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しかし、ただそれだけで、これだけの長い間、多くの人を惹きつける理由にはならない。もう一つの理由は、金剛山が歴史と文化の香りを身にまとう山であるということである。実は、全国の山岳に伝説の跡を標す日本山岳修験道の開祖、役行者(えんのぎょうじゃ)の生まれ故郷の山であり、その山岳修験の修行を修めた最初の山が金剛山なのである。多分に神秘的な伝説の多い人物だが、私個人的には、日本の全ての登山者の祖でもあり守護聖人でもあるという気分でいる(笑)。だから、金剛山の転法輪寺に参る時には「南無神変大菩薩(なむじんぺんだいぼさつ)」という彼の菩薩号を唱え、山の安全と加護を願う。江戸時代までは、金剛山の山頂に本堂があり、山麓には多くの堂塔・伽藍・僧房があって、さながら修験道の一大メッカであったと言われている。南北朝時代には、後醍醐天皇を助けて挙兵した楠木正成が、金剛山頂から長く伸びる尾根の先端に難攻不落の「千早城」を築き、英雄的な抵抗をしたことでも知られる。金剛山は、そんな歴史と文化の香りを残す山なのである。
でも、歴史には好き嫌いがある。そんな歴史など知らなくても、多くの登山者は金剛山を訪れる。登山者を金剛山に惹きつけるさらにもう一つの理由が、おそらく「花」である。金剛山はほとんどが植林の山であると言ったが、山頂周辺のわずかな山域に国有林がある。この国有林を中心に、美しいブナや雑木の自然林が残る場所が点在する。ここが、山野草の宝庫なのだ。
この自然林の残る国有林のある山域は、不思議なことに、そのほとんどが、大阪府と奈良県の府県境の奈良県側に属す。大阪府の「河内(かわち)の国」と奈良県の「大和(やまと)の国」の国境は、金剛山の山頂付近だけ、不自然に山の稜線を外れて大きく西側、つまり河内の国側に食い込んでいる。自然の山の稜線で国境を区切るなら、当然、大阪府側に入るべき山域が無理やり奈良県側になっている、という感じなのである。この不自然な国境線の由来は、戦国時代に始まる河内・大和の国の農民の水争いに端を発している。この農業用水の利権をめぐる水争いを調停した時の権力が、大和の国に軍配を上げたことによって、自然の国境線が無理やり大和の国に有利なように変えられた、というのが真相のようなのだ。そのことが幸いしたのかどうか知らないが、金剛山頂付近の美しい自然林が残された国有林は、まさにこの不自然に大阪側に食い込んだ県境の奈良県側に残された山域に当たるのである。
金剛山で美しい自然林の残る山域を上げていくと、カトラ谷の上流部、タカハタ道の尾根の奈良県側、千早本道の尾根の奈良県側、文殊尾の奈良県側、モミジ谷上流部の尾根、サネ尾の東側斜面、そして、大阪側では、最大の自然林が残る丸滝谷〜石ブテ尾根などがある。金剛山とは千早川を挟んで対岸になるが、マス釣り場背後の山と赤滝谷両岸の自然林も美しい。ここに、四季折々の山野草が美しい花を咲かせる。
最も有名なのは、カトラ谷上流部のお椀のような形をした広い谷の斜面に、4月〜5月にかけて、一面に白い花を咲かせるニリンソウの大群落である。カトラ谷にはその他に、ヤマシャクヤク、エンレイソウ、ヤマブキソウなどが咲く。広い谷の斜面のいくつにも分岐した流れを分け入り、斜面を這い登れば、見つけることができるだろう。花が見たければ、登山道を離れてちょっとした危険を覚悟の冒険が必要だが。
私は20数年前、まだ体力のあった頃、金剛山のあらゆるルートを踏破するのに熱中したことがあった。奈良県側のルートは、大阪側から山越えで、一旦、奈良県側に降りてから登り返して歩いた。クソマル谷、イワゴノ谷、高天谷などは、単独で歩くスリルが病みつきとなり、4〜5回歩いた記憶がある。しかし、あらゆるルートを歩き尽くした現在、金剛山に登るならここと、決めているルートがある。歩くルートの条件は、まず、人が少なく静かな山歩きができること。そして2番目は、できれば美しい自然林の中を歩きたい、ということである。その条件にかなうルートとして私が選んだのは、登りは、丸滝谷・石ブテ東谷または石ブテ尾根〜金剛山、下りは、金剛山〜モミジ谷〜水越峠というルートである。バスの時間の都合で千早側に降りるなら、ワサビ道を選ぶ。モミジ谷の下山ルートは、どの尾根や谷を選ぶかで6つのバリエーションがある。どのルートを選ぶかは、その時の気分や季節ごとにそこに咲く花によって決める。
山に早春の花が咲き始めるまだ肌寒い4月初め、私のお気に入りのルートは、石ブテ尾根からの登りとなる。登山道入口の暗い植林の尾根に、仄かな灯りを点すようにシロバナショウジョウバカマの花が点々と咲き始める。まだ寒々とした冬枯れの自然林の枝のあちこちに春のさきがけを告げるのは、クロモジやダンコウバイの小さな黄色い花である。地面には、早咲きのスミレやフキノトウが顔を出し始める。やがて、山は少しずつ色彩を豊かにし、ヤマネコヤナギの黄緑色のフサフサやクロモジの黄色、そしてタムシバの白い花が、枯れ枝のあちこちに見え隠れするようになる。地面には、スミレの数が増え、ミヤマカタバミの白い花、トウゴクサバノオの黄色い小さな花、ヤマルリソウ、シロバナネコノメソウなどが、モミジ谷の渓流のほとりに、小さな群落を作って咲き始める。
やがて、4月中旬、山は新緑が芽吹き始め、その淡い微妙な色彩のくすんだ黄緑色が、うっすらと煙るように全山を蔽う。その美しい黄緑色の間に、ヤマザクラの薄いピンク色が点々として鮮やかな色彩の彩りを添える。モミジ谷の渓流のほとりには、ニリンソウの白いかわいい花があちこちに群落を作って咲き乱れ、ひときわ大きな白い花を咲かせるイチリンソウや、淡い紫のジロボウエンゴサク、コガネネコノメソウやヨゴレネコノメなどの小さな黄色い花が可憐な花を咲かせる。
ちょうどその頃である。金剛山にカタクリの花が咲き始めるのは。カタクリはデリケートな花である。落葉広葉樹の自然林の森が、冬枯れの枝に新緑を芽吹かせ、その葉が完全に森を蔽い太陽を遮るまでのわずかな間に、緑に紫のまだら模様のくねくねと波打つような葉を出し、明るい赤紫のうつむき加減の美しい花を咲かせる。1年の内、たった2ヵ月地中から顔を出し、花を咲かせた後、森が濃い緑に覆われ太陽の光が届かなくなると、枯れて再び地中深く眠りにつくのである。
金剛山のカタクリは、山頂の葛木神社の裏手のブナの森に、所どころ点々と咲くのはよく知られている。しかし、それがまとまって群落を作り、林床を蔽うように咲く場所があるのは、余り知られていない。それは、私の知る限り2か所ある。1つは、広いカトラ谷の斜面のどこか、ふと舞台のように平坦になった場所がある。そこに小さな群落を作って咲いている。もう1つは、モミジ谷上流部の尾根のどこか、尾根と尾根の間に、やはりふと平坦になった広場がある。そこに群れて咲く。モミジ谷の尾根のカタクリは、踏み跡の両側の笹やぶとの境目にも、人が歩けば踏みつぶしてしまいそうなほど無造作に、あちこち咲いている。メインの登山道から外れた、獣道のような枝道に分け入らないと出会えないそのカタクリの花園は、知る人ぞ知る、まさしく「秘密の花園」である。
しかし、驚いたことに、ネット上では、このカタクリが盛んに販売されている。多くの登山者の中には、盗掘する不届き者もいるだろう。やはり、秘密の花園は「秘密」のままにしておくのが一番いいのかもしれない。
東海地方在住で、金剛山は1回登っただけですが、全面的に同意します。
伝説の役行者が葛城一族の人だったらしいと聞いていましたが、山中に葛城氏の墓、それもメンテされているのを見て、歴史が続いていることを実感しました。
東西のサバノオを運良く見たのも、感激。
珍しいものを手に入れたいと言う、山野草趣味にも激しく怒りを覚えます。
近所(車で一時間くらい)にあれだけの花が有る山を知りません。うらやましいです。
秘密のまま、護られるとことを祈ります。
大阪近郊の人ではなく、東海地方の方から熱いコメントをいただくとは思ってもいませんでした。地元大阪の人間は、金剛山の歴史については意外と淡白です。役行者が大和の国の葛城氏の生まれであるということを知っている人も少ないでしょう。葛城一族の墓というのも、葛木神社の神主の先祖の墓ぐらいに思っています。
たった一度訪れられた金剛山が、そのような思い出深い印象を与えたことは、うれしく思います。サイゴクサバノオは、白いランプシェードのようなかわいく美しい花ですね。私も好きです。
金剛山の自然と花が、このまま守られることを私も願っています。
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