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永禄5年(1562)毛利氏の出雲侵攻(第2次月山富田城の戦い)に出雲の国人は動揺し、三刀屋氏、松田氏などは毛利氏に投降します。しかし先に投降した石見の本城氏に対する毛利氏の処遇を見た松田氏など一部の出雲の国人は尼子氏に復帰しました。翌永禄6年(1563)毛利軍は松江の白鹿城を攻撃しますが戦線は膠着となります。この間に月山富田城の西側補給路を絶とう考えた毛利氏は、白鹿城攻めの兵力の一部を熊野城攻略に当ててさらに300丁の鉄砲を投入して攻撃しました。(熊野鉄砲揃の戦い)熊野氏は善戦耐えに耐え抜きました。白鹿城が尼子勢の優勢となると、熊野包囲軍は攻城を解き白鹿城へ撤退しました。その永禄6年末の白鹿城の降伏開城後も毛利氏の攻撃に耐え、永禄9年(1566)の尼子氏の降伏開城にともない、熊野城も開城しました。
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