|
山歩きの虫がうずき、少しだけ歩くことにした。
大浪池への登山道は複数あるが、新燃の噴火以降あまり使われていない道を
少し歩いた。
県道から2万5千分の1換算で1cm(250m)も行かないうちに
沢が右手に現れた。
「ありゃりゃ、これは違う」とやぶこぎをしながら沢から離れ登山道に出た。
数十メートル歩いた所で現在地確認の為、地図を確認しようと立ち止まった。
するとガサッと音がしたので鹿だと思い音の方向を見るとなにもいない。
すぐ近くで何かが動いた、わずか2メートル程前に茶色いものが目に入った。
鹿だ!でも、何故逃げない。
これまで鹿を何度も目撃したがいつも十メートル以内で見たことはなかった。
鹿は倒れていた。一生懸命立ち上がろうとするが立てない。
私の前から1メートルほどズルズルと這うように逃げたが、もう動けない。
足は折れていないようだが、どうしたのか、痩せてもいない。
カメラを手にして構えると、彼女は力の無い目で私をじっと見つめる。
ファインダーを覗きながら思わず声を出し彼女に尋ねた。
「おまえ、どうした? どこかわるいのか?」
彼女は何も答えず静かに観念したかのように天を仰いだ・・・いや、うつろに空を見上げた、まるで私に喉笛を見せつけるかのように・・。
私の右の人差し指が動いた。
どうしたものだろう?
これが自然なのか?
私は頭が混乱した。
もう、前に進む気が失せた。
重いものを胃の中にズッシリ感じながら彼女から逃げるように真っ直ぐに登山道入り口まで戻った。
これも自然か、生き生きした自然しか意識していなかったが、淘汰も又自然。
陰陽をまじまじと感じた。
生きること死ぬこと表裏一体。
そんなことが頭から離れない。
山はいい、確かに良い。
しかし、自然は弱肉強食であり、弱いものは死ぬ。
野性の世界には病院もなければ助けてくれるものもいない。
一人で生きれぬものは死ぬだけ。
「陽」には「陰」が必ず表裏一体としてあることを目の前に突きつけられた。
そんな事は当たり前の事なのだが、ショックだった。
自然は果てしなく美しい、そして同じように残酷でもある。
生きるということはそういう事だと強く再認識した。
人間も動物も森羅万象ことごとく悠久の時の流れの中にある・・・
そんな事に思いをはせた1日だった。
ほげーッ
![](https://www.yamareco.com/uploads/smil3dbd4e7853679.gif)
kirishimaさん
グッとくる日記ですね
FMラジオのクロスオーバーイレブンの脚本のようです
tsukamoさん、コメントありがとうございます。
生き物の本能は生きる事ですから、切なかったですね。
写真もやっと1枚だけ撮りました。
何とか生きていればとも思います
コメントを編集
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する