![]() |
1度目は8月に黒部峡谷でズタズタの雪渓に阻まれる。
2度目は11月にやはり黒部側から剣沢へ出て長次郎谷を詰めるも雪渓が切れ落ち頂上を阻まれる。
どちらも手持ちのギアで解決出来た様に思う。
自身の作成するアンカーに自信が持てずラッペル出来なかった。仮に上手くラッペル出来ても登り返しが必要となった場合にやはりアンカーを信頼出来る自信が持てなかった。
悶々としながらも敗退を決めてきた。
3度目は先週末に黒部側から剣沢へ出て、三の窓を詰め北方稜線より頂上へ行く予定だったが諸事情により中止。
山行への耐性・脚力を高めて維持するために毎週末は奥多摩通ひをしてきた。残雪の白馬三山日帰り縦走は自信になった。低山をいくつも繋げ日帰り限界のコースを歩いてきた。翌日に仕事を控えていたり日の入りに間に合わない場面であってもあえて突っ込んで敗退を退けてきた。
今後敗退するとしたら未熟なラッペル技術や支点・アンカー構築が原因だ。
ギアを持つことにより体力が奪われる。
抜けられたはずのルートも技術や知識・経験不足によりギアは宝の持ち腐れとなる。
わざわざ重荷を担いだのに自身の技術に信頼出来ず敗退する滑稽さ。
今やるべきは行きたいルートに立ち入るよりも信頼出来る技術を磨くことではないか?
うーん?
自分の限界に挑戦したい。
挑戦すればするほど死に近づく?
心許ないアンカーで死と隣り合わせの山行を繰り返して運と自信を履き違えているのでは?
視界に入る光景よりも行動した事実に満足している。
「劔岳 三の窓」検索すれば山行記録が出て来る。
行きたいルートは下調べしない。
漠然と分かってはいたが誰でも登れる事実にゾッとする。
初めて入った長次郎谷。
八つ峰を眺めながら視界に入るルンゼやガリーから直登出来るのだろうかなどとボンヤリ考えてみたりしていた。
泥壁と呼ぶ様な斜面を確保も無しで直登してみたりして冷汗かいた。
冬のルンゼにて落ちたら確実に死ぬと覚悟を決め真剣にトラバースした。あれ以来クライミングとは死を意味する行為だと意識している。
私は何がしたいんだ?
やってみたい事に挑戦したいだけ。
やってみて無理なら止めればいい。
山は無限に近い存在だが私の時間は有限だ。
何から手をつければ?
何処へ行ったら?
行きたいところへ行けばいいし、やりたい事をやればいいとも思う。
訓練。
効率よく行動出来るようになる。
訓練は嫌いだ(^^)
コメントを編集
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する