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まで、自我と自我を見つめる視点に距離はなかった。
山歩きを楽しめるようになって、日常よりも高い
場所の景色を眺めながら、景色を眺める自分を自分で
見つめるようになり、自我を見つめる視点に自我との
距離が開くようになった。
自分を見下げず、見下さず、ただ、見下ろすことを
意識するようになって、自我を見つめる視点は、以前
よりも後方に、そして、自我を、他者を、様々な事象
を、俯瞰できる高さに少しずつ移動しているような気
がしている。
主観の中で生きていられた時期に終わりを感じて、
自分が、生かされていたことに気づく時期にさしかか
り、いつかは、自分で自分の終わりを受け入れ、自分
を看取るようになるのを予感してみると、「死後の
世界」は、現存するかどうかということと無関係に、
この世に生を授かったものどもを俯瞰する視点として
必要だったのだと気づかされた。
「そこ!私語は慎みなさい!」
「あ、すみません…。」
思い返せば、私は、
授業中に私語を注意されることが多い生徒だった。
深いお話しですね。
仰りたいこと、特に自我を、他者を、様々な事象を、俯瞰できる高さに少しずつ移動しているような…は、理解出来ます🤭
ごっでぃさんの精神が成長?されているに他ならないという事ですね。
ワタシもそうありたいものです…
残念ながら…未だ修行中です🧘
けどね…
ごっでぃさん、難しく考え過ぎてない?🤭
これ、ホントーー?🙄
死語の世界はあるんです。
許してちょんまげ。
現場からは以上です。(笑)
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