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一つ目: 霊山朝日嶽神社奥宮
場所は、小屋から北東方向に300mぐらい進ん所。銀玉水の方から登ってくると分り易いです。 祠は南東を向いています。 こちらの「里宮」については、鳥原山の鳥原小屋隣に里宮があり毎年6月に朝日連峰山開きが開催されているとの事。 島原山の方向は、祠の向いている方向とも合致しているかと思います。
二つ目: 避難小屋のすぐ前にある祠
小屋のすぐ前にあり四本の小さな杭に囲まれた中に祠があります。 不思議なのは、「借受人 東北電力株式会社山形支店長」と書かれた標杭があることです。横には「用途 神社敷 面積 0.0007HA」とあります。 この面積をヘクタールで表すのにもちょっと頬が緩んでしまいましたが、いずれにしても何でまた東北電力が? なお、祠はほぼ北、やや東寄りを向いています。 延長線上には月山がある方向です。
調べてみると経緯はこんな感じかと。
■元々の設置者は「山形電気株式会社」。 大正末期〜昭和初期(1920〜1930年代)山形県内の電気事業は、山形電気株式会社 という地元の 電力会社が運営していた。 この山形電気は、電源開発・送電事業の安全祈願や社員の信仰心醸成のために山岳信仰の神社を設置 。 当時、山頂に立てられた小祠(朝日岳神社)は、登山者や電力会社関係者にとって信仰・慰霊の対象となっていた。
■ 戦時中の電力国家統制
1939年(昭和14年)政府は「電力国家管理法」を制定し、全国の電力事業を一元化。日本発送電株式会社 という国営会社に、全国の電力会社の発電・送電設備と関連資産が統合された。 これにより、山形電気が所有していた施設や山岳資産も、日本発送電に移管。
■ 戦後の電力再編
1951年(昭和26年) GHQの指導で、日本発送電は9つの地域電力会社に分割され東北地方の管轄は「東北電力株式会社」となり、旧山形電気の資産が東北電力に引き継がれた。 結果として現在の所有者が東北電力に。 まとめると:
1️⃣ 山形電気が山岳信仰の小祠を建立
2️⃣ 日本発送電へ統合
3️⃣ 戦後、東北電力へ分割移譲
調べたところはこんなものでした。 祠の向きと月山の関係の有無は分りませんでした。
来歴から考えると二つの祠について関連性がなさそうです。
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