私が登山を始めた10年以上前は、ガーミンを始めとしたデバイスでGPSを活用する程度で、一般的には紙ベースの山と高原地図や地形図を使われていた頃だ。社会人1年目の初ボーナスで、モンベルのショーケースに飾られていたガーミンの約10万円のGPSに手を出しそうになったが諦め、それ以降私の登山は「GPSなんてオーバースペックなんですよ」と表では言いつつも、実はエイリアンの様に喉から得体のしれない何かが出そうなほど欲しがっていたのである。
それから現在まで、ログを取るのにスマートフォンのGPSを利用する程度で現在地確認に利用することが皆無であったが、急いで出発したために地形図を家に置いてきたことを移動中の電車内で気づき「そういえば」と思い、咄嗟に地図アプリをダウンロードしたのだ。
地図アプリは見る程度で現在地の確認と思い、SILVAのコンパスとどうやって使えばよいのやらと考えていた。
そんなミノムシの様に小さな悩みが、ミノムシ以下でゾウリムシサイズの極小の悩みであったと気づいたのは、目的の沢が一本隣の谷と気づいた時だった。
事前に調べた谷と違うことに気づき、地形を見ようと地図アプリを開いたところ、自分の現在地が瞬時にアイコンで表示されたのだ。
「アッ」と驚き、しばらく時を忘れて驚きが数分は続いただろうか。
今までの「あそこに尾根があって遠くにピークが見えて・・」等という思考の時間が、宇宙にある人工衛星によって、わずか数秒で完了してしまった。自分の現在位置から見ている方角まで、尻の穴まで見られているんじゃないかという恥ずかしさも感じるほどに、地図アプリの驚愕の性能を思い知らされた。
それから遡行を終えるまで、私はグローバル・ポジショニング・システムとアプリの恩恵に甘えに甘え、何のトラブルもなく沢登りを終えて下山した。
ネットワークは、人間の「生きたい」という欲求と「自分を表現したい」という想いが形になる「登山」と見事にマッチしている。
歩いた軌跡が正確に残り、今や計画書から登山記録に至るまで、登山に関するあらゆる事がネットワークで全世界に共有できるようになった。登山とは自己表現であり、軌跡も計画書も、登山者そのものである。それが共有できるネットワークという存在は、登山の魅力と可能性を広げたと言っても過言ではない。
地図アプリでいえば、遭難のリスクは私が山を始めた10年前とは格段に変わってきたであろうし、「不安」や「恐怖」という、登山中に注意しなければならない感情に左右されなくなるのは、これまでの紙ベースの現在地確認とは大きな差である。
とはいえ、登山が持つ「原始性」を最大限求めるとしたら、アナログの地図や、極端に言えば地図を持たずに山を歩くのが良いのだとも感じる。
「この先に何があるのか」という未知への不安と期待は、まだ山が踏破されていない時代は常にあっただろうし、不安の先に見えた景色やその後の記録は、登山者に与えられる大きな報酬のひとつだ。
私は沢登りが登山形態の中で最も好きなジャンルである。自然があるがままの形を残している事が最大の魅力であり、登山道もない。そのため現在地も一般登山道よりも頻回に確認している。不安も大きいが、自分の力で現在地を特定していき遡行していく時間は、日頃の文明圏での生活では、生きるために思考する必要がないだけに、何にも代え難い喜びである。
今は相変わらずアナログの地形図を持って山を歩いているが、気軽に歩きたい時はふと地図アプリを使うことがある。便利だし、誰かと登る時は、今どこにいるのか分かる楽しさと「ここまで歩いたんだ」という喜びも得られる。アナログの地図と合わせて用意しておけば、地図のバックアップとしても活用できる。
今後も登山アプリを併用しながら、長く山を歩いていければと思う。
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