登山口には必ず、こんな注意書きが書かれている。「単独登山は危険です。必ず経験ある人と一緒に歩きましょう。」しかし、本当にそうだろうか。確かに、経験ある人と一緒に歩けば、当座の危険は回避できる。でも、ずっとそれを続ければ、いつまで経っても素人に毛の生えた程度の経験値しか獲得できない。だから、いつまで経っても独り立ちできない。いつも誰かと一緒でないと山を歩けないということになる。こんな人が、自分は多くの山を歩き一通りの経験を積んだと勘違いしたら、むしろ、こちらの方がよほど危なっかしい気がする。
私は、ある程度の危険を承知で、手頃な山を一人で歩いてみるべきだと思う。ある程度のリスクを背負って歩いてみて、初めて解かることは多い。第一、人の後に付いて歩くだけの、安全な登山をして、いったい何がおもしろいのだろう。一人で山を歩く不安とスリル、ひりつくような緊張感を乗り越えて、山や谷を踏破した時の達成感と感動は、大勢でがやがやしゃべりながら山を歩くだけでは、決して分からないものがある。
私の山歩きの経歴は、20数年前、ちょっとした冒険気分で分け入った、近場の600〜900mほどの低山から始まる。2万5千分の一地形図だけを片手に、最初はコンパスさえ持っていなかった。山道を歩いているうちに、登山ルートと間違えて地図にない林道に迷い込み、林道が途切れた後もあるはずのない道を探して、藪の尾根を100mほども下り、ようやくおかしいと気づいて大汗をかきながら尾根を登り返したこともあった。この時は、足がつって、夕闇の時間も迫り、山中で日没を迎えたらどうしようという恐怖で、パニック寸前になったことを覚えている。この他にも、現在地を見失う道迷いは何回か経験した。低山なので、道迷いしても適当な尾根を下っていけば、どこかの林道に着地して事無きを得るのである。
詳細な地形図があっても、山中での方位が分からなければ、地図をどちらの方角へ向けて周囲の地形と見比べたらいいのか分からない。こうした経験によって、方位磁石の必要性がここで初めて痛感される。
そのうちに、山での危険を回避し、安全に登山するには何が必要かが分かってくる。こうして、コンパスやヘッドライト、レインウェアなどを買いそろえていくことになる。コンパスの使い方は、ネットで調べ、磁北線はコンパスで大体の角度を付けて、地図にエンピツで必要な部分だけ手書きした。後は山を実際に歩きながら、体で覚えるのである。2万5千分の一地形図とコンパスを片手に、近場の低山の尾根や谷を片っ端から踏破していけば、小さなコンパスが、自分の命綱になっていくのが実感できる。
また、山を歩く経験が重なるにつれ、山の闇にも順応し、得体の知れない恐怖を感じなくなってくる。ヘッドライトがあれば、日没を迎えてもナイトハイクのスリルを楽しむ余裕も生まれてくる。
一人で歩けば心細く緊張感があるので、用心深く慎重になる。山を歩く時は最悪の場合を想定して準備する。金はないのでGPSは持たないが、歩く山域の2万5千分の一地形図(裏をガムテープで補強し雨に濡れても破れないようにしたもの)とコンパスは必ず持っていく。市販の登山地図はほとんど縮尺が5万分の一、細かな地形の変化が反映されないので、等高線を読みながら歩くには余り実用的ではない。それに、記載されたルートの線も大雑把で誤りも多いので信用できない。コースタイムが記載されているので、ルートを歩く時間の目安にする程度である。その他に、レインウェア、折りたたみ傘、薄手のダウンジャケット、フリースの上着、手袋、ヘッドライト、多めの水分(アクエリアスとお茶)、昼食以外にチョコレートなどの行動食、足がつった時のための冷シップ、予備の電池、電車・バスの時刻表、などを用意する。テントと寝袋は、泊りで縦走するようになって持っていくようになったが、日帰りの登山では持ち歩かない。
冬季は、積雪にもよるが、簡易アイゼン、12本爪アイゼン、ワカン、ピッケル、登山靴の中に雪が入らないようにするためのスパッツ、防寒用の毛糸の帽子、手袋、ネックウォーマー、下山が夜になりバスがない時のためにタクシー会社の電話番号メモ、などが加わる。積雪期は登山道を踏破する時間が、無雪期の1.5倍くらいかかる。トレースの無い尾根に突っ込んで、山中で日没を迎え、下山が夜の8時や9時になったことは何回かあった。最初から、そのような事態もあることを想定して準備しているので、思いの外の積雪に足を取られ、稜線の踏破に時間がかかっても、山中で夜になることも覚悟してしまえば、慌てず冷静に、力みかえることなく一歩一歩前へ進むことだけに集中できる。体力を使うのと緊張感でのどが渇き、手持ちの水分がなくなっても、目の前にある大量の雪を口の中に頬張れば、いくらでも水分の補給はできる。取り敢えず、生きて帰れればいいのだから、と思えば気楽になれる。
また、一人で初めての山を歩く時は、常に地図上の現在地を見失わないように注意を払う。ルート上のピークやコル、尾根や谷の分岐など、現在地特定の目安になる場所に来れば、必ず地図で確認し、道が進行方向を変えるたびに、コンパスを合わせ直す。通り過ぎた現在地をエンピツで×印を付けながら、進行方向が正しいのを確認する。遠目にもはっきり見えるピークがあれば、地図で見当をつけ、地図上の現在地からコンパスを合わせてみる。コンパスの指す方角がそのピークと一致すれば、現在地が正しいことを確認できる。ちょっと変わった地形が現れたら、すぐに地図を取り出して確認する。崖のような急斜面、緩やかな台地状の緩斜面は、地図の等高線の間隔でわかるので、現在地を特定する目安になる。地図の等高線で実際の地形をイメージし、それが眼前の山容と一致するのを確かめる。
だから、単独で歩くことは、大勢で歩くのとは、断然、獲得する経験値がちがう。おおぜいで歩くと、だらだらしゃべりながら歩くので、周りを見ていないことが多い。自分が今、地図上のどこを歩いているのかにさえ注意を払わない。ただ漫然と前の人の後に付いて歩くだけである。おおぜいで歩く安心感からか、道迷いや危険な場所に対する危機感がない。鈍感になる。大勢で一度その山を歩いたからといって、じゃあ次は一人で歩けるかというと、たいていの場合、そうはいかない。前の人に付いていったから歩けたのであって、単独で歩けるだけの経験を積んでいないからである。
単独で歩く経験を積むことによって、想定外のトラブルに見舞われてもパニックに陥らず冷静に対処できる、技術と胆力が身につくのである。
単独行の利点ばかりあげてきたが、単独行は長所ばかりではない。欠点もある。一番大きな欠点は、登山の基本的な知識や技術などの情報を得たり、修得したりするのに時間がかかるということである。グループ登山をしている人は、山友達や登山の先輩から山の知識や技術を教わることができる。ところが単独行者は、すべてが自分頼みであるために、独善に陥りやすくなる。自分の経験で得た知識や技術が一番だと思い込んでいるので、なかなか他人の言うことに耳を傾けない。その結果、登山の初心者でも知っているような簡単な登山の常識でも、自分が失敗して初めて身に染みて分かるという回り道をすることが多い。
私がまだ、近場の低山ばかりを歩いていた頃、誘われて1800mくらいの山に初めて登ったことがあった。履き慣れた安物の靴で行けばよいものを、奮発して初めて本格的な登山靴を購入し、それを履いて団体の登山に参加したのである。しかし、店員の忠告などは聞き流してしまい、サイズぴったりの靴を買ってしまったため、案の定、歩き始めてしばらくした時、足がむくんで痛くて歩くのが苦痛になり始めた。ついに歩けなくなり、そこから下山するまで、痛さに悲鳴を上げ、油汗を流しながら何度も立ち止まり、そのたびにパーティー全員が足止めされるということを繰り返した。その時感じた気まずさ、いたたまれない思いは、自分の未熟さとともに、二度と繰り返したくない苦い思い出である。登山靴は1〜2サイズ大き目の物を履くなどというごく常識的なことを、ほとんど単独でしか山を歩いたことのなかった私は、全く知らなかったのである。
これ以外にも、テント泊山行を始めた当初、テントや寝袋の種類選びを間違えて、山で苦労したり酷い目に遭ったりして、初めて最適なテントや寝袋の種類に気づくといったこともあった。その度に高い授業料を払う羽目になる。適切なアドバイスをしてくれる山友達や先輩がいれば、こんな回り道はしなくて済んだことだろう。
それでも私が単独行にこだわり魅かれるのは、単独行には抗いがたい大きな魅力があるからである。単独で歩くと、心細く緊張感がある分、感動の量が大きいのだ。大勢で歩けば安心感があるが、自然と一対一で向き合う張り詰めた感覚がない。そのせいか、目にする景色は同じでも一人の時と複数の時では受ける印象が全く違う。一人の時の方が圧倒的に美しく新鮮で強烈である。単独で歩いた時の感動を他の人とも共有したい、自分の歩いた山の良さを知って欲しいという欲求から、何回か他人を案内したことがあるが、不思議なことに、同じ山でも一人で歩いた時ほどの鮮烈な美しさや感動を感じない。あの風景はこんなぼやけた印象だったかと訝しむほどである。大勢で歩けば歩くほど、感動は希薄になるようだ。結局、その度に後悔し、また、単独の山に戻ることになる。大きな感動を得たければ、一人で歩いてみてくださいというしかない。
もし、何かのいきさつで他人と同行しなければならない場合は、最初から、その日は自分が楽しむことを諦める。その日は、他人に楽しんでもらうことに専念するのである。だから、私にとって、一人で山を歩く時と、複数の人と一緒に山を歩く時とでは、過ごす時間の感覚がまったく違う。張り詰めた感覚がなく、物足りないが、割り切ってしまうのである。
また、単独で山を歩くと自分と静かに向き合うことができる。黙々と山を歩くうちに、それまで頭の中を占めていた苛立ちや不安、後悔や怖れといった感情が、いつの間にかきれいに洗い流され、心の中には心地よい空白が広がる、そんな感覚を私は幾度となく味わってきた。気持ちがリセットされ、再び多くの人と向き合い仕事をする心の余裕が生まれるのである。
単独の良さは他にもある。他人に気を遣ったり、気兼ねしたりする必要がない、ということである。団体で歩けば、まず、歩くペースを合わせなければならない。自分が健脚で足に自信があれば、団体の歩くペースに合わせるのはまどろっこしく苦痛だろう。反対に、足に自信が無ければ、団体のペースに合わせなければと思い、つい無理をすることになる。それでも、追いつけず、たびたび待ってもらうことになれば、申し訳なく気まずい思いをすることになる。その点、一人なら、誰に遠慮することもなく自分のペースで歩ける。自分の体力に合わせた無理の無いテンポで歩けばいい。
そのうえ、自分の好きな時に立ち止まり、景色や花や森の風情を楽しむことができる。気に入った景色や場所や花があれば、好きなだけ写真を撮ることもできる。しばらく、景色や森の雰囲気に浸り、余韻を楽しむこともできる。また、気になる場所があれば、登山道を離れて、時間の許す限り自由に寄り道することもできる。
用を足すにも、団体で行動すれば気兼ねする。うまくタイミングを見計らわないと、他の人に迷惑がかかる。気ままに用を足すこともできない。
また、浮石の多いガレた登山道では、団体で歩くと、先行者が落とす落石で、後に続く登山者がケガをする危険がある。独りであれば、そのような心配もいらない。他の登山者との適度な距離を取って歩けばいいだけである。自分の後に続く人への落石を心配する必要もない。
団体で歩いた時、一番迷惑をかけるのが、山を歩いている途中でメンバーが体調不良になったり、足を痛めたりした時である。一人が起こしたトラブルは団体に波及する。誰か一人がケガか体調不良で動けなくなれば、団体全体が足止めされ、その日の山行予定が変更を余儀なくされる。場合によっては登山を中止し、急遽下山しなければならない。何年か前、数人の男性が代わるがわる一人の年配の女性を担ぎながら、20人くらいのパーティーが下山していくのに出会ったことがある。担がれている女性もいたたまれなかったであろう。自分のために、その日の山行を犠牲にして大勢の仲間がとぼとぼと下山していくのである。私なら、迷惑をかける側はもちろん、かけられる側にもなりたくない。
単独で山を歩いていて、足を滑らせ太腿を肉離れさせたことがある。転ぶまいとして踏ん張った結果、「ブチッ」と筋肉が断裂する音が聞こえたので、即座にこれはやばいと感じた。そっと足を動かしてみると、何とか歩ける。そのまま、足を労わりながら時間をかけて下山することができた。自分一人なら、自分の事だけを心配すればよい。ずっと気が楽である。
時々、私も、他人を案内して山を歩いてみようという色気を出すことがある。しかし、他人を案内するとなると、その人に不慮の事故が起こらないよう配慮しなければならない。一人ならば、自分の事だけを心配していればいいわけだが、他人を案内するとなれば、余分な装備や気遣いが必要になる。万一事故でも起これば、自分に責任がかかってくる。はっきり言ってめんどくさい。
やはり、単独が気楽で一番いい。自分の事だけに責任を負えばいいのだから。私には、静かな単独行が性に合っている。
全く同感です。私も専ら単独で山歩きしています。
その理由は、他人に気を使う必要がないので、自分の体力に合ったペースで歩けることです。今日は調子悪いなと思ったら引き返したりコース変更が自由に出来ます。私の膝の古傷は体力のある人と一緒に登山したときに相手のペースに合わせようとして無理したことが原因です。また、単独だと自由気ままな登山ができます。途中で良い景色や花があれば好きなだけ立ち止まって写真撮影ができます。用を足す時も単独が都合が良い。おっしゃる通り他人に責任を負うこともありません。
単独行のデメリットもあります。私は、岩登りや沢登りや雪山登山をしません。それは先輩から技術を教わることが無かったことが大きい。携帯電話の電波圏外で足を骨折して歩けなくなったことがあり救助要請が出来ませんでした。しばらくすると、たまたま他の登山者が通ったのでその人に電波圏内まで歩いてもらって代わりに救助要請してもらいましたが、誰も通らなかったらどうなっていたか。
私がヤマレコに登録したのは、ヤマレコに山行記録を載せている知り合いにコメントを寄せたいと思ったことからでした。ですから、自分自身の山行については全く記録を載せるつもりもありませんでした。
今回、ふとした気持ちから、過去書いていた、単独行への思いを吐露した文章を日記に載せたところ、思いの他の反響があり、自分でもびっくりしています。
私のような、全く山行記録をヤマレコに載せていない実力未知数の人間に対して、これほど多くの人が日記に目を通してくれるとは思ってもみませんでした。
おっしゃる通り、単独行には、メリットもデメリットもあります。ですから、すべてを拒否するのではなく、もし、縁あって接する機会のあった山の経験者で、これはと思う人があれば、腰を低くして教えに耳を傾けることも必要だと思います。今思えば、そうすれば私も、もう少し幅広い山の経験ができたことでしょう。
携帯の電波圏外で足を骨折されたという貴方の経験は、単独行のもう一つの最大の危険だと思います。私は、敢えてそのことについては触れませんでしたが、単独登山の最大のデメリットは、山中でケガをしたり、滑落したりした時、それがめったに人の通らない登山道ならなおさら、遭難の危険性が高くなるということです。ただ、それは、単独登山の魅力である不安とスリルと表裏の関係にあることなので、敢えて触れなかっただけです。その意味で、貴方の経験は稀有のことと思います。単独登山にはこのような危険があるという覚悟が必要なのかもしれませんね。
私もひとりだと得られる経験値が段違いだと思ってます。人といたら人のせいにして忘れてしまうかもだけど、ひとりで失敗したなら自分だけの判断の結果な訳で逃れようなく強烈な思い出になりますし。
自分が経験してない登山の理論で武装してくる人の話は薄っぺらいですが、自分で経験してきた登山の理屈がある人は話に厚みがありますね。
「自分が経験してない登山の理論で武装してくる人の話は薄っぺらいですが、自分で経験してきた登山の理屈がある人は話に厚みがありますね。」
貴女のこの一言に重みを感じます。
貴女の過去の山行記録の目録を拝見しましたが、おそらく、私などより数倍の山の経験をお持ちの方とお見受けしました。そんな方の目に、私などの文章が目に留まったとしたら光栄です。
私も、過去の山行の写真のデータのあるものの中から、少しずつ山行記録を整理し記録しようかと思っています。いつのことになるやらわかりませんが・・・
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