伯母谷集落は、かつて吉野と熊野を結んだ東熊野街道沿いに位置し、東熊野街道随一の難所であった伯母峰峠に続く川上郷最奥の集落です。その伯母谷集落から北へ東熊野街道が通う山並を眺めると、少し離れた山腹に石灰岩の白い大きな岩が見えますが、地元の方々が「大塔さん」と呼ぶその大岩の裏側に天誅窟は眠っています。
天誅窟(てんちゅうくつ;てんちゅうのいわや)はその名の通り、幕末の動乱期に江戸幕府を倒して新たに天皇中心の政治を行おうとする尊王攘夷派の志士たちで結成された天誅組に由来します。天誅組そのものは挙兵から1ヶ月余りで終焉を迎えますが、天誅組志士の小川佐吉は医師でもあった乾十郎を伴って、療養の為この天誅窟におよそ2ヶ月間も潜んだと云われています。幕府の追討軍が迫る中、当然それには伯母谷集落の方々の多大な協力があってこその潜伏だったわけですが、こんな山深い大峰の片隅で、命を懸けて維新を目指した志士とそれを献身的に看病した医師、そして身の危険を顧みず2人を匿った伯母谷の方々との知られざるドラマがあったんだなぁと感慨深く浸ります。
ビデオに感動しました。
国道169に旧街道があったとは知りませんでした。
天誅組のことは五條市や吉野方面に史跡があって、目にすることがあります。
私が天誅組のことを知ったのは御所市の榎本医院でした。
代々医師の家系で五代前の女医が天誅組と関わりがあったとか。
天誅組について自分はなんとなく知ってる程度だったんですが、天誅窟について詳しく調べる中で、ただ単純に逃げるために隠れていたわけではなく実は色んなドラマがあったんだと知って、学校で教えられる歴史はあまり好きじゃなかったけれど、こうやって自分で調べる歴史はとてもおもしろいなと思いました😊
小川に付き添った乾も五條の医師でしたし、ご先祖様が天誅組と関わりがあったという方が今も実際にいらっしゃるというのは、とても興味深いですね。
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