登山とは、多種多様な面白さがあるのでそれは、当たり前だと思います。
わずか1年程の登山歴の僕でも、幸いに丹沢大山という場所で豆腐屋させてもらってるんで多くの登山者に出会って来ました。
登山を運動としている人は山頂の御神木にタッチしてすぐに下山してた。トレランをしている人は競技スポーツとして登頂タイムや、縦走距離を気にしてた。バードウォッチングや、山野草を観察するのが好きな人は丹沢の鹿が人を怖らがないのを気にしてた。自然を愛する優しい人は、雪山でさえストックもアイゼンも使わなかった。
気心知れた仲間たちと集団で登山する人も、単独で1人気ままに登山する人も見た。ちょっと、過剰じゃないか?と言いたくなる程、手の込んだ調理をする人も(僕のことです…)誰も歩いてない、バリエーションルートばかり歩く人も知ってるし、愛犬と一緒に登山を楽しむ人もいた(恐ろしい事にバリルートですらないただの山と崖を愛犬にルーファイさせて登る人もいたんだよ。頭良いな。おい!)沢と岩の技術を駆使して、登山道のない山やる人も知ってる(あれは人間と言うより野生動物の人間版だったよ…)
残念ながら、まだ見た事無いけどマウンテンバイクやカヤックなどで山を楽しむ人達もいる。
個人的な話で恐縮しますが、僕は山の中に1人で秘密基地を作ったりしてました。そして、冬が明けた春先に秘密基地に入ったら、狸が寝てて、僕に驚いた狸にガチ攻撃された経験があります(悲鳴を上げて逃げました)
つまり、僕が何を言いたいかと言うと
登山の楽しみ方は、驚く程に多種多様、驚く程に千変万化
登山と言う趣味は死のリスクが常にあります。
代わりに得るものは、人それぞれの価値観にある。
この物語のヒロイン、日比野鮎美は数々の山行のたびに美味しい「山メシ」を味わいます。「生きることは食べること食べることは生きること」僕は残念ながら、不勉強なため誰の言葉かは知りません。でも、その通りなんじゃないかと思う。
誰もが、登山者なら一度は経験したことがある筈です。何で、カップラーメンがこんなに美味しいの?という疑問。何故、こんな低山なのにこの充実感はあるの?
僕は考えます。「山メシ」の美味しさの本質を。縦走のタイム短縮の達成感の本質を。誰もいない、誰も知らないバリルートやった後の充実感の本質を。低山、高山、関係なく下山時の寂寥感の本質を。
日比野鮎美は自分の命をベッドしている。だからこそ、リターンの価値がより、上がる。
自分の命をベッドしてこその、最高の風景を。
自分の命をベッドしたらこその、最高の名誉と味わいが。
この、物語は全ての登山者(冒険者)への賛美の物語である。
酔っぱらいの謎テンションで書きましたヽ(*´∀`)ノ
…割と反省しています。
こんにちは
大山は割と身近なので良く登っています
お豆腐屋さんですね (・∀・)
おお!初コメントがヽ(*´∀`)ノ
Honoca様ありがとうございます
いつか、ご来店頂ければと、心よりお待ちしております
はじめまして。
もしかして大山豆腐さんですか?
いつもおいしくいただいています^^
自分の命を張ってこそ、見えてくる風景がある。。。
良いですね。『山と食欲と私』読んでみます。
はじめまして?
nandri様
え?誰だろうΣ(゚д゚lll)
拙い日記読んでくれてありがとうございます
ご来店して頂いた時は是非、教えて下さいヽ(´Д`;)ノ
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