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Amazonから届いた秋冬季用アンダーウェアを
重ね着し、交換部品で元に戻ったトレッキング
ポールを連れて、いつもの若者に連れられて、
滝巡り&山行の一日を過ごした。
よく、「気が合う」という言葉を耳にしたり、
お目にかかったりする。ホントに気が合ってる
のか?そもそも、「気が合う」とか、「気が合
わない」ってどういうことなんだろう?
道中、そんなことを考えていた。
道中に浮かんだ、私なりの解釈は、
『気が合う』とは、「お互いが、ある時は、
譲り、ある時は、譲ってくれて、意見が衝突せ
ず、お互いを否定し合わない間柄」じゃないの
かなぁと考えていた。そんな間柄を、自分目線
で語るとき、出てくるのが「気が合う」という
言葉じゃないかと。正しくは、「自然に気を合
わせてくれる」
って事じゃないかと。
生まれも育ちも違う四半世紀25歳の年齢差、
そんな彼と事務所が異なるようになっても、
誘ってもらって、こうして青空の下で行動をと
もにしているのは、自然に、お互いがお互いを
敬い、(実際、山の楽しさを教えてくれたのは
彼だし、今もこうして、教え続けてもらって
いる。逆に、道中、繰り広げれられる私の全知
識、全知見、全体験を余すことなく総動員した
どこからなにが飛んでくるか分からないトーク
に敬意を表してくれてるかどうかはわからない。
彼の笑いの地平に着地していてくれれば、幸い
だが。)お互いの譲れないものを譲らせるよう
なことはせず、必要なら譲り、譲られる。
そんな距離感を構築できたことに心から感謝
している。(私にとって山行中は、別人格が
発現されるのか、とにかく感謝したくなって
くる。その別人格が自分でもキライではない。)
自分が社会的に存在できるのは、この社会が
画一を追求するだけの社会ではなく、多様性を
認める社会でもあるからだということを頭から
すっかり消し去っている人が目立つようになった。
他人の価値観を否定し、攻撃し、自分だけ、
多様性の恩恵を被って安寧に存在しようとする
のは(無意識であったとしても)、不均衡だ。
気が合わないのなら、合わせずに距離を開け
れば、それでいい。距離を開けられないのであ
れば、気を合わせる前に、信頼を得るか、自分
の必要性を理解させるか必要な手段を考え、
講じればいい。
【(加筆) 関係を続けざるを得ない場合に
ついては、相手と向き合うことから離れて、
「関係を続けざるを得ない理由」と向き合う
ことで、精神的距離を開けるというのも自分を
守るためには、有効かもしれない。】
道中、近況から、常々思ってたことや、色ん
な事をたくさん聞いてもらったが、聞き出して
あげられたかは、私には確かめる術がない。
別れ際、正確には覚えていないが、
「また、いっしょに行きますよ!」と彼は、
言ってくれた。
私は、どうやって答えたか、覚えていないが、
「こちらこそ、よろしくお願いします。」と心の
中で言っていたのは間違いない。
そんなすてきな一日だった。
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