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ところでYAHOO!ニュースでは記事にコメントを書き込めるようになっているのですが、この狩猟遭難のニュース(1枚目、見やすくするためカット編集しています)に対して、2枚目、3枚目(同左)のようなコメントが寄せられています。最もGoodの多いコメントは「無事に発見されますように」なのですが、その下にはすぐに「動物の呪いだ」「狩猟なんてするから罰があたった」「動物が可哀想、人間なんてどうでもいい」といったコメントが続きます。さらにこれらコメントへのGoodがNGの2倍ほども付いているのです。
世間で狩猟への理解がないのは「身近にない」から仕方がないとしても、こうしたコメントやGoodをした方々も毎日生命を頂いているはずなのに「他人には罰が当たって、自分には罰は当たらない」と思われているのでしょうか。あるいは生命を頂いていると思っていないのでしょうか?
狩猟にまつわる様々な問題――熊の襲撃・駆除・可哀想クレーム、狩猟人口の減少・高齢化、鉛弾・誤射、鹿・イノシシ生息数の増加、山林の食害、農作物被害、街への出没、、、――それぞれが頭の痛い問題ですが、そうした事を知らなくても毎日食べる食事が「どこからどうやって来たのか?」に気付かないはずはないと思うのです。自分で殺すか他人に殺してもらっているかの違いだけのはずが、他人任せにしすぎて「生きるために殺している」ことも視界から消えてしまったかのようです。
山の恵み、生命への感謝、、、日本人全体から欠けてきているんじゃないか、こうした生命の軽視は結局我々自身に返ってくるのではないかと危惧しています。
突きつめていくと、そもそも人が生きていくことの意義・目的は?という哲学的問題にぶち当たってしまってお手上げなのですが…少なくとも目の前の食物=生命への感謝を欠かさないようにしたいと、山を歩きながら思うのでした。
【資料】
・環境省:平成26年度鳥獣統計情報
https://www.env.go.jp/nature/choju/docs/docs2/h26/06h26tou.html
→ 31 狩猟により発生した事故件数 [Excel 63KB]
※事故件数には、誤射以外の遭難や自殺も多いんですね。
【ブログ】
・BLOGOS:dragoner:統計から見るハンターの誤射と高齢化
http://blogos.com/article/73070/
先日、NHKで北海道の孤高の熊ハンターのアンコール放送を見たばかりでしたが、ただ圧倒されるばかりでした。その老ハンターは、数人でする”狩り”は卑怯でしない。獣と1対1で挑む”猟”(といっていたか?)をする事が獣に対して礼儀だと言ってました。やはり批判も受けるが、命をいただくという事。それは、牛・豚・鳥を食べる事となにも変わらない。と、言われてました。なるべく苦しまない様に、首を狙い一撃で仕留める。そして、最良の状態で食してやる。ただ生きる為に猟をしている。熊に襲われて死ぬのは”まったくしょうがない”それは、”熊に負けただけだ”とも。
そんな姿にわたしは思想とか駆除問題という事より、大昔から綿々と続いている人の営みを感じ入って圧倒された次第です。元来、人間が生きて行く事というのはまず食す事であって、獣を殺して食べなければならない。その必要がない人が現在ではほとんどなので色々言う人がいるのでしょうね。”プロフェッショナル”の再放送でした。
numazunuratyan様
初めまして。番組内容まで詳しく教えて頂いて、どうもありがとうございます。月曜日に放送されたばかりだったようで、残念、見てみたかったのに。。。と思ったら、再度放送があるようです! 早速録画予約しておきました。
●NHK:プロフェッショナル 仕事の流儀「独り、山の王者に挑む 猟師・久保俊治」
http://www.nhk.or.jp/professional/2017/1211/index.html
再放送情報:2017年12月15日(金)午前1時25分〜2時14分(木曜深夜)
「熊も、鹿も、鴨を食べる時だって、ちょっと前まで生きてたって意識は常に持っている」 逆説的ですが、狩猟をしているからこそ判ることなのですね。狩猟経験ゼロの耳年増ですが、聞くだけでも間口は広くありたいです。
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