山行記録にも書きましたが、私の登山をはじめたきっかけが先週の親父の還暦祝い登山のための体力トレーニングでした。
それを無事に終え、一息ついて呆けていました。
登りだせば滝のように汗をかき、膝の痛みに耐え、水分や食料は持参しないと餓え渇き、トイレすらもままならず、終えた次の日には疲労と筋肉痛。
よく続けているなぁと我ながら関心しています。
山は苦行のようだなぁ、と。
宗教上の苦行であれば、悟りを開くためであったり、輪廻転生からの解脱であったり目的があるわけです。
では、この登山という「苦行」には何の意味があるのか?
登山を始めてから人によく聞かれる質問です。
「なんで苦しい思いをしてまで登るの?」
正直、なんて答えていいか分かりません。
もちろん、キレイな景色であったり山頂に到達した達成感であったりといろいろと言い訳がましく言えるのですが、ではキレイな景色が見えなかったり、山頂に到達しない登山に全く意味は無いのか?と言われると、そうでもないような気もしています。
そこで思い出されるジョージ・マロリーの名言
「そこに山があるから」
正にこれではないかと思います。
ピーク、尾根、斜面がそこなければ登山はしないでしょう。
そこに山があるから登山をする。
これはなんともシックリくる答えだと思いました。
登山しない人に説明するのは困難でしょうが。
私の山行記録もすでに18。
改めて読み返すと、ヘビーな急登を登っていたり、ステキな景色を見ていたりと、なかなかいい登山をしてきたなぁと自画自賛中です。
現在治療及び筋力トレーニング中の膝へ負担をかけない程度に、まだ見ぬピークを目指したいと思います。
徒然なるままに焼酎をちびちびやりながらの駄文でした。
本当に山が好きなんですね
kaikaireiさん
コメントありがとうございます!
好きなのかなんなのかはよく分かりませんが
しっくり来たのは間違いないですね!
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