私は’99〜’04年、県下の無名峰専門登山ガイドブックやビデオを刊行すると共に、新聞社主管登山講座及び自主開催の登山イベントの講師として、受講生たちを無名峰へいざなっていたが、これにはある信念があった。そのことは以前、通信制大学(通常の大学は何十年も前に卒業)のボランティア論のレポートに記述した。それを紹介したい。
『無名峰登山という名の環境保護活動』
1.登山ブームの「罪」
近年、巷では「山ガール」と呼ばれる若い女性登山愛好家が増加しているが、日本では1960年頃から20〜30年に一回ほどの頻度で登山ブームが起こってきた。今日の若い女性を中心としたブームは、第三期登山ブーム(近代登山の幕開けもブームに入れるのであれば第四期になる)となる。但し、1990年代前半の中高年による第二期登山ブームからは、「登山」は「人気の山岳レジャー」として定着している。
全国各地の山、取り分け、展望が優れ、道標や登山道が整備された高山に登山客が集中したのだが、その結果、踏圧 による笹等の植生の後退等、自然環境に少なからずダメージを与えることとなった。しかし登山客に対して入山規制をかけることはできない。そこで、登山客が無理なく、自然に悪影響を及ぼさない登山をできないものかと思案したところ、「登山客の分散」を目的とした「無名峰登山」の普及を推進するに至った次第である。
2.無名峰登山の意義
無名峰とは、市販の登山ガイドブックで紹介されたことがない山と、地形図に山名表記がない山を指すが、一般には前者のことと理解される。
無名峰は道標も一切なく、登山道も踏み跡程度で、山頂からの展望が優れている山 も少ない。しかしその反面、入山者がいないことにより、山頂を独占でき、自分だけの「時」を過ごすことができ、野生動物に出逢う確率も有名峰に比べると高い。
また、無名峰登山には、「有名峰の登山客分散」効果以外にも利点がある。昭和後期以降、安価な輸入木材の普及により、日本の林業は衰退し、山間部は過疎化と高齢化が進行、植林帯も手入れされずに放置されたままの山林が多い。そうなると登山道も荒廃するのだが、高齢の山林地権者にとっては、山林を整備したくても、登山道が藪化していれば容易に入山できず、その結果、山は荒れ、保水機能を失い、大雨時は下流集落が洪水の被害を受けることになる。
無名峰に多くの登山客が訪れるようになると、有名峰の登山客が分散されることにより、自然の後退が抑制され、消えかけていた無名峰の登山道は復活し、麓の集落も活気づく。
一部の有名峰では山頂周辺に自然保護のため、木道が敷かれているが、中腹から下の登山道には何の措置もされていない場合が多い。山頂や展望の優れた箇所のみ保護すればいい、というのは人間本位のエゴだろう。
そこで当方は無名峰の魅力と意義を伝えるため、地元県の無名峰専門の登山ガイドブックやビデオを刊行した。幸い、これらと当方の活動が地元紙で報道されたことにより、地元新聞社主管の登山講座の講師となり、また、自ら主催する山行会で、各地の山々に受講生を引率して行くことができた。
3.効果と課題
「無名峰登山」が、登山客の心理的及び物理的負担がなく、無理なく実施できる間接的自然保護活動になることが分かったと思うが、課題としては、どうしても有名峰と比べると、無名峰は標高やダイナミックな景観の点で劣るため、講座や山行会の継続的参加者は決して多くない、ということである。
「自然破壊を誘発する有名峰登山」より、「自然環境に優しい無名峰登山」の方が意義深いということは、誰でも頭では理解できることだが、登山初心者が実際に双方を登り比べてみると、やはり前者を選んでしまう。ここにこの活動の限界があるが、ベテラン登山者のように、有名峰を殆ど登り尽くしてしまうと、無名峰に目が向くことだろう。
「登山」をただの山岳レジャーと捉えるのか、自然保護のための手段として捉えるのかは、心持ち次第である。常に問題意識を持って生活し、課題を見つけたら、それが客観的に公益性のあるものか否かを判断し、あらゆる手段で情報収集や調査を行い、それを解決することである。
ps:私は有名峰へ絶対登るな、と言っている訳ではありません。ただ、大手山岳会や旅行会社の登山ツアーのような、毎年同じ山へ何回も登るようなことは自然へのダメージが大きいから、自粛すべきである、と言いたいのです。
一番目の写真は鬼ケ城山系笹山、二番目は横倉山系最高峰禿山の稜線、三枚目は四万十町と鬼北町界の戸川地蔵山登山道。
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