ヨーロッパ遠征8:マッターホルン4478m・アタック敗退〜帰国

- GPS
- 31:22
- 距離
- 10.2km
- 登り
- 1,287m
- 下り
- 1,288m
天候 | 7月25日(土)晴れ 7月26日(月)曇りときどき雨 7月27日(日)晴れのち曇り 7月28日(月)曇りのち深夜雪 7月29日(火)晴れ 7月30日(水)曇りのち晴れ 7月31日(木)晴れ |
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過去天気図(気象庁) | 2014年07月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 自家用車
ケーブルカー(ロープウェイ/リフト) 飛行機
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コース状況/ 危険箇所等 |
7月10日:出国〜シャモニー 7月11日〜13日:シャモニー(モンブラン登山) 7月13日〜17日:ツェルマット(ブライトホルン登山) 7月17日〜22日:グリンデルワルト(メンヒ登山・ユングフラウ登山) 7月22日〜24日:サースフェー(アラリンホルン登山) *************この記録の日程************* 7月25日(土):サースフェー=シュタルデン=ツェルマット=シュワルツゼー 7月26日(月):シュワルツゼー〜ヘルンリ稜〜シュワルツゼー(泊) 7月27日(日):シュワルツゼー〜ヘルンリヒュッテ〜ヘルンリ稜〜(夜間行動) 7月28日(月):〜シュワルツゼー(泊) 7月29日(火):シュワルツゼー=ツェルマット=フィスプ=スピーツェ=ベルン=チューリッヒ=チューリッヒYH(泊) 7月30日(水):チューリッヒ=ヘルシンキ= 7月31日(木):=帰国 *************************************** |
写真
感想
7月25日金曜日。ピーカンのち晴れ。
ツェルマットの谷とは1つ離れているサースフェーの谷からツェルマットへの移動はポストバスと鉄道を使いました。
天気はピーカンで全ての景色が絵はがきのように美しく見えました。
サースフェーから1週間ぶりにツェルマットについた後、駅前のコープで12リットルの水とビールとポテトチップスやチーズ、ソーセージなどを買い込み、3つのザックに分けて詰め込みました。
そのまますぐにタクシーでロープウェーの駅までいきました。
ロープウェイ降り場からホテルまで重い荷物を運びあげてチェックインした後、再び1週間前と同じようにヘルンリ稜を偵察してきました。
ヘルンリ稜下部の雪はかなりとけていました。しかしながら上部の雪はまだかなり残っていました。
すれ違ったアタッカーと思われる男女に聞いてみるとガイドレスだったとのことですが壁のところに雪が付いていて断念したとの事でした。ちょっと泣き顔だったのでそれ以上は聞くのはやめておきました。
7月26日土曜日曇り時々雨。
この日の夜中、とんでもないことが起こってしまいました。
夜中の午前2時ごろに天気の確認のために地階の非常口から外に出てみました。
するとなんと非常口は外に出る時は出られますが中に入ることができません。そのような危険性があることは感じていましたが、外の雨に驚いてドアから手を離してしまったとたんにバタンとドアが閉まりロックされてしまいました。
メインの入り口にまわってみても全ての入り口は完全にロックされていました。
外は雨でした。こりゃあマズイことになったと思いました。いってみればホテルでの遭難です。ホテルの周りの窓を全部ノックしてみましたが、全く反応がありません。
客は全部で私を含めて12名。山(このホテル)に残っているスタッフは多分2人ぐらいだったと思いますが全く反応がありません。
幸いなことに私はフリースを着て外に出ましたのでそれほどの寒さは感じませんでした。また、ペツルのヘッドランプも持参していました。
しかしながらさすがに2500メートルを超える高地の雨の夜の外はだんだんと寒く冷たくなり、私は体が濡れないように専念しました。もしも体が濡れてしまえば低体温症になってしまう危険性が高まります。
全くもってなんてこったと言う笑い話ですが、ホテルの外では羊たちが私を見て驚いていました。ヒツジたちは雨に濡れても寒くはないんですね。
マッターホルンアタック前にこんなところで体力を消耗してしまえば本末転倒も著しいと言うことです。
仕方がないので雨宿りできる場所で体を縮めて朝が来るのを待ちました。
4時を過ぎ5時ごろになるとだんだんと霧が明るくなってきました。
明け方さすがに寒くなってきましたのでジョギングをするように足踏みをしたりして体温保持に努めました。
そしてヘッドランプを非常時モードの点滅フラッシュに変えてホテルの窓を照らしていました。
するとそのフラッシュにお客さんのドイツ人の1人が気がついてくれ、一階の窓から私を入れてくれました。助かったと思いました。
丁寧にお礼を言ったあと、あったかいシャワーを浴びてポテチとソーセージを食べたら生き返りました。
その後ベッドで眠り朝食を食べる時は私のこの話題でもちきりになりました。私は冗談っぽく話しておりましたが客の中には深刻にとらえてくれた人もいたようでした。
ホテルオーナーや他のスタッフたちが8時半過ぎにいつものようにロープウェイで上がって来ると事の詳細を説明し、非常時のドアロックの対応を検討してもらいました。
こうなった原因の1つに私のアサインされた部屋が階下にあったため朝食後に前に泊まっていた上の階の部屋に変えてもらいました。
私を助けてくれたドイツから来た人は見た目とても穏健でありますがしっかりした人で非常時の事をホテルの人と色々と話をしてくれていました。
私も非常口から安易に夜中に出た事は反省すべき内容ですが、これが冬であれば死んでしまった可能性もあったわけでホテルとしてはそういう問題が発覚したわけです。
7月27日(日曜日)晴れのち時々曇りのち霧
グリンデルワルトやサースフェーにいる時からきょう(27日)が天気が良さそうだと思っておりました。しかしながら昨日の雨がマッターホルンじゃ雪になっているのか分かりませんでしたが、まあ、この日しかチャンスがないのでトップは無理でもテストクライミングのつもりでアタックをかけました。
こちらの時間で27日夜中の1時半にシュワルツゼーのホテルを出発しました。少し重荷のためにヘルンリヒュッテに4時半に到着。まだ雪がある予測のためか、この日にマッターホルンに登るのは私とギリシャの3人のパーティーのみでした。
ギリシャの3人のパーティーが先行したものの私は途中から本来のルートではなくヘルンリ稜主稜という少し難易度が高いルート選びました。これはルートファインディングが簡単という理由もありました。まあ、これが大失敗の原因でした。(注※マッターホルンに登るノーマルルートは、途中のソルベイヒュッテまではヘルンリ陵主稜ではなく東壁側の斜面を登っていきます。)
最初のうちは3級程度の楽しい岩登りが続き、「こりゃマッターホルンは大人の遊園地だな」なんてタカをくくっていました。
しかしながら、高度が上がるにつれて難易度がだんだんと上がり難しくなり厳しい登りが続きました。見た目もマッターホルン北壁を登っている感覚でした。逆にいえば、まだその時点では「北壁もそんなに難しそうじゃないな」とタカをくくっておりました。そのうち4級程度の岩登りが現れてきました。1箇所シュリンゲで人工で超える箇所がありました。最後は氷が現れて難易度的には5級程度の難しさとなりカッティングで進みましたので時間を浪費しました。
そして途中の小ピークに登った時点で時間配分からトップは断念しました。勇気ある撤退と言えばかっこいいですが、現実的には氷が残っているために時間的にも無理だという判断でした。
その小ピークからロープを使って懸垂下降で下りました。下山にはまだ時間があると思ったので、本来のルートらしきところに戻ってみました。
すると、最大5級程度のところを登ってきた感覚からするとむちゃくちゃ簡単に見えました。本来のルートをとっておれば時間的にもトップを狙えたかも知れませんが、それは後の祭りです。仕方ありません。
今後のためにその本来のルートらしき所を登ってみるとギリシャの3人のパーティーがいました。雲が出てきたためにトップは断念して今から降りるということでした。「あなたはどうするのか?」と聞いてきたので、「私はちょっと上のヘルンリ稜まで再度行って、登ってきた稜線伝いに下るつもり」と答えました。
ギリシャのパーティーに答えた通り今回の最高到達点まで登った後、そこからロープを使って懸垂下降を繰り返しました。
ロープを使って下りながらも、よくもまぁこんな厳しい所を登ってきたものだと自分で感心するというか飽きれた感じでした。
ロープでの懸垂下降をくり返すも技術的に意外と難しく時間がかかりました。懸垂下降は壁が急な方がロープの回収などが簡単なのですが緩斜面と急斜面がミックスすると難しいわけです。時間ばかりかかり、「こりゃあホテルの夕食には間に合わないな」と思いました。
そしてヘルンリ稜の岩稜から東壁側に降りる時に大チョンボでルートミスをしてしまいました。GPSを使って登ってきたルートあたりに来たつもりでも、調子こいて登って来たので降る方が遥かに時間がかかりました。ルートミスのため下降用のピンもないので予備の補助ロープで岩角に支点をとったりして懸垂下降をしました。
そのうちだんだんと暗くなって来てますますルートが分かりににくくなってしまいました。ヘッドランプをつけて懸垂下降をし、ルートを特定するために雪渓が残るザラザラと崩れる嫌らしい所を登り返したりしてさらに時間がかかりました。そのうち霧が出てきてさらに困難な下山となりました。雨が降ってこなかったのが幸いでした。
小さなピークのところで行き詰まり、ツエルトを持ってきているのでビバークするかどうかの判断をしました。でも、ホテルの人が心配するのでGPSと霧が消えた瞬間に現在地の確認をし、とりあえず体力が続くまで下山をしようと思いました。行動食と水をたくさん持ってきたのでヘロヘロバテバテになっても行動食を食べて水を飲むと元気が出てきてそれほど寒さを感じませんでした。改めて人間のガソリンは食料と水だなと思いました。当たり前の話ですが。
ともあれ、ただでさえ単独は危ないと現地でさんざん言われているので、こんなところで事故をしたら最悪なことを言われるのは分かりきっています。ヘッドランプで見ても断崖絶壁の所の行動なので少しのミスも許されません。ただ、ミスをしないこと自体は私の若い頃からの経験から自信はありました。浮石や体重をあずけていい岩なのか、三点支持を的確にし、超慎重に行動しました。
しかしながら、超慎重な行動のため時間はどんどんと消費しました。懸垂下降は何回やったか数えておりませんでしたが多分20回から30回ほどやったと思います。
夜中、霧に包まれて、なんだかんだとルートを発見するために登り降りをしていると心が折れそうになりましたが、やっと本来のルートに戻って踏み跡らしき道を発見したときは朝の3時になっていました。やれやれでした。
朝4時ごろにガイド登山2組とすれ違いました。皮肉なことにやっとこれから夏のマッターホルンが始まった感じに思えました。一日違いという感じでした。しかしながら結局この日でもマッターホルンに向かったのはたった3組だけでした。(ひょっとしてもう1組パーティがいたかも)
ともあれ、最後はヘロヘロバテバテになりましたが、ホテルに着いた時は朝9時前でした。
前日の夜中の1時半からの行動から計算すると、32時間30分というおバカな行動時間でした。この行動時間は私の新記録です。まあ、訓練でそれだけの体力筋力が出来ていたという発見は嬉しく思っておりますが、判断力や技術力などが全く不足していると痛感しました。逆に、こんな厳しい状況まで行く事は少ない日本の山はいいなと思いました。
そんなことで、残念ながらマッターホルンのトップには登ることが今回もできませんでしたが、まぁこれは今後の課題という事になりました。今回のプチ遠征で精神的にも私には良い修行となりました。
そんなことで全身筋肉痛になってしまったので、シャワーを浴びてからバンテリンを塗りまくったのでありました。
7月28日(月曜日)。晴れ時々曇り。
32時間余りのおバカな行動のために朝から夕方までホテルで寝ていました。
7月29日(火曜日)。曇り時々はれ。
朝起きてみると泊まっているシュワルツゼーあたりは5センチほどの新雪で冬のように真っ白でした。
雲が消えた時にマッターホルンを見たらこれまた冬のように真っ白でした。すごい山です。
この日のホテルの宿泊者はドイツ人カップルと私の3人だけだったのですが、ここで水を買うと1リットル1000円余りしますので私のエビアン2リットルを差し上げてからチェックアウトをしました。前日も1リットルをドイツ人にあげてよろこばれました。
テレキャビンでツェルマットまで下り、今度はいつ来れるか分かりませんが、そんな思いでツェルマットを後にしました。
チューリッヒに向かう途中で電車で知り合った日本人の一人旅の女性と首都のベルンによって時計塔など少しだけベルンの雰囲気をたのしみました。
チューリッヒユースホステルにチェックインして、大きなバックパックを背負い、ユースホステルに泊まるという若い頃と同じ念願の夢が実現しました。やっぱり旅というものはこうでなければいけませんね。私も少し大人になりました。
7月30日(水曜日)曇り
チューリッヒのユースホステルを早めにチェックアウト。自分が使った枕カバーやベッドのシーツを返却する行動が若い頃のようでとても嬉しかったです。
近くのトラム(路面電車)の駅まで重荷を背負って歩き、正しく切符を買ってチューリッヒ中央駅まで行く。
実は、トラムは無賃乗車が簡単に出来てしまいますが、自販機で切符を買うのは慣れていないと面倒だし難しいのですね。でも、前日にじっくりと操作方法を練習していたためににスムーズに買うことができました。ただ、その練習をしているときに誰かが通報したと思われる警察のパトカーが私を監視しているような動きを感じましたが職務質問はされませんでした。
中央駅から空港まではスイス鉄道にて。
チューリッヒ空港のチェックインカウンターの場所は案外と分かりにくいですが、すべての情報は掲示板のモニターで確認できました。
チューリッヒからヘルシンキまで飛ぶとき、隣の席の中国の重慶から来たリッチな二人組の中国人おばさんの一人と筆談で話をしました。彼女たちは英語もほとんど出来ませんがお金持ちであることはよく分かりました。
ヘルシンキ空港でそれなりにお土産を買い、一路日本へ。
タダ酒は飲まないと決めていましたが、今回、空港ラウンジや機内でいちばん気に入ったのは「フィンランディア・ウォッカ」というフィンランドのウオッカのロックでした。酔い心地も上等だし、これはまるでした。お陰でよく眠れました。
ちなみに、フィンランド語で「ありがとう」は「Kiitos(キートス)」というのだそうです。
7月31日(木曜日)晴れ。
いよいよ猛暑の日本に到着。朝の段階でしたが、恐れていて身構えていたために、空港の駐車場に入ったときでもビックリするほどの高温や高湿度には感じませんでした。むしろ、久しぶりの日本の大気感を心地よく感じました。
三週間という長いようで短い期間ですが、車で自宅に向かうとき、ヨーロッパの景色と違和感があると思ったのは、おびただしい数の電信柱と景観に無配慮の広告看板でした。道端の八百屋さんの店先には玉ねぎが大きなネットに入って転がっていて、「ああ、日本はやっぱりアジアの国だわ」と思いました。
でも、さすがに数時間でそういう違和感は消えてしまいました。
この日の昼食はトンカツ。夜はお寿司。やっぱり日本はいいですなぁ〜
お・わ・り(^O^)/
http://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-488188.html
↑ヨーロッパ遠征1:モンブラン4808m登頂+夜間下山訓練(24時間歩行)
http://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-493725.html
↑ヨーロッパ遠征7:アラリンホルン4027m登頂
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