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「コロナ」蔓延のご時世ですが、ふと思い出した景色あり。。
我が東広島市:八本松町にある「深堂(ふかどう)山」の麓に「清滝」【写真1】・「千度の掛けはずし」という、こじんまりながら味わいある名所がありました。
「・・・ありました。」の理由は、平成30(2018)年七夕を悪夢に変えた「西日本豪雨災害」です。その年7〜8月に人生初:災害ボランティアに7回参加した内、「千度の掛けはずし」がある深堂山の麓:正力団地でも土砂撤去を行いました💦💦。
「千度の掛けはずし」とは、江戸〜明治時代と思われますが、八本松町:飯田地区と正力地区の「水争い」の地点です。【写真2】
古いお方ならピンとくる農業用水の取り合い。幅30cmあろうか?という用水路仕切り板を「千度の掛けはずし」により各地区の水田へ送り込むため厳しい時間制限あり・・・見張り役あり、掟を破ると「殴り殺されても文句さえ言えなかった」そうです。
現在ではあり得ないことですが、亡き西条のじいちゃんを思い返すと心当たりあります。もう30年位の昔話ですが、私の地区でも水利組合が取り仕切り、1時間単位での用水権「くじ引き」みたいなことが行われていました。日中ならまだしも、運悪ければ21時とか22時〜1時間、「我田に水引き」という日もあり、じいちゃんは時間前から田んぼに入り浸りでした。
じいちゃんが亡くなる数年前には、兼業になった(亡)親父と「ちゃんと水を見てきたんか?」「明日も仕事があるけえ、そんなにさいさい行かれるかい!」と度々、喧嘩沙汰・・・。親父が亡くなり、田んぼを続けられなかった私は、今になってじいちゃんや親父の苦労を実感します。我が家の周りからは田んぼが見えない程、宅地開発がすすみました。
昔は家族を守るため、「命」をかけて農業していた心意気を覚えています。。
台風とかの時、用水路を見に行って流されるおじいさんの心情もちょっと分かるかな(笑)?
「千度の掛けはずし」は西日本豪雨災害により埋もれてしまいました。【写真3】
いくら「コロナ」が大変だと言っても、大東亜戦争もかいくぐったあの時代のことを思えば可愛いもんだと、あの世のじいちゃんが言ってるような気がします。。
幼少時の田舎生活、田んぼ水確保難儀の父親の姿を思い出しました。終戦後の第一子と生まれ亡き父のご苦労姿が懐かしく偲ばれました。
nabekiyo1946さん、はじめまして😃YoshioEnnaと申します。私の母は1945年12月生まれで74歳になります。nabekiyoさんと同年代くらいですか?
亡き親父は2つ年上でした。
親父の逝く歳に年々近付き、親のおもいが分かる歳になってきました。
じいちゃんとよく喧嘩もしてたけど、家族を守りたい、親父の言い分や苦労も少しずつ分かるようになってきた気がします。。
8月最初の日曜日は、先祖の墓苑の清掃日でした。
嫁と一緒に草むしりしていると、「(親父弟妹と幼な時期に遊んでいた・・・)今、ご弟妹はお元気ですか?」と声を掛けて下さった方と叔父や叔母の話ができました😀
親父たちの懐かし話が聴けて、良き時間でした。ご先祖さまに感謝、感謝です🙏
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