つい先日東京で、乳児を背中におんぶした母親が、横断歩道ではない所を、片側に沢山止まっている車の間を横断しようとして、反対方向から来た車と衝突した。母親は転倒しても無事だったようだが、背中の乳児はその際道路に頭を打って死亡した。
それに関する報道で、TVも新聞も、母親が子供を背負って自転車に乗る事の危険ばかりを強調して、横断歩道のない処を車が止まっているからと言って、そんな所を横断する事の無謀さと危険さに全く言及しない。
子供を死なせた母親を、批判するような事になる事に遠慮があるのか、全くピントが外れている。
これとよく似たケースに、俗に言ふ「サンキュウ事故」と言ふのがある。例え車の運転手がどうぞと合図をしたとしても、その先は安全か否かは本人が確認しなければならない。免許を持たない母親にそれを言ふのは酷かもしれないが、しかしこう言ふことをする母親には、矢張りその危険性と同時に、それを回避する知識を教えてやるのが本当に必要な事だと思う。
この他にも、最近のマスコミも社会も異常だ。STAP 論文事件もそうだが、小保方さんに全く罪がないのに、寄ってたかってバッシングする。
また、大阪の中学校の校長先生が、「女の子は子供を二人以上生む事が大切だ」と言ったと言って、校長を辞めさせられた。校長先生の話の全文をよく読むと、いい事を言っていると思う。日本民族が滅亡すると言ふのも本当の事だし、決して出鱈目ではない。
mesnerさん、こんばんわ。
同感です。特に日本の女性の母性の劣化、
危機管理意識の低下に憂慮します。
日記にはしませんでしたが、
昨年冬のとある食堂で、
お店の人が手渡した熱いみそ汁の入った
お盆を娘さんの頭越しに、
テーブル向こうの家族に渡した女性がいました。
一瞬、我が目を疑いましたが、
こんな例をあちこちでみかけます。
240 さん、yamane さん、今日は。コメント有難うございます。
私が言いたいのは、「母性の劣化」や「危機意識の低下」もいいですが、マスコミが事件の本質を正しく取材して、言い難いことでも真実を報道すべきだと言ふ事です。
福島原発以後、マスコミは政府や役所の発表をそのまま報道するだけになりました。まるで戦前の大本営発表そのままです。それだったら、マスコミは要りません。
「危機意識の低下」は念頭にありません。
マスコミに事実とそれに対する論評を峻別して報道することを期待しても構造上無理です。
全ての受け手に、情報の収集・分析・批判を期待しても、これも無理です。
しかし、事実に対する評価が複数発信されるので、一つに依存せず若干の分析は可能です。
こんばんは
今、80代の人もTVでビートルズを見ています。
TVは今だGHQコードに縛られているのかも知れません。
「みんな仲間だよ」「世界は友達だよ」「特定の国の人もいい人だよ」「自己主張なんかしなくてもいいんだよ」「みんな横並びだよ」などという「サザエさん」「明るい農村」的なメッセージで見る人を洗脳して連合国への恭順を解いています。
洗脳に乗ると表面的な安心は得られる反面、横並びから外れる恐怖からストレスがあり、これがイジメ・バッシングに繋がっていると感じています。
戦国〜戦前の日本を見ると意外に自由で活発で、かつ山頭火が自殺しようと市電の前に飛び出すと、急ブレーキに怒った乗客が山頭火を袋叩きにしようとするくらい戦闘的で、でも、秩序と潔さを重んじていたようです。
そのせいか、災害からの復興や欧米文化の吸収も早く、丁髷から数十年で「列強」に食い込むところまで来たのですが、連合国はこの日本人の性質を恐れたゆえ洗脳を始めたのでしょう。
日本が経済成長している間は、洗脳の矛盾は露呈しませんでしたが、高齢化・縮小化の中で、捨てるべきものを捨てることができなければ矛盾・非効率・負担・ストレスが生じます。
恭順を続けさせるにはバッシングというガス抜きもまた必要になるのです。
矛盾・非効率・負担・ストレスから目を背けさせ、支配するためには、視聴者を「仲間を大切にする小学校の道徳が理想とするような子供」にしておく必要があったのでしょうが、これもある程度成功し、今の80歳から下は全て、「子供」の様です。
「ベテラン」「大人」など存在しません。
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