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小島烏水・岡野金次郎ら一行が、播隆上人以外の日本人として初登頂したのが明治35年(1902年)8月。17歳の槍ヶ岳冒険談は、それから僅かに7年後のこと。
芥川達が雇った案内人は、上條嘉門次の長男・嘉代吉。道中、赤沢岩小屋・坊主岩小屋にてビバーク。岩小屋というのは、岩陰・岩室の類いであって、もちろん山小屋なんぞではない。
今から116年前のその時代、槍ヶ岳山荘・殺生ヒュッテはおろか、山小屋なんてものはまるで存在しない。おそらく、上高地に嘉門次のあばら家がおっ立てられていたくらいだろう。
とりわけ、現在のような鉄鎖やら鉄梯子やらのサポートなんて、当時の槍ヶ岳登攀路には、金輪際設置されていない。そんな難嶮を、麦藁帽子に股引に浴衣の尻っぱしょり、毛糸の手袋に脚半に足袋に藁草鞋、なんぞで登り詰めたのだから、何という驚異的なスクランブリング能力!
写真は左から、小島烏水、上高地の河童、上條嘉代吉。
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