東松山市内の通勤ラッシュを避けるため道の駅よしみでお弁当を食べてから、八丁湖に来てみました。
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9/10 8:29
東松山市内の通勤ラッシュを避けるため道の駅よしみでお弁当を食べてから、八丁湖に来てみました。
東屋でタケレレでもと思ったら、常連さんで満員御礼でした。黒岩横穴群、吉見百穴よりも大規模とのことですが藪の中のようです。
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9/10 8:45
東屋でタケレレでもと思ったら、常連さんで満員御礼でした。黒岩横穴群、吉見百穴よりも大規模とのことですが藪の中のようです。
こんな看板も、巳年コレクション!
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9/10 8:46
こんな看板も、巳年コレクション!
せっかくですのでポンポン山まで行きたいと思います。ネコジャラシの小径がちょっと心配
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9/10 8:57
せっかくですのでポンポン山まで行きたいと思います。ネコジャラシの小径がちょっと心配
ここはいい感じの道、やはりポンポン山も八丁湖から歩けば少しは距離が稼げますね。
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9/10 9:00
ここはいい感じの道、やはりポンポン山も八丁湖から歩けば少しは距離が稼げますね。
車道に合流する所で先にポンポンの駐車場が見えてきました。
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9/10 9:02
車道に合流する所で先にポンポンの駐車場が見えてきました。
高彦根神社、この裏手がポンポンです。
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9/10 9:05
高彦根神社、この裏手がポンポンです。
三峯神社にも参拝です。
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9/10 9:06
三峯神社にも参拝です。
高負彦根(たかおひこね)神社、和銅三年(710)創建と伝わる式内社。この地域、水利の便が良く古代から開けていたそう。
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9/10 9:07
高負彦根(たかおひこね)神社、和銅三年(710)創建と伝わる式内社。この地域、水利の便が良く古代から開けていたそう。
すぐに山頂直下(笑)
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9/10 9:08
すぐに山頂直下(笑)
ポンポン山(玉鉾山)38m山頂とうちゃこです。古めの三猿の庚申塔(寛文十庚戌天十月吉日,1670)があります。
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9/10 9:08
ポンポン山(玉鉾山)38m山頂とうちゃこです。古めの三猿の庚申塔(寛文十庚戌天十月吉日,1670)があります。
山頂部は岩々しています。せっかく持参したので暫しタケレレタイム
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9/10 9:10
山頂部は岩々しています。せっかく持参したので暫しタケレレタイム
締めはポンポン山とセッション!
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9/10 9:47
締めはポンポン山とセッション!
山頂下にもう一つの青面金剛の庚申塔、これも逸品。「宝暦六丙子天閏十一月吉日(1756) 施主 田甲村中」
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9/10 9:52
山頂下にもう一つの青面金剛の庚申塔、これも逸品。「宝暦六丙子天閏十一月吉日(1756) 施主 田甲村中」
お顔は少し削れています。ショケラさんは完全に後ろ向きです。
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9/10 9:52
お顔は少し削れています。ショケラさんは完全に後ろ向きです。
そして三番叟装束のお猿さん、今にも動き出そうです。二鶏もいます。
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9/10 9:53
そして三番叟装束のお猿さん、今にも動き出そうです。二鶏もいます。
さらに道標銘もあります、「右 吉見かんおん道十六丁」*吉見観音
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9/10 9:53
さらに道標銘もあります、「右 吉見かんおん道十六丁」*吉見観音
背面には「五反田道一り」*五反田河岸、渡しがあったみたいです。
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9/10 9:53
背面には「五反田道一り」*五反田河岸、渡しがあったみたいです。
「左 くまがや道三り」。八丁湖に戻ります。
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9/10 9:53
「左 くまがや道三り」。八丁湖に戻ります。
帰り道途中の分岐には青面金剛庚申塔(天明二壬寅四月吉日,1782)
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9/10 10:06
帰り道途中の分岐には青面金剛庚申塔(天明二壬寅四月吉日,1782)
此方は青面金剛、ショケラ共にお顔がハッキリしています。
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9/10 10:06
此方は青面金剛、ショケラ共にお顔がハッキリしています。
邪鬼はへの字顔、お猿さんはこちらも正装のようです。
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9/10 10:07
邪鬼はへの字顔、お猿さんはこちらも正装のようです。
そしてこちらにも道標銘「右 よしみかんおん道十二丁」
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9/10 10:08
そしてこちらにも道標銘「右 よしみかんおん道十二丁」
新米の稲穂と八丁湖の丘陵を眺めながら戻りました。続いては鐘撞堂山を目指してドライブです。
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9/10 10:14
新米の稲穂と八丁湖の丘陵を眺めながら戻りました。続いては鐘撞堂山を目指してドライブです。
通りがかりに偶然、畠山重忠公史跡公園がありました。重忠の生まれた畠山館のあった所と伝わるようです。
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9/10 11:34
通りがかりに偶然、畠山重忠公史跡公園がありました。重忠の生まれた畠山館のあった所と伝わるようです。
一の谷の戦いの有名な“鵯越の逆落とし”、重忠が愛馬「三日月」を背負って駆け下りた名場面の銅像があります。
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9/10 11:36
一の谷の戦いの有名な“鵯越の逆落とし”、重忠が愛馬「三日月」を背負って駆け下りた名場面の銅像があります。
重忠主従のお墓と伝わる五輪塔があるそうです。
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9/10 11:36
重忠主従のお墓と伝わる五輪塔があるそうです。
こちらの覆屋の中に、
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9/10 11:37
こちらの覆屋の中に、
右が伝重忠公のお墓のようです。
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9/10 11:39
右が伝重忠公のお墓のようです。
そして覆屋近くの椎の木下にある自然石は重忠の父重能の墓と伝わります秩父郡にあった重忠の祖先は重能の代にこの地に居を移し(畠山館)、畠山姓を名乗りました。
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9/10 11:42
そして覆屋近くの椎の木下にある自然石は重忠の父重能の墓と伝わります秩父郡にあった重忠の祖先は重能の代にこの地に居を移し(畠山館)、畠山姓を名乗りました。
「嘉元二年申辰卯月九日(1304)」の板石塔婆、重忠が二俣川(現横浜市)で討ち死にした元久二年(1205)から百年目にあたり百回忌供養のためと伝わります。
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9/10 11:44
「嘉元二年申辰卯月九日(1304)」の板石塔婆、重忠が二俣川(現横浜市)で討ち死にした元久二年(1205)から百年目にあたり百回忌供養のためと伝わります。
井椋(いぐら)神社、畠山氏が秩父から進出した際に椋神社(秩父平氏の守護神)を勧請したと云われ、当社も畠山氏の守護神だったと推測
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9/10 11:58
井椋(いぐら)神社、畠山氏が秩父から進出した際に椋神社(秩父平氏の守護神)を勧請したと云われ、当社も畠山氏の守護神だったと推測
詳しくはこちら
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9/10 12:02
詳しくはこちら
参道をしばらく歩くと杜の中に社殿が見えてきました。その裏手が鶯の瀬でした。
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9/10 12:02
参道をしばらく歩くと杜の中に社殿が見えてきました。その裏手が鶯の瀬でした。
境内社の中に蚕影神社がありました。それに関連する石分はないようです。
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9/10 12:10
境内社の中に蚕影神社がありました。それに関連する石分はないようです。
お隣には左「金毘羅大権現」の石宮(文久元辛酉年四月吉日,1861)、右「弘化四丁未六月吉日(1847)」
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9/10 12:10
お隣には左「金毘羅大権現」の石宮(文久元辛酉年四月吉日,1861)、右「弘化四丁未六月吉日(1847)」
満福寺、重忠が中興し菩提寺にしたそう。
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9/10 12:18
満福寺、重忠が中興し菩提寺にしたそう。
観音堂、重忠等身大の千手観音が安置されているということです。
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9/10 12:18
観音堂、重忠等身大の千手観音が安置されているということです。
「史跡 鶯の瀬」、付近は公園になっていますがあまり手入れされていない感じ、川も良く見えません。
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9/10 12:35
「史跡 鶯の瀬」、付近は公園になっていますがあまり手入れされていない感じ、川も良く見えません。
少し離れた所から鶯の瀬あたり。重忠が増水で渡れずに困っていた所、一羽の鶯が飛んできて、その囀りを辿りながら浅瀬を渉ることができたと伝わります。
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9/10 12:39
少し離れた所から鶯の瀬あたり。重忠が増水で渡れずに困っていた所、一羽の鶯が飛んできて、その囀りを辿りながら浅瀬を渉ることができたと伝わります。
重忠橋遠景
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9/10 12:39
重忠橋遠景
激しい水音に目をやると、疑似滝がありました!
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9/10 12:39
激しい水音に目をやると、疑似滝がありました!
重忠橋近景
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9/10 12:44
重忠橋近景
この後登るつもりだった鐘撞堂山、右奥にうっすら陣見山
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9/10 12:46
この後登るつもりだった鐘撞堂山、右奥にうっすら陣見山
史跡公園に戻ると、何とふっかちゃんと重忠くんが一戦交えていました!両者ともお決まりのネギを持っているようです(笑)
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9/10 12:52
史跡公園に戻ると、何とふっかちゃんと重忠くんが一戦交えていました!両者ともお決まりのネギを持っているようです(笑)
重忠産湯の井戸
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9/10 12:54
重忠産湯の井戸
周辺案内地図、左上方にポンポン山もあります。散策終了、この後、重忠公関連の資料があるということで川本出土文化財管理センターを訪ねてみました。
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9/10 12:55
周辺案内地図、左上方にポンポン山もあります。散策終了、この後、重忠公関連の資料があるということで川本出土文化財管理センターを訪ねてみました。
『粟津原合戦』(明治二十六年、1893)、木曽義仲最後の戦いにおける巴御前と重忠との逸話を描いた錦絵
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9/10 13:17
『粟津原合戦』(明治二十六年、1893)、木曽義仲最後の戦いにおける巴御前と重忠との逸話を描いた錦絵
『義経之群兵一の谷逆落としの図』(文化〜天保期)、左中央で馬を担いでいるのが重忠
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9/10 13:27
『義経之群兵一の谷逆落としの図』(文化〜天保期)、左中央で馬を担いでいるのが重忠
『和漢準源氏 桐つぼ 秩父庄司重忠』(安政二年,1855)、重忠は「今日は馬をいたわってやろう」とかついで崖を下りた。
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9/10 13:27
『和漢準源氏 桐つぼ 秩父庄司重忠』(安政二年,1855)、重忠は「今日は馬をいたわってやろう」とかついで崖を下りた。
幡羅遺跡(飛鳥時代)から出土した人面線刻土製品とハラ君
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9/10 13:29
幡羅遺跡(飛鳥時代)から出土した人面線刻土製品とハラ君
「万葉の里」(産直)でお弁当を購入して鐘撞堂山に備えましたが、この後大雨になったので止めておきました。
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9/10 14:30
「万葉の里」(産直)でお弁当を購入して鐘撞堂山に備えましたが、この後大雨になったので止めておきました。
八丁湖ではバッタリならずで本当に残念でした〜😅💦
あの大きな四阿は常連さん達の溜まり場になっているので、自分がウクレレを弾く時はその先の原伏見稲荷に行く途中にある小さな四阿で弾いています!それでも、ポンポン山でその後タケレレの出番があってよかったです😄!
ポンポン山の後は畠山重忠史跡公園や鐘撞堂山の方まで行かれたんですね!とても精力的ですね😄!
今度また何処かで本当にバッタリ出来ることを楽しみにしています!
ではでは〜😊
そうなんですね、帰る時にも車が次々にやってくるのでホント地元の方々や猫ちゃん達の憩いの場なんですね。逆にこの時季なのでキャンプ場はひっそりしていましたね。
実家に帰る途中の寄り道なので何でもないんです。
ホント是非生カリンバを聴かせていただきたいものです! それでは。 godohan
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