その人は、二台のカメラを駆使して、熱心にツルギキョウの実を撮影し、静かに立ち去りました。私は、iPhoneのカメラを駆使してツルギキョウの実の写真を撮り、その人を追いかけました(写真左)。
すると、すぐ先でまたツルギキョウの実があり、その人が写真を撮っていましたが、私の姿を見るや、「またありましたよ」みたいな仕草をして親切に教えてくれました。
その人は、山側を見ながらゆっくりゆっくり、牛歩の如く歩いていました。私は、牛歩は自分の専売特許とばかり、超牛歩でその人の後に少し距離を置いて続きました。
水平道が終わり、階段の登りにさしかかったところで、その人がしゃがみ込んで赤い実の写真を撮っていたので、私は頃合を見計らって、それが何の実か質問しました。その人は、「ツルリンドウです。」と、静かに答えてくれました。もちろん、私もツルリンドウの実の写真を撮りました(写真中)。
「他力本願ではあるけど、ツルギキョウとツルリンドウの実を見ることができたんだ。良かった、良かった。」と、私は思いました。
その後、小仏城山まで歩きましたが、いくつかの素敵な実を発見しました。写真右はそのうちの一つ、アオツヅラフジの実です。これは他力本願ではなく、自分の力で見つけたものです。まあ、それほど珍しい実ではないようですが・・・。
「他力本願」という言葉は、あまり良い意味では使われませんが、初心者には難しい花や実の同定に関しては、ある程度は他力本願でもしかたないのかな?と思います。もちろん、いつまでたっても人まかせではいけないと思いますが。
山歩きにおいては、他力本願ではいけないと思います。いざとなったら、頼りになるのは自分だけというくらいの強い気持ちが必要と考えます。
それではまた😊
(追記)今回の日記では、「他力本願」という言葉を「人まかせ」というような意味で軽く使ってしまいました。本来の意味から外れて使用したことをお詫び致します。fgackty
fgacktyさん、こんにちわ。
思いがけない秋の実との出会いができて
ラッキーでした。
今でこそ他力本願という言葉は人任せ、
他人任せというネガティブな用法が定着
していますが、本来は仏教用語で仏様に
縋って大願成就するというような意味ですから、
そういう意味では、山の先達の助けで
素晴らしい出会いに導かれたと考えると
よいのでしょうね。教えるほうも自分の知識を
ひけらかしたいというより、自分の好きなものを
好きな人に伝えられたのが嬉しく感じられるでしょうし。
小さな山での助け合い、教え合い、私も好きです。
k-yamane さん、こんばんは。
「他力本願」の本来の意味から外れていました。もっと日本語を勉強しなければいけませんね。
コメントありがとうございました。それではまた😊
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