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歩き始めて数時間、大門沢小屋を越えて雪渓が見えあたりの温度が急激に下がった頃、2200mのあたり驚くほどのゴミが捨てられていました。
ジップロック、割り箸、残飯、ティッシュ、クッカーの空き箱。
ゴミはまだ新しく降り出した雨に濡れている。僕がよほどの人格者で体力、ザックのスペースがあれば拾って回収したかもしれないが結局横目で眺めて肩で息をしながら通り過ぎた。
見て見ぬふりをしたわけだから同罪なのだろうけれども、その時考えていたのはどんな人が捨てていったのだろう?ということだった。
ゴミの量からして2〜3人だと推察できる。短絡的に若い人だとも思えるけれども年配の人間がすべて常識があるわけでもない。ただ間違いないのはクッカーの(ユニフレームだったな)空き箱が捨てられていたことを考えれば昨日今日始めた人なのは想像できる。前日に道具を買ってそのままザックに放り込んだのだろう。山をやっている者なら少しでも荷物を減らして登りたいと考えるはずだからだ。
しかしそこにいた数人が全て初心者だったのかは疑問だ。奈良田からの道はそれほどメジャーでない気がするからだ。地味だし疲れる。
雨後の竹林のように登山雑誌が発刊されているこの時期、「よーし、俺たちもいっちょヤマってのをやってみようか。山ガールとお近づきになれるかも知れないしな!」なんつって急遽道具を揃えたのだろうか。
保存に便利なジップロックを使っているとかいうのも謎だった。密閉性があるから収納・保存に便利なわけで捨てるならコンビニ袋でもなんでもいいじゃんかなあ。
いずれにしても登山は楽ではない遊びだと思う。(遊びって言って申し訳ないが)ある意味では自分に厳しくないと山行を満足できるものではない。そのある意味自分に厳しい歩行を少なくても数時間続ける人が、冗談の様に自分に甘い行動を出来るのが不思議なのだ。
たぶん、無知なのだろう。
以前、煙草の吸殻をそこらじゅうに捨てている時代があった。それは現代と違って『そこらに捨てるのが非常識(つまりバカと思われる)』という概念がなかったからだ。少しづつではあるが『捨てることは阿呆なことだ』という常識が浸透していったわけだ。しかし現在でも捨てる人はいる。多分そのうちに気付くことになるのだろうとは思う。
赤ん坊は裸でいることを恥じたりはしない。成長するにつれ『恥』という概念が生まれてくるのだ。ようは先の集団はまだそこに気付いていない赤ちゃんなわけだ。ハイハイで登る山はさぞ辛かろう。
おんぶされているのかも知れないが。
白根御池の山荘で飲んだ水が本当に美味かった。
山行中はどうしても水を節制するわけだから、蛇口からガブガブ飲める水の美味さといったらない。
周囲に誰もいないものとして「こりゃーたまらん!」なんつったら小屋の女性がすぐ後ろにいて笑われた。
いくらでも飲んでくださいと声をかけてもらえたので挨拶を返せた。
しかしその蛇口の流しの排水溝にはラーメンなどの食べかすが放り込まれているのだ。
小屋の女性がちょうど「食べかすなどを捨てないでください」と張り紙をするところだった。
蛇口や近代設備があるとすぐに排水処理などのインフラがあると思ってしまうのも悪いことだ。
罪でもなんでもないこと、モラルや配慮の足りないことを大量な人々が行った時に大きな罪悪になる。
権利や保障、おかしな自己主張が多い現代ですから山の中では余計なことを考えたくないものです。
あー、書いて少しだけ気が晴れた。
はじめまして。今日、沢の水中で25000図を拾いました。最初、この大きい白い紙は何?という感じで拾い上げたのですが、広げてみると奥多摩の地図でした。地図を捨てていく人もいるんですねぇ・・・。
それにしても、25000図、岩に広げて乾かしてあげたのですが、全く破れていませんでした。耐久性のある紙で作られていたんだなぁと改めて感心しました。
こんにちは、bibiloloさん
その地図、捨てていかれたのならいいのですが(良くはない)風に舞ってすっ飛んでいったのだとしたら怖いですね。
それにしても25000図、丈夫な紙で出来ているんですねえ。
僕なんか貧乏性で25000図をコピーして…。
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