中道往還(富士宮から田子ノ浦へ)
- GPS
- 04:22
- 距離
- 16.0km
- 登り
- 1m
- 下り
- 81m
コースタイム
- 山行
- 4:33
- 休憩
- 2:22
- 合計
- 6:55
天候 | 曇り |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2016年03月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 自家用車
|
写真
感想
今回は、浅間神社門前の大宮宿から旧東海道の吉原宿を経由して田子の浦に向かう。
大宮宿は湧玉池を発する神田川を境にして東側が幕府領、西側が浅間社領に分割されていた。
その内、東側は東新町、新宿町、青柳町、伝馬町、連雀町、仲宿町、神田町、神田橋下宿の各町があった。
また、公用文書等を伝達する人馬のあった場所が伝馬町。いずれも旧字名は消えており、青柳バス停に名前が残る程度。
一方の西側には西新町、上立宿町、下立宿町、田宿町があり、社人が住み、富士講信者の宿坊があったとのこと。
富士宮駅から北に向かい県道76号の中央交差点の辺りが仲宿町、富士宮東町郵便局辺りが青柳町、仲宿町から青柳町に挟まれた辺りを連雀町と呼んだようだ。
連雀(連尺)とは背負子の肩紐部分を幅広に編んだもののことで、その背負子に商品を担いで行商する者を連雀商人と言い、彼らが背負箱を解いてその場で商売をする場所や居住所を連雀町と言った。
宿から宿へ行商をして行く姿が「渡り鳥の雀」に似ているので連雀と呼ぶようになったとか。
欠畑交差点で南に折れ富岳館高校の前を掠め、県道414号を横断して身延線の源道寺駅の脇を抜けると東京製紙という大きな製紙工場の前を通る。
真っすぐな道でとにかくよく車が通る。富士根駅入口を過ぎて石會山神社で同行者を待っていると追い付いて「富士根駅近くに手無観音があるのでみたい」と言い出す。
ログを停めて富士根駅まで引き返すが、住宅街と工場が鬩ぎ合って場所が判らない。地元の方にお聞きしてようやく辿り着いた。
お堂の前に標柱が建てられており横道十九番とあったがネット検索すると十五番になっている。
江戸期に全国的にあったローカル観音霊場の駿河国富士郡版。35寺あったが明治期に廃寺が相次ぎ現在も20ヶ所に残る。ここも廃寺となった一つで北山本門寺に連なる久日山清流寺だったとのこと。今はお堂が残るのみ。裏手には付近から集められたのか馬頭観音や題目塔が安置されていた。
近くは山本勘助の出身地を示す標識もあったが、本日の行程は長いので脇道分は後日回収に来ることにした。
新東名高速を潜って入山瀬駅の手前で身延線を越え、県道414号を渡ると二本樋に当たる。
二本樋は鷹岡・伝法用水路が凡夫川を横断するための横樋で、凡夫川の手前で二手に分かれ北側の上樋は伝法方面へ、南側の下樋は厚原方面にそれぞれ送水しており、江戸期は樋を通した植松家が代々管理していたが、明治期になり鷹岡・伝法地区の管理組合が、現在は富士市が管理しているとのこと。
二本樋の先に曽我八幡宮がある。境内には幼年期の兄弟像が設置されている。
用水路に沿うように歩くと青面金剛尊と彫られた標柱に出合う。右側面には「曽我兄弟廟所江一町 左吉原町 右甲州道 大宮」とある。
国道139号を越えた先に曽我寺がある。こちらには雄々しくなった兄弟像が設置されていた。
街道は厚原を抜け、東名高速を潜ると伝法に入る。
富士ICの南辺りで浅間上町を経由して吉原宿に入ったが、このコースだと西木戸を通らずに宿場に入ることになる。木戸を通らないShortCut道が有って良いのか?疑問が湧く。
吉原宿は東海道の宿場で本陣が二軒、脇本陣が四軒あったとのことで相当大きな宿場だったと想像される。
現在は通りの両側がアーケード商店街になっているが、それらが建っていた店先にはプレートが埋め込まれている。ついでに0 to Summitの表示もあった。
吉原の商店街を抜けて岳南鉄道の吉原本町駅を越えると東木戸跡。道なりに進むとジャトコの工場を掠めて依田橋を渡ると平家越えの碑が建てられている。
平家越えの碑は、源平合戦の富士川の戦いのあった場所にあるが、なぜここが富士川??と思っていたら、江戸時代に古郡家が三代50年に渡って流路変更・遊水地機能を持つ雁堤を築堤して、河口が現在地に移動したと判った。
平家越えの碑を後にして進むと依田橋の一里塚跡に着く。江戸日本橋から34里とのこと。凄い距離だが京都まで歩く人がいるんだよね。
この先に東海道名勝の一つ「左富士の松」があったが、富士山はどこよ?な天気のためサクっ通過する。
東海道新幹線を潜り、国道139号を越えて、沼川に掛かる河合橋を渡ると吉原駅。
連絡通路で南側に渡って鈴川地区の高台の住宅街を進むと「鈴川の富士塚」に着く。0 to Summitのスタート地点とありルートの冊子もあった。
ここでも親子富士が観られるらしいが、子富士のみしか観れず。
さらに住宅街を抜けると田子の浦の浜辺を想像していたのだが、テトラポットで護岸された港の突端。
今時、砂浜の残る海岸など究極の観光名所だけなのかも知れない。
ちなみに田子の浦といえば山部赤人の歌
「田子の浦ゆうち出でてみれば真白にそ 富士の高嶺に雪は降りける」
が有名だが、この碑は対岸の「ふじのくに田子の浦みなと公園」に建っているらしい。
翌日に北山地区の回収を行うべく富士宮の図書館で調べ物をしたら、前回の謎だった外神上谷の標柱に彫られた文言が判った。それは良いが同時に今回歩いた欠畑から吉原宿までのほぼ全てのルート取りが間違っていることが判明した。
要回収確定!
いろいろ悔しかったのでついでに左富士の松と鈴川の富士塚に寄った。
「左富士の松」では昨日と同じアングルでは松と富士山が同時に入らず、下がろうにも交差点越しにしか撮れない。工場の屋根に信号や電線が入りまくりで風情なんてあったもんじゃない。
それに比べれば「鈴川の富士塚」は少しマシな写真が撮れた。
最後に「ふじのくに田子の浦みなと公園」にも寄る、もう一つの0 to Summitのスタート地点。
海岸自体は鈴川と大して変わらないが、整備された公園なので親子連れが思い思いに楽しんでいた。
それにしても風が強くてとても寒い。
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