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昨夜、加藤さんの「メインの森めざして」読了。
長かった…読み始めて一か月くらい?両親の病気などあってなかなか時間がなくて、というより読みたいという気になれなくて、時間がかかってしまった。なんとなく違和感があった。文中のいろいろな言葉遣いにしっくりしないというか、疑問符がつくことが多く、それが何故なのかわからなかった。不明瞭な違和感というか、飲み終えたあと喉の奥にかすかに重なってゆく甘さが沈殿してゆくような、そんな感覚。
昨夜、540ページまで読み、それがなぜなのか、何なのか、やっと気づいた。
彼と私とは、自由の概念が違っているのだ。自由とは「自分以外のものに縛られないことだ」と、彼は考えているようだ。自分の行動を自分で決められること、誰にも束縛されないこと、それが自由だと。
確かにそれも大切なことだとは思う。でも、私は、もっと大切なことがあると考えている。自分の心が自分自身ののさまざまな欲望から解き放たれることだ。それこそが、真の自由だと、私は考えている。
人より偉くなりたい、人と違っていたい、あれがほしい、今度はあれをやりたい、そんな心の欲望にとらわれず、「真に自分がやりたいこと」は何か、自分にとって「真に必要なもの」は何か、それを知ることが最も大切であり、そのことが自分自身を「自由」にしてくれるのだ、私はそう感じている。
彼の文の中に見え隠れする「自我」、そんな自分が越えたいと思っている「もの」を感じる。だから違和感があったのだと思う。
こんな年に、こんな暮れの大みそかに、やっとここにたどり着けたことを感謝したい。
私が走り続ける理由、山に登り続ける理由はそこにある。いつか自分自身が自我から解放される日が来ると、その日のために走り、歩き、感動したいのだ。
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