ここ1ヶ月、雪崩が頭から離れない。
「令和」の時代を迎える当り飲んだ勢いで今の気持ちをぶちまける。
ヤマケイ文庫の「雪崩遭難」を読んでから今までの雪崩経験またはデブリの凄さが走馬燈の如く思い出される。
「雪崩遭難」の事例は全て参考になったが、2000年のガラガラ沢の遭難は憶えている。
当時BCを止めていたのでガラガラ沢での遭難は沢の西側の尾根(急斜面)から雪崩が発生したものと思い込んでいた。
しかし、今回思いもよらない所(私の未熟)から発生、何と第2ケルン下。
よく滑っている所だ。
そして恐ろしいことにその雪崩は最近滑っているガラガラ沢エントリーポイントを越えガラガラ沢へ、そして一方は八方押出を下りガラガラ沢と合流合わさって南股入沢(BCの終了近く)までデブリになっていたとの事。
嘘でしょ!と思った。信じらてない程の距離を雪崩が一気に下った。
八方押出、ガラガラ沢を10回近く滑っている。
確かに常に雪崩を気にしているが、こんな大きな雪崩が来たらどうしようもない。
「雪崩遭難」で改めて感じたことはやはり「弱層テスト」はマストだと感じた。数度「弱層テスト」の現場を見ているが自分自身やったことはない。全ては雪が安定しているかどうかだ。
後述するように4年前の雪崩に巻き込まれた。
巻き込まれ前、外人のガイドから注意してとアドバイスを受けていた。
当日の状況を把握していたようだ。
最近は雪崩情報と数日前からの気象状況は必ずチェックしている。
遭難後エアーバック付のザックを購入しBCにはできるだけこれを担ぐようにしている(重いため安全と思う時は時々軽いザックに)。
次に、エアーバック付のザックの効用について
幸いにまだエアーバックを利用したことはない。
使っていないだけにその効用が信頼しきれていない。
使い方は1度雪崩に遭って意外と冷静に判断できたので問題ないと思う。
しかし、雪崩の状況でスキー板が心配。前回雪崩に遭った時、ビンディングが緩くすぐ外れてくれた。最近、強く締めているため外れ難くなっている。この影響が分からない。
もう1つは滑る斜面の問題。オープンバーンが好きなのでどうしても急斜面のオープンバーンに行ってしまう。
勿論、樹林、灌木がない斜面は雪崩が起きる代名詞。
しかし、オープンバーンこそエアーバックが生きるのではないかと。
樹林帯滑走はパウダースノーで滑りは最高。しかし、樹林帯と言えども雪崩は起きないと限らない。
4年前の雪崩の際は最初はスキーカットで発生、しかし、その後の2度目の雪崩は樹林帯から崩れてきた。樹林帯と言えども雪崩の危険がある。
問題は樹林帯での雪崩の場合、エアーバッグは役に立たない?
樹林帯では樹木への衝突が怖い。エアーバッグが開いても樹木への衝突に助けはならない。
先日の大渚山では樹林への衝突より雪崩の上に乗った方が安全?と判断し、オープンバーンを選択した。
次に、雪崩の経験について
勿論、まだ生きているのでそれ程の経験はない。
1、学生時代(1968年?5月後半)WVの雪上訓練が岳沢で行われていた。
3回生?であった私は遅れて岳沢に入った。その晩雪の崩落の音が幾つも聞こえた。翌日、天狗のコルまで登ることに。私だけスキーでハイクアップ。天狗のコルで休息後、私が先行して滑り始めるとそのスキー下から雪崩が発生。何とその雪崩は今の岳沢小屋近くまで届いておりそのデブリの大きいのは今でも目に浮かぶ。
2.今から11年前(2008年)、遠見尾根の一ノ背髪から村尾根へのBCで
滑り終わった後、今起こったかと思う八方沢からのデブリが帰りを塞ぎ、デブリの中に人が埋まっていないか心配になった。
3.今から8年前(2011年)、針ノ木雪渓BCで赤沢岳(赤沢)からの雪崩が凄い。針ノ木雪渓にたどり着く前に戦意喪失。早々に引き上げたのを思いだす。
4.今から5年前(2014年)、大渚山BCで雪崩の上に10数m乗った。
湿雪の表層雪崩。上に乗りながら雪の下に巻き込まれないよう大人しく動きを見ていた。
5.そして完全に雪崩に巻き込まれた。今から4年前(2015年2月28日)
忘れもしない若栗ノ頭からのドロップ。前述したように外人ガイドが注意したように不安定な雪質だったようだ。今もそうだがBCに関して全くの素人だ。その前にカラースポーツで弱層テストを習っていたが全く生きていない。
しかし、その後に活きていないと自分の未熟さを改めて感じ恐ろしさを感じる次第である。
自然への畏敬の念を感じれば感じる程、山に対して真摯に向か得ねばならないと改めて述懐させられる。
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