今回言うまでもなく群馬で高校生が巻き込まれ、教員含む8名の方が
亡くなられると言う惨事が起こりました。亡くなられた方のご冥福をお祈りします。
自分は中学生です。高校生より小さな存在です。でも雪崩の可能性が
あるといえばあるところ入っていますし、落石に当たりかけたこともあります。
来年高校生になり、山岳部に入る身として思ったことを書きます。
まず、山は危険なところですし、それを覚悟で山に行くはずです。
その覚悟なく山に入る人間はこんな立場ですが批判します。
確かに死亡事故は悲しむべきものであり絶対あってはならないものです。
だから山に登るには本当はかなりの覚悟がいるはずです。自己責任で完結しろ
と言うのも多分そう言うことです。これからもストイックな姿勢で山と対峙したいと
思っています。 雪崩のように、人智を超えて要素があるものは山に入る時点で
仕方がないことです。でもその確率を下げるための行動は怠ってはならないし、
しなければいけません。でも起こるときは起こるのが自然です。
でも人智を超えた瞬間。身を運に任せなければいけないような状況に置かれることは
あるかもしれません。起ってはならないことですが対自然ですから。
「山」 普通の人からはただの山ですがそれには色々な意味や存在、生命や歴史。
色々なものが絡み合っていると思うのは一人、僕だけでしょうか。
自分が通う中学の系列の高校の山岳部の先輩が書いた記事を紹介します。
"3月27日栃木県那須町のスキー場で高校生7名と教員1名計8名の方々が雪崩に巻き込まれて亡くなられました。
ご冥福をお祈り致します。
亡くなられたのが私たちと同じ高校生であること、同じ期間に悪天候の中スキー合宿を行っていたこと、また雪山でも活動する私たちにとって、この事故を他人行儀に考えることは出来ません。
連日この事故の報道やニュースを見かけます。この事故で私が感じたことは“連れられる”ことの恐ろしさです。目標の達成の為にリーダー等の数人ではなく、一人一人が山を観察し自らの頭で考え、共有出来るようになる為にはそれを可能にする体力、知識は欠かせないと改めて感じました。
たとえ危険があろうとも大いに登る価値のある山で死なない為に普段より知識、体力、技術の向上に励んでいきたいと思っています。
最後に登山は目標を達成する為にどうすれば良いかを計画することも楽しさの一つです。単に危ないから行かない、ではなくリスクと上手く付き合い、計画と事前準備、そして登山を楽しむことが山岳部には出来ます。新入生を待っています。"
山というのはなんなんでしょうか?
ほんっとに、これだけ人が死ぬのに恐ろしいのになぜ人は山に登るのでしょうか?
あなたに突然山での死が訪れるとしたら覚悟は出来ていますか?
出来ていないならそれでも山に登りますか?
なぜ人は山に登るのでしょうか?
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