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入院してから1週間はせん妄状態がひどくてほんと、どうなっちゃうかと思いましたが、ここ最近はリハビリも頑張ってやってくれてて退院する日も決まったのでちょっと安心しています。
以下長文です。私の覚書です。
入院1日目は意識があるとあばれるので手足とも拘束されてました。面会はできましたが、鎮静剤で眠ってるところしか会えませんでした。
入院2日目
意識があるとあばれるので手足の拘束ありました。
このせん妄状態が長引くと危ないと言われました。
せん妄状態→あばれる→仮のペースメーカーとれる危険がある→鎮静剤→悪夢を見る→あばれる→心臓の処置ができないという負の連鎖。
鎮静剤も使い過ぎは体に良くないので量を減らしていくけど、せん妄状態が長引くと手のうちようもないので覚悟もしておいて欲しいみたいなことを言われました。
いままで認知症の症状はなかったですか?って何回も聞かれました。先生からも看護師さんからも。認知症ではなかったけど、これがきっかけで認知症になっちゃったらどうしようと心配になりました。
3日目、母のみお見舞い。手の拘束は取れてたらしい。夢と現実がごちゃまぜになっており、ありえないことを言ってたそうです。
4日目 体に刺さってた管の一部がとれたけど、そのとった処置が痛かったらしくやはり子供のように痛い痛い泣いていました。そしてやっぱり辻褄の合わないことを言ってました。
リハビリも怖い怖いと言ってめちゃくちゃ痛がってました。恐くて辛いから目を開けるのも嫌だと言ってました。
5日目 少し、意識がはっきりしてきた。前日まで何言ってるのかわからないことを言ってたけど、お父さんが言いたいことが聞き取れた。でも、やっぱり現実にはありえないことも言っていた。
テレビを見れる許可をもらい、「らんまん」見る?って聞いたらテレビを夢中になって見てた。子供のようでこのまま認知症になってしまって元の父には戻れないのかなと覚悟した。
実家で妹と母と会議、このまま認知症になった場合の今後のことをいろいろ話した。車があると乗ってどこか行っちゃうから処分をどうするかとか。。。
妹から終活ノートのコピーをもらった。わたしも独り身になってしまったから少しずつ書き残しておこう、と思いもらったものの、病気になったときの告知はどうするかとか尊厳死とか、葬式はやりたいかとかやるならだれを呼ぶかお金はどこから出すのか、認知症になったらどうするかとか書くことがあり、残された方にはありがたいけど、いざ自分が書くとなると「うっ。。。」となかなか書く手が進まない内容でした。
8日目 妹が母とお見舞い。テレビのおかげかだいぶ言動がしっかりしてきた。大雨が降るとあそこの道路が冠水するから気をつけてねとか、保険の証券の場所とか教えてくれたらしい。
9日目
救急病棟から一般病棟に移ってた。トイレ無の個室。起き上がることができ、尿管外れて、車椅子でトイレまで行けるようになってた。
10日目
母のみお見舞い。今までで一番言葉がまともだったみたい。
14日目 トイレ付の個室に移れてた。髪をきれいに撫で付けてもらいさっぱりして一番いい顔してた。しゃべり方が元のお父さんに戻ってホッとした。退院後の家での過ごし方について病院のソーシャルワーカーの方とお話した。こういう提案も病院からしてくれたのは本当にありがたかったです。
とりあえず、介護認定を受けることを進められたので2日後市役所に行くことにした。そのあと、病院のソーシャルワーカーさんと再度家での過ごし方について打ち合わせすることになった。
16日目 午前中、市役所。窓口がちょうど空いておりすぐ受付してくれた。病院でソーシャルワーカーさんが申請書類に書く内容をあらかじめ教えてくれたのですんなり記入して提出できた。ただ、認定を受けるまで1ヶ月ほどかかるとのこと。
午後、リハビリの先生とソーシャルワーカーさんと退院の日を決める。家に手すりを付ける手配が今月末になるのを伝えて、8/2に退院することになった。
リハビリ中の様子をみると、トイレも手すりかあればなんとか一人ででき、車椅子から立ち上がることもできました。一人でもゆーっくりならなんとか歩けるところまで。
お家に帰りたい一心でリハビリ頑張ってくれてました。
来週、実家の近くの介護施設の方に実家に来ていただいて、デイケアやデイサービスについてお話聞く予定です。
怒涛の2週間でした〜。
主人に引き続き、父のことでもいろいろ考えさせられるなぁ。
延命治療とか。。。意識があれば本人に聞けるけど、意識がなかったら家族が決めるしかなくて。。。そもそも、どこからが延命治療なんだろうとかおもってしまった。
写真はこの日記に関係ないけど、今年の梅干しの様子。
梅雨明けして速攻干しました。
梅干し作るときにできる梅酢でなんちゃって柴漬けも。きゅうりは義実家からのいただきもの。
リハビリ病院に別の病で入っていたことがあります。その経験からですが、こわいのは、廃用症候群で筋力が落ちるー歩けなくなるー寝たきり のパターンです。こうなると痴呆も進んで来ます。実母がこのパターンでした。
これを避けるには、まずは歩ける(動ける)ことが肝心です。できる限りの動き(歩くのを含めて)を本人がやれないと、介護度もあがってきます。例えば排泄に問題があると要介護2に該当したりします。QOL(クオリティオブライフ 生活の質)にも直結なので、できる限り動く、をお勧めします。
なお、介護認定とかはプロフのリンク先に書いています。詳しいのはかつて、要介護2 だったからです。今はガチンコリハビリの結果、なにもないです。
ご自身も介護を受けられてたのですね。
看護師さんの見立てだと父は要支援と要介護の間でどちらかきわどいところということでした。父の動きで介護1だとして、介護2だったhappyさんはめちゃくちゃがんばってリハビリされたんですね。
happyさんのお母さまの廃用症候群も怖いですね。
父はシルバーのお仕事やめてから、マッサージチェアに座ってドラマ三昧だったので、お家に帰ってその生活に戻ると廃用症候群まっしぐらなのは目に見えてるので、なんとか体を動かすようにこちらでもなにか考えないといけないですね。貴重なご意見ありがとうございました。
実母は歩行能力を失い老健に入ったままです。もはや自宅には戻れません。
入院中に散々目撃したパターンなので、実母には『徹底的に歩け』とまで釘を差していたのですが、本人がそういう気がありませんでした。おまけに動けなくなってから『なんでこうなるんやろ?』と言ってきたので、要介護2から回復までもぎ取って着た私には『怠慢』としか見えません。
同じように手術をした実父は、それから20年、人生を謳歌してから亡くなりました。実母は自身が手術を拒み、高齢になってから手術を希望し、術後、歩行能力を失って老健入。やっていることに違いがありすぎるのと、負担が半端ないので『老害』としか思えません。こうならないようにと願っています。
ご参考まで。
ケアマネさんと連携していいデイケアが見つかるといいですね。リハビリに意欲があるなら認知症の
進行を遅らす事が出来る糸口です。
べろくまにゃさんは折角登山で培った脚があるので早朝散歩など少しずつでも一緒にされたら、きっとお父様も喜びのある晩年を過ごせると思います。
一緒に散歩に行くのが一番ですかね〜。今までもそうすればよかったんですけど、フルで仕事して家が別々(おとなりの市
)だとなかなか難しくて親のことは後回しになっちゃってました。
これからはもう少し寄り添っていきたいなと思います。
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