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2019年02月12日 12:42徒然レビュー(書籍)全体に公開

「普通」って何? 人と違う幸せ*喜び

2016年芥川賞受賞「コンビニ人間」(村田沙耶香著)を読みました。

就職 恋愛 結婚 出産に価値を見出せず
「コンビニのバイト店員としてしか生きていけない女性」の視点で話は進みます。

「コンビニ」の喩えを「学校」や「社会」に置き換えると 全ての読み手に当てはまると思います。

ハッピーエンドなのか
バッドエンドになるのかで
読み手の「普通指数」が測れますが
私には清々しい「ハッピーエンド」でした。

そもそも「普通」って何?

この世で生きていくために
大多数の人間の価値観であるよう
家庭では親からすり込まれ
学校では教師からすり込まれ

人と違った言動には
たちまち 大多数側の圧力により 社会に適合するように修正されていく。

修正されない人間は 心配されたり「変わり者」として扱われ
さらには「発達障害」「アスペルガー症候群」に分類したがる社会。

年間3万人の自殺者、10万人の変死を出す日本の息苦しい社会に適合することへの疑問。

誰かの目から見ての「普通」であることを優先し
「本当の自分」を無視し続けて
無理して我慢して生きることは 「幸せ」と呼べるのだろうか。


登場人物の言葉
「僕は誰にも迷惑をかけていないのに、皆が平然と僕の人生に干渉してくる。僕はただ静かに息をしていたいだけなんだ」

わかる!共感する!

私の人生においても
前半は なかなか模範的な人生で
人並みに 就職 結婚 そして
子を授かりました。

それでも 周囲からは
「第二子の誕生」を勧められ
「一人っ子は可哀想」
「親がいつまでも生きている訳ではない」と、
身内は 泣いて見せたり
関係のない他人や近所の八百屋店員までが「産むべき」と干渉。

私は 我が娘の幸せを 世界中の誰よりも願っている。
「一人っ子が可哀想」と思ったことは一度もない。
一人っ子ゆえの自由 幸せ 楽しさもある。

逆に「一人っ子じゃなければ可哀想」とも思わない。
どちらも 幸せなのだ。


私の人生の後半で
「離婚」を選択してからは
一人で山に登る楽しみを覚え
慎ましくも 日々を大切に生きている。

それでも身内や他人の干渉は続く。

「山を一人で登る人って 質が悪いのかねぇ」と 登山中の夫婦の陰口を耳にした。

「私があなた方に何か迷惑をかけましたか?」と言いたくなる。
「遭難 滑落 救助の税金や人手の問題」ならば 団体登山だからこそ起こる場合もあり得る。

何故 大多数の「普通の人」は そんなにも上から目線なのだろう。

自分が選択したことの反対側を選んだ人を否定することで 安心したいのかもしれないが…

何を選択しようとも
その立場での体験や感情から
「人としての学び」は必ずある。

主人公と同じような
「少数派」の選択だとしても

自分のココロがシンプルに
「楽しい」と感じることを
日々 大切にして生きていいんだよ?

誰かの価値観の「普通」が優先の人には
バッドエンドの つまらない作品のようですが
この作品が芥川賞に選ばれたことで 日本文学に救いを感じました。

自分以外の人間の選択したことへの干渉がやめられない「普通の人」に是非 読んでほしい作品です。
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