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バサバサと藪漕ぎの音を立てて辿り着く。
狭い山頂には ご夫婦らしきお二人が
笹原越しのご来光にカメラを向けている。
バサバサと音を立ててきた私に
お二人とも 振り向く様子が無かったので
「おはようございます」と小声でささやく。
お二人は 背を向けたまま ピクリとも動かない。
もしかしたら カメラの先は 小鳥や小動物なのかもしれない。
空気を読み 私もカメラでご来光を撮影しようとした その時、
ご主人が振り向き ギョッとした顔をされて
「いやーーー ビックリしたぁーー!
音も無く現れるからさぁー アハハ」
私「 ぉ ぉはようございます(・・;)」
(←ギョッとされて ギョッとしている)
いやいやぃゃぃゃ
音も無く現れることはできない場所だし 着いてすぐ挨拶もしましたよ‥
あれで 音も無くと言うのなら
もし クマが近付いてきても 気付けませんぜ?
(←という言いわけは 全て私の心の声)
私にしてみたら
その場の空気を読んで
静かにしていることが
思いやりや 優しさだった。
だけど、
たぶん あのご夫婦の立場では
「挨拶をしない登山者に ギョッとさせられた」
となるのかも‥
驚かすつもりなんて無かった。
私は「挨拶をしない人」ではない。
「わかって欲しい」
こちらの真意は正しく伝えたいが
うまくいかないのが
世の常 人の常のような気がする。
人は 思い込みや 決めつけ
誤解 勘違い 被害妄想
空気の読み違いなどが 実に多い。
逆の立場で 私の方が
「わかってあげられなかった」
「気づけなかった」ってことも
きっと いっぱいあるはず。
私も 相手も
悪気なんてない。
何気なくやってる。
思いやりかもしれない。
迷惑をかけないように
気を使っているのかもしれない。
他人との小さなすれ違いは
すぐ忘れるけれど
大切な人と
「分かり合えない」って
とても切ない。
自分が小さい頃に 傷ついた
親の態度や言葉も同じ。
あの時の あの人の
あの態度も あの言葉も同じ。
「捨てられること」
「裏切られること」
半世紀 生きていたら いろいろある。
あんなことも こんなことも
その人の立場からの
「正しさ」や「言い分」がある。
‥なんてね、
わかったようなことを言いながら、
誤解 すれ違いに ココロはチクチク。
お山で リセットだ (´ー`)*✲゚*。