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父親が自然好きだったので・・と言うより当時は他に遊ぶところがなかったのだろうと思いますが、小さい頃にあちこちの高原やら山に連れて行ったようです。でも、ほとんど記憶には、残っていませんがね。考えてみると、この幼い頃の環境が少なからず今の自分に影響していたのだと思います。
そして、この写真を見ていると「母さん、僕のあの帽子、どうしたんでせうね?」という昔流行ったフレーズが浮かんで来ます。40年も前だから、若い人は知らないでしょうが・・・。
このフレーズは、映画「人間の証明」のキャッチフレーズとして有名ですが、実は、西条八十の「ぼくの帽子」という詩の一節です。
***************全文を引用*********************
母さん、僕のあの帽子、どうしたんでせうね?
ええ、夏、碓氷から霧積へゆくみちで、
谷底へ落としたあの麦わら帽子ですよ。
母さん、あれは好きな帽子でしたよ、
僕はあのときずいぶんくやしかった、
だけど、いきなり風が吹いてきたもんだから。
母さん、あのとき、向こうから若い薬売りが来ましたっけね、
紺の脚絆に手甲をした。
そして拾はうとして、ずいぶん骨折ってくれましたっけね。
けれど、とうとう駄目だった、
なにしろ深い谷で、それに草が
背たけぐらい伸びていたんですもの。
母さん、ほんとにあの帽子どうなったでせう?
そのとき傍らに咲いていた車百合の花は
もうとうに枯れちゃったでせうね、そして、
秋には、灰色の霧があの丘をこめ、
あの帽子の下で毎晩きりぎりすが啼いたかも知れませんよ。
母さん、そして、きっと今頃は、今夜あたりは、
あの谷間に、静かに雪がつもっているでせう、
昔、つやつや光った、あの伊太利麦の帽子と、
その裏に僕が書いた
Y.S という頭文字を
埋めるように、静かに、寂しく。
***********************************************
あの頃の帽子は、自分にとって何だったのか。失って、もう戻ってこない・・・? でも、心の奥深くに宿っている何か・・・。
こんな感傷に浸るのも、歳のせいかな〜。
写真1・・・60年前、蓼科湖と思われる湖畔で母親と
写真2・・・カシミールで蓼科湖から横岳方向を検証
写真3・・・「人間の証明」森村誠一著 1975年「野生時代」に連載
aruaruさま、おはようございます。
麦わら帽子のフレーズは、西条八十さんなんですね。
おかげで眠っていた記憶が呼び起こされました。
1枚目のお写真ですが、山と湖、そして親子の後ろ姿の構図が、家族の記憶を残そうとする撮影者の想いが伝わってきます。
映画化もされた「人間の証明」ですが、森村誠一さんの小説には、確か「この小説を角川春樹氏に捧ぐ」と有ったと思います。
ある日、近所の小さな食堂に報道関係者が押し寄せたことがあり、母親に聞いたら当時、角川映画や文庫などで時代の寵児だった角川春樹氏が、父と離婚して別れた、生みの母に会いに来たとのこと。
まさかあの食堂のおばちゃんが本当の母親・・・と、当時角川文庫を愛読していた中学生だった自分も驚いたのと、親子について考えさせられました。
子供にとっては、いつまでも麦わら帽子の記憶と母親への想いというのは、小さい頃とかわらないのでしょうね。
今度、母さんにも聞いてみようと思います。
acky-mouseさん こんばんわ。
コメントありがとうございます。
身近でそんなことがあったら、特に記憶に残るのでしょうね。
この頃、ふとした事から記憶を呼び起されることが多くなって来ました。歳をとった証拠ですね。
でわでわ
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