【かつて真面目に満員電車で通勤していた頃、人身事故(飛び込み自殺)で電車が止まると、「他で死ねよ」と本気でげんなりしていた。ホームにあふれ返る多くの乗客が、私ほど突き放した感想を持っていたとは思わないが、ほぼ全員、迷惑を感じていたのは間違いない。
自死を選んでしまうほどの「誰かの苦しみ」より、通勤が滞ることで発生する「自分の面倒」(不快)の方が重要な問題だった。通勤というのはそこまで重要なことなのか、ということに疑問を抱く心の余裕は当時の私にはなかった。出社時間に遅れそうならば、その旨、会社に連絡し、出社後に、その理由と電車の遅延証明を総務部に提出しないと、無連絡遅刻となり、懲戒処分の対象になってしまう。会社に着く時間が遅れれば、朝からやろうと思っていた仕事が滞って、そのしわ寄せが全体に波及し、周りに迷惑をかける。
一人の命は地球より重いという言葉があるが、通勤通学が滞りなく進むことの方が、現実の社会生活にとっては重要らしい。となると経済システムは人間の命よりもずっとずっと重いということである。社会を効率よく運営して、人を幸せにすることを目的としたシステムが、いつの間にか人間を追い越して、社会全体の目的のようになっている。そこまでして社会全体がこれ以上豊かになる必要があるのか、ちょっと立ち止まって考えると複雑だ。】
『お金に頼らず生きたい君へ』服部文祥著(河出書房新社)
その人は死にたいわけでは無く「ここで事故に遭えば今日出社しなくて済む」という感覚だったそうです
それを読んでから、もし家族が仕事を辞めたいとか学校に行きたくないと言っても、取り敢えず休む様に言おうと思いました
因みにこの本を読む前に私自身、現在の仕事に就いて暫く経った頃、ノイローゼ寸前までいきました(人間関係です)
その時家族に「病欠をとるかもしれない」と意を決して話しました
家族は黙って私の話しを聞いてくれました
それだけで私の心は軽くなり、そのまま勤務を続け、その翌く年には職場を異動し、病欠を取ること無く仕事を続けられました
人間社会(関係)もシステムも、健全な生態系から徐々に逸脱しているような。。。
すべてが“効率”と”生産性(予定調和)”の管理下に。。。
https://www.yamareco.com/modules/diary/3230-detail-324916
登山も例外ではない⁉
https://www.yamareco.com/modules/diary/3230-detail-324967
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