘打っておきながら、いったん謎のまま終わってすみません…。
(「死人不帰の洞窟」の正確な位置や謂れなど、何かご存じの方、「そんな穴、死人不帰ちゃうわ! こっちや!」とhillwandererを思うさま罵りつつ、ぜひ情報をお寄せくださると幸いです。)
なお、今回の山行中、クロスズメバチの巣に2回も遭遇し、2回とも襲われ、全身10箇所以上刺されるというハプニングに見舞われた。もう少しで本当に死人になって帰れなくなるところだった。このハチ、地面の中に巣を作るので事前の発見が難しいという点が悩ましいが、それにしてもハチの活動が活発な時期に入っているので、高巻き時など斜面に入る時も防虫ネットやアウターを着込むなど、警戒すべきだったと反省している。これが死人不帰谷、そして死人不帰の洞窟を探ろうとする者への呪いではないことを願うばかりである。
【後日追記 20205.9.7】
その後、現地の紀北町内の図書館に赴き、郷土資料をいろいろと当たってみましたが、今のところ「死人不帰の洞窟」に関連した記事は見つけられていません。地元の伝承や昔話の形で何か残っているのではないかと思っていたのですが…。
また、「南紀の山と谷」を編集された新宮山の会様に問い合わせてみたのですが、現時点でお返事がない状況です。さすがに40年以上前の本なので、厳しいだろうとは思っていましたが…。
ただ、海山郷土資料館に伺った際、職員の方のご厚意で地元の山に詳しい方とお話しすることができ、その方から以下のような情報をいただきました(郷土資料館の方、また情報をくださった方、誠にありがとうございました!)。かいつまんで記すと…
〇 営林署OBの話として、死人不帰の洞窟は「縦穴であり、石を落としても音が聞こえないくらいに深い」。ただし、この営林署OBの方も、自分で直接見たわけではなく、人からの聞き伝え。
〇 実際にその穴を探した人がいるが、見つからなかったと聞いている。
た、縦穴ですって! これは新展開…。
コメント
この記録に関連する登山ルート
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ベロリ穴よりも、穴(洞窟)っぽいですね!
遡行してるときのたまらない感情のはしきれだけでも、共有したいです
最近の猛暑と渇水で、お沢が可哀想な状態になっていて、萎えてるもんりです…
ベロリ穴以来の魂のたかぶりを感じました笑
今いろいろ調べてますが、これは現地の資料館にでも行って村誌とかを当たらないと情報がなさそうです…
本当に毎日暑いですね〜 減水状態だと悪場の通過が簡単になったりありがたい面もあるんですが、やっぱりちょっと寂しいですよね。降り過ぎない程度にひと雨あるといいですね〜
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