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1枚目、ストームワークス社製SH-12、初心者用のパラです、1991年頃だと思います。スクールに入って1ヶ月、他の人達が昼食を食べに行って誰も居ない事を尻目に、勝手に好き放題飛んでました。
最悪なスクール生でした。
2枚目、ストームワークス社製SU-14、この機体はストームワークスの最上位機で危ないパラでした。1993年この頃はパイロット証のライセンスも持っていたので、ブイブイ言わせながら飛んでいました。丸沼スキー場の1番高いゴールドコースからテイクオフをして、レストハウスの前にランディングした時の写真です。
3枚目、イスラエルのアプコ社製のパラ
名前は忘れたました。2000年頃だったかな、この頃は当然サークルソアリングも出来る様になっていたし、それに飽き足らずアクロバチックなフライトもしていました。この写真はローリングをしている所です。ウイングオーバーまではしていないけど、結構怖かった記憶が有ります。
パラを辞めてから22年経つけど、今でも気持ち良く飛んでいる時の夢を見ます。
アァー、また飛びたいなぁー
鳥のように空を飛ぶ!
羽のない人間の憧れです。
これまで、身近にパラグライダーをしている方はいませんでした。なのでdotekabotyaさんが空を飛んでいたなんて“ステキ”です。青空と同化して自由飛べたらと‥、想像するだけでワクワク・ドキドキします☆
少し若い頃は何回も空を飛ぶ夢をみましたが、さすがに今はみなくなりましたが。
また、飛べたら最高でしょうね(^o^)/
パラグライダーを始めるきっかけは
20歳の頃、ビーナスラインのキスゲが見たくて車山に登った時の事でした。
山頂付近の斜面に多くのハングライダーが居て、良い風が入って来ると次々に斜面を駆け下って、テイクオフして行くのを目の前で見た時の衝撃は、今でも鮮明に覚えています。
その頃は、パラグライダー自体が存在していなかったのですが、飛びたい夢だけはずっと持ち続けていました。
元々、ヨーロッパ発祥のスカイスポーツで、フランスのスカイダイバーが下山の手段として、山の斜面から飛んだのが始まりだと言われています。
日本に入って来たのが1986年の頃、その2、3年後パラグライダースクールがあちこちに出来たのです。
1991年、丸沼スキー場にパラグライダースクールが有るので、行って見ないかと友達に誘われたのが始まりでした。
宇都宮にもパラエリアが2ヶ所有るので、タンデムフライトができます。AKAIWAパラグライダースクールと、スカイパーク宇都宮パラグライダースクールです。古賀志山に行くとパラグライダーが飛んでいますよね、あれです。
試してみる価値は有ると思います。
素晴らしい写真をアップしていただきありがとうございます♬
大空を駆け巡るってとてもカッコいいですね!
その頃の私は、スクールの皆さんが大空を滑空している姿に憧れ♬
いつか、皆さんのように飛びたいと思っておりましたが、飛べないまま終わってしまいました...
でも、あの頃は今と違って、なにをやるにも派手派手で夢があり毎日とても楽しく過ごしていたように思います。途中で挫折しましたが(笑)
パラグライダーはあの頃の楽しく派手な時代を象徴するスポーツだと思います♬
dotekabotya さんカッコいいです!
コメント、ありがとうございます。
そうですね、今思い直してみても夢の様な凄く楽しい10年間でした。那須塩原市の高林で、テイクオフを作って飛んでいた事は日記に書きましたが、その近くに古民家を借りて、クラブハウスにしていました。週末になると県内はもちろん、東京や埼玉からもクラブ員が集まって来て、昼間はフライト、夜は飲めや歌えのドンチャン騒ぎ、得意のギターを弾きまくったものです。
パラグライダーにハマりまくった、10年間でした。昔の記憶を思い出させてもらい感謝です。
ありがとうございました。
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