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#朝ラン #早朝ラン #ランニング
オーディブルは小松左京『日本沈没 下巻』の続き。第5章「沈み行く国」の途中まで。
Dデイが始まる日の予測が当初想定より前倒しされ、残された時間が10か月ほどしかないと判明したとき、いよいよ政府は公式発表に踏み切った。だが、首相が国民向けに談話を発表したまさにそのとき、いよいよ富士山が大噴火した。日本の東西を結ぶ交通網は遮断され、地盤のズレによって日本列島を結ぶ橋脚やトンネルも寸断されて、人流・物流はストップ。そんななか、1億1千万の国民を10か月以内に全員海外に脱出させる計画がスタートする。外国船舶や航空機の買い占め、借り上げが急ピッチに進められるが、日本が沈むとわかった以上、そこに船や飛行機を貸すのはリスクが高すぎると渋る外国勢。しかも、空港も港湾もあとどれだけ持ちこたえられるかわかったものではない。
〈−−人々は、まだ日本という国の社会と政府を信じていた。いや信じようとつとめ、信じたいとねがっていた。政府がなんとかしてくれる。……決して自分たちを見すてやしない。……そのもう一つ底にあるのは、政治家だって役人だって、同じ日本人じゃないかという、根強い、長い、歴史的意識だった。
長い鎖国−−明治大正昭和も、一般民衆にとっては、一種の鎖国だった−−を通じて培われた、抜きがたい「同胞意識」が……天皇の一声で戦争をやめ、戦後、政府、軍閥を口先では、はげしくののしりながら、13名のA級戦犯処刑の時、後ろめたさと内心の痛みを感じさせたような、「政府‐指導者」との、郷党意識をはるかに越える一体感、「共同体感覚」−−むしろ、子が親に、「最後は何とかしてくれる」と思い、そう思うことでつながりを保証するような「国に対する甘え」の感覚が、今もなお、大部分の民衆の心の底に根強く、わだかまっており、それが彼らに、「危機における従順と諦念」の基本的行動様式をとらせていた。
だが、意識の底の「甘え」にささえられて、彼らの意識の表層に近い部分に、もう一つの「行動体系」があった。近代社会の、とった、とられた、とか、損害をかけられた、侮辱された、とかいったとげとげしい利害関係、緊張関係の中で形成されている行動体系が……。なにかといえばどなりあい、集団でおしかけ、怒号し、器物をこわし、大声で非をいいたて−−だが、それは結局集団意識のいちばん底にある、社会に対する、また責任者に対する「甘え」の上にのっているため、一部のリーダーをのぞいて、それをやっている連中全部が、つねに100%本気であるわけがなく、感情の発散や昇華が終われば、いつも基本的な「宥和関係」のベースにもどって関係の調整がはじまる。−−しかし、今度は場合が場合だけに、もし、政府不信と不安のたかまりが、何かはげしい行動をとってあらわれれば、その不信が自己増殖をはじめ、パニック状態にまでつき進む可能性があった。〉
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