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日記

カテゴリー「未分類」の日記リスト 全体に公開

2025年 07月 12日 13:46未分類

大朝日岳避難小屋近くの二つの祠について

避難小屋小屋近くで二つの祠を見かけたので調べてみました。 もし間違っているようでしたら教えて頂けると助かります。 一つ目: 霊山朝日嶽神社奥宮 場所は、小屋から北東方向に300mぐらい進ん所。銀玉水の方から登ってくると分り易いです。 祠は南東を向いています。 こちらの「里宮」については、鳥原
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2025年 06月 25日 08:35未分類

日光小休戸集落の鹿供養塔と戊辰戦争

今市から大笹峠を越えて栗山に至る途中にある小休戸の集落は馬や人の瀬に担がれてくる荷の中継点として賑わったらしい。 先日、この道を歩いた時に傍らにあった「鹿供養塔」が目にとまった。 「願主 手塚又吉」「弘化二巳(1845)二月吉日」と刻まれている。 願主は猟師なんだろうと思いつつ、鹿供養塔の珍し
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2025年 06月 21日 09:12未分類

吉田松陰と会津西街道

会津西街道を調べていく中で、江戸時代に吉田松陰がここを歩いたという記事を目にしました。 どこかにその内容がないものかと調べたら、本人が記した「東北遊日記」にその様子がありました。 時は、嘉永五年(1852年)になりますが、3月30日に田島を立ち山王峠を越えてその日は高原宿に宿をとり、翌4月1日
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2025年 02月 08日 13:12未分類

二体のお地蔵の関係、そしてカッパ峯はどこかな(日光 高平山)

先日(1/31)高平山(830m)に登った折に、二体のお地蔵さまが鎮座。 1)写真1   この二つのお地蔵様の位置関係です。 上が北。 お地蔵さま#1はP854、#2     は高平山を東にやや下ったところにあります。 #1から#2を見ると   北東方向、#2から#1を見ると南西方向。
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2025年 01月 06日 09:15未分類

日光への道 ーまとめ図ー

4年ぐらいかかってしまいましたが、昨年12月の日光北街道歩きで、『日光への道』がひと段落したのでまとめ図を作成してみました。 江戸時代初期から幕末そして近代へと様々な歴史の物語に満ちた『道』でした。 中には、既に廃道となったり、田畑に変わってしまったり、川船の代わりに橋が架けてあったり、もちろ
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2024年 09月 21日 22:08未分類

林道奥鬼怒線(山王林道)通行止めに使われている地図について

栃木の林道奥鬼怒線が工事のため通行止めとなっています。(8月1日〜9月30日) ここに使われている地図を何気なく見ていたら今は廃道となっている登山道(?)が記されているように思われます。 https://www.pref.tochigi.lg.jp/d51/00oshirase/docume
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2024年 06月 15日 21:02未分類レビュー(書籍)

日光街道歩きと明治天皇記(吉川弘文館)

日光街道を歩いていると明治天皇に関連する情報に触れます。 (例、幸手の堤防石碑、休憩所、宿泊所等) 知人と話していたら明治天皇の六大巡幸 ・・・そして日光街道が含まれる「東奥巡幸」については明治天皇記(吉川弘文館)に記述されているのではなかろうかと、教えてもらいました。 探してみたらこの
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2024年 03月 23日 10:39未分類

日光男体山は伊能忠敬の地図に何と表記されているか。

男体山と初めて聞いた時、不思議な名前だな〜と思ったのですが、他にも二荒山とか補陀洛山とかという呼び名を耳目することがあります。 最近、江戸時代1837年発行の日光地志の決定板とか言われる「日光山志」(植田孟著)を手にする機会があり、そこにこんな記述がありました。 「男体山・・ 二荒山、補陀洛山、
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2024年 02月 21日 20:22未分類

佐野市郷土博物館の日光例幣使街道物語とアーミッシュの馬車

例幣使街道について調べていたら佐野市郷土博物館が「街道物語」ー日光例幣使の実像に迫るーという企画本を出版されていることが分かり買い求めました。とても分かり易く簡潔にまとめてあります。(38P 1,000円) 雨の日で山歩きも出来ないので訪ねたら玄関に馬車が展示されている。てっきり明治の頃のもの
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2024年 02月 21日 09:26未分類

足尾のあかがね街道(銅山街道)を調べに群馬みどり市大間々のコノドント博物館へ

今取りかかっている江戸川から渡良瀬川への最終地点は皇海山なのですが、渡良瀬川に沿って歩くとこの「あかがね街道」を歩く事になります。 江戸期に足尾の銅をこの道を通って利根川まで運び舟で江戸に届けたということらしいのですが、せっかくなので、ルートの確認をしに流通拠点として繁栄したという大間々にあるコノド
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2023年 12月 20日 13:10未分類

日光例幣使街道と文挟そしてアーネスト・サトウと勝道上人

今年11月日光例幣使街道を歩いた折、「文挟」という地名を目にした。随分とアカデミック名前だな〜、きっと例幣使にちなんだものだろうと思った。  一昨日、図書館から借りた英国公使であったアーネスト・サトウの「日本旅行記」を読んでいたら彼が1887年(明治10年)10月1日に日光からの帰路この地を通った
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2023年 08月 24日 06:14未分類

日光 野州原周辺の3石仏

日光市史を読んでいたら慈観の滝の周辺に3石仏があるというので色々な方の記録を参考にさせて頂きながら探してみたのですが出会えたのはこちらの3体。 でも慈観の滝からは随分離れていてどうもこれらがが記述にあったものなのか甚だ疑問です。年代も向いておられる方向も異なっているみたいですし・・・ 設置されてい
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2023年 07月 30日 20:12未分類

日光いろは坂のカーブ標識が変わっていた。

二ケ月ぶりにいろは坂を走ったら何かおかしいなあ〜 と感じて、どうやらカーブ標識だという事で急遽 剣ヶ峯の休憩所に車を留めて見守り天狗様のところの標識をパチリ。 「し」はとち丸くんが「神橋」にいる。 他はどんなのがあるのでしょうか。
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2023年 06月 08日 08:35未分類

旧粕尾峠にあったお地蔵様 ー 勝道上人と地蔵岳の名前の由来

2023.05.28 地蔵岳の破線ルートと古道を確認しに出かけました。 https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-5553917.html 旧粕尾峠にあったお地蔵様の石台に文字があるようなので苔を払ってみると確かに何か文章があります。 
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2023年 04月 14日 21:50未分類

栃木の峠で見かけたお地蔵様をまとめてみました。

山歩きの最中に見かけた峠のお地蔵様。 だんだん記憶が薄れて来て忘れそうになるのでまとめてみました。 たぶん、「あ〜、あそこだよね!」と思われる方もいらっしゃるかと思います。 1. 滝ヶ原峠  (日光) 2. 古峰ヶ原峠 (日光) 3. 塩沢峠   (鹿沼) 4. 粕尾峠   (日光)
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