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さらに悪いことに、次の山旅計画が全く定まらない。天気の悪さのせいだけでなく、行きたい山自体がないのである。
ほとほと困って、今日(7/13)は東京での用事のついでに、東京国立博物館(東博)に行ってきた。地域の郷土博物館の類は山ついでによく行くが、東博は初めてかもしれない。
旧石器時代の細石刃をどこの博物館でもいいからちょっと見て確認したかったのだが、ちょうど、東博で「内藤礼 生まれておいで 生きておいで」という現代アートの企画展が開催されていた(縄文の考古展示に現代アートという不思議。9月23日まで)のと、特集「吉野と熊野―山岳霊場の遺宝―」(7月15日まで)があったからだ。
縄文と修験(山岳霊場)には、目がないのだ。
<縄文と現代アート>
内藤礼の企画展の開催趣旨にはこうある。「1万年という時を超え、内藤は縄文時代の土製品に自らの創造と重なる人間のこころを見出しました」。「時空を超えた交感がなされる会場は、空間よりも広く、時間よりも深く、目には見えない存在、耳では聞こえない声の確かさを感じ取る契機となることでしょう。本展の体験を通して、原始この地上で生きた人々と、現代を生きる私たちに通ずる精神世界、創造の力を感じていただけたら幸いです」。
https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=2637
考古学の博物館で何が行われているのだろうと不思議に思っていたら、それは紛れもなく現代アートの作品だった。縄文土器だとか土偶の展示室の隣に、<作品>が展示されていた。
展示は3室に分かれ、最初の2室では長蛇の列で長い待ち時間。部屋に入ると、わずか数点の縄文遺跡(土版とか鹿骨)があるにはあるが、内藤は風船やテグスやガラスビーズにより不思議な空間を演出していた。その空間そのものが<作品>なのだろう。東博という古い建物の生の窓とか天井もうまく活用した空間。
それは、縄文土器や土偶の意匠が何を意味するか分からないと同じように、意味が分からない。そのわからなさが、現代アートということなのだろう。そこに確かに、創造の力があるのかもしれない。
しかし、困ったのは、3番目の部屋だった(写真1)。ここは、本館1階ロビーで、誰でも自由に出入りできて、この企画展目当てでない人も休憩している。<作品>も床に水の入ったガラス瓶が1つ置いてあるだけ。あれれ、と思って展示カタログを見ると、壁に「世界に秘密を送り返す」という<作品>があるという。どこにそんなのがあるんだ。壁は、もともと装飾壁であって、それは<作品>ではない。
おかしいと思って探し続けたら、直径1cmの鏡がひとつずつ4方の壁に貼ってあるのだった。
回答を見つけて喜んだのではあるが、近づいてじっと探さなければいけない<作品>って何なんだろう。展示カタログがなければ絶対に判らなかっただろう。
開催趣旨には「知覚しがたい密やかな現象を見つめ」ともあるが、まさかこの1cmの鏡という微小な表現を見分けるという意味なのか。あまりに近代的・分析的ではないか。
とその時は思ったが、思い返すと縄文人は現代人より目はよいかもしれない。森の中の1本の樹を見分けられるのだから。
縄文との交感という「時空を超えた交感」があったのかもしれない。
(この企画展は、写真撮影禁止ですが、第3会場は<作品>を写さなければ撮影可能ということで、写真1を掲載しました。壁の<作品>の鏡は写っていません。壁の元々の装飾の様子とそこに張り付いた小さな鏡がいかに見分けにくいか分かると思います。)
<東博という博物館の意味>
もうひとつの目当ての、「吉野と熊野―山岳霊場の遺宝―」は、東博という博物館の意味を考えさせられた。
https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=2657
東博はすばらしい博物館である。なぜなら全国の遺跡を一同に集めているので、クロニクルに遺跡の流れが概観できるからだ。「吉野と熊野」の展示は、そもそも吉野と熊野の地理的歴史的な紹介を写真で提供していて親切でもあった。しかし、それはこの博物館の限界も示していると思った。
大峯山頂遺跡から出土した蔵王権現像などが多く展示されていて、それらは大峯山寺蔵であった。こういう山岳霊場の仏は、やはり現地で見たいものである。それは仏像は寺で見たいのと似た様なものだが、山岳霊場は山の存在が不可欠なのでより強く思うのだ。
大峯山へは登ったことがあるので、雰囲気は何となくわかるのだが、今回ものすごく気になったのが、日光男体山だった。
常設展示(祈りのかたち―山岳信仰と末法思想―)の方に、日光男体山頂遺跡の出土品がたくさん展示されていたのだった。写真2は、瑞花双鳥八稜鏡(奥)や錫杖頭(手前)である。二荒山神社蔵とあった。
日光は、この夏、白根山にでも登ろうと思っていたが、男体山に気持ちが傾いたのであった。男体山は面白そうもないと思い込んでいたのだが、認識を改めた。
かように、東博は全体を概観することにより、好みのターゲットを見つけるという意味が大きいと感じた。
<旧石器のこと>
最後の目的は旧石器。これは、先日の10年ぶりの特にターゲットを定めずに行った「なんとなく道南の旅」で、俄かにマイブームとなったアイヌに関わる。この旅の後に家に閉じこもってアイヌをいろいろ調べていたら、旧石器時代に行きあたったのである。
縄文好きの私だが、旧石器時代は遺跡はただ石器しか出土されないので、とっつきにくかったのだが、佐藤宏之さんの次のような文章に行きあたった。
「縄文時代が日本の基層文化であるといった言説は再考されて然るべきと考える。三つの日本文化の基層は、旧石器時代の最初から形成されていた」(佐藤宏之『ヒスカルコレクション 旧石器時代』2019 敬文社,p124)
三つの日本文化とは、「アイヌ民族が居住していた北海道と東北北部」が「北の文化」、鹿児島県の島嶼部と沖縄県が「南の文化」。「中の文化」は「日本文化を代表する存在として、対外的にも国内的にも位置付けられてきた」(p36)。
この本は、旧石器時代を、この三つの文化で説明していた。気候や植生や特に現生人類の日本列島への拡散(流入)ルートなど、三つの文化の違いが明確なのだ。その違いが、石器の種類の違いに現れているという明快な説明で、目から鱗だった。
アイヌ文化は、ふつうせいぜい7〜8世紀からの擦文文化に源流がたどれるとされるが、もしや旧石器(少なくとも4万年前)の「北の文化」が基ではないか、という私の見立てが出てきたのである。
写真3が、今日展示されていた石器だ。いずれも旧石器時代(1.8万年前)の北海道出土のものだ。特に、1と2の細石刃を見てみたかった。2の細石刃核を剥がして1の細石刃に加工する。1の細石刃を骨角や木製の槍に複数個を埋め込めばマンモスでも倒せる。説明はなかったが、この細石刃は間違いなく黒曜石だ。貴重な黒曜石を効率的に利用し、大量に持ち運べるように、こういう技術が開発されたことに驚嘆したのだ。
実際に見てみて、その小ささと加工の精密さを実感できた。
ということで、次は、この細石刃が使われた現場に行ってみたい。もちろん北海道だ。
それだけではない。黒曜石の細石刃は、私の住む近くの愛鷹山の麓や、八ヶ岳周辺でも発掘されている。これらの山域は旧石器遺跡の宝庫なのだ。そして霧ケ峰あたりは黒曜石の一大原産地だ。
こうして、次の山旅計画の妄想が次々と拡がっていくのだった。
※なんとなく道南の旅
【道南】駅からハイク5連弾★函館山・駒ケ岳・歌才ブナ林・鷲別岳・有珠山★このマンテマとチドリは珍しいのか(2024年06月23日(日) 〜)
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-6983100.html
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