テレビ岩手が制作したドキュメンタリー映画(たゆたえども沈まず)の紹介をテレビで見た。
その時、ポストに投函の音。見てみると防災セットの通販カタログだった。
また、あの日が近づいてきてるのだ。
思い返すとあの日は、秩父の節分草群生地を見たあと四阿山にいた。
山頂直下の岩場を登ってたら、ふぁと体が浮いた気分がして、眩暈かと岩にしがみついた。すると岩ごと揺れている、地震だ!!崩れないでとしがみついたまま収まるのを待った。揺れが収まって山頂へ上がり両神山の荒々しい姿を見て、次はあの頂きとのんきに考えながら駐車場へ戻り、薬師の湯へ着く。震源地はどこだったのだろう?
東北で大きな地震があり津波が発生、避難呼びかけの声がテレビから絶え間なく聞こえた。むろんまだあの大災害が起きてるとはわからなかったが、なにか起きてる不安は徐々に大きくなってきた。早く家に帰らなくちゃと花園IC着くと高速道路は全面閉鎖されていた。一般道のみにナビを入れ直し進むが渋滞はどんどん酷くなる。東京は電車が止まり移動困難で大変らしい。カーラジオから被害の状況が入り、それは刻々と大きくなっている。ほぼ歩くより遅いスピードの車の中、ひとりなので土地勘もない場所だし車列から出ると帰れなくなりそうで、コンビニにも寄れない。
トイレを我慢しながら探し始めるとないものです。もう限界と思った時にすき家、事なきを得て家に辿り着いたのは8時間かかった夜中の12時。家の中は飾り棚の物が少し動いていただけだった。少々長くなりましたが、あの日の記憶です。
東北の大惨事について語る資格はありません。ただただご冥福をお祈りするだけです。
その後、災害用品のダイレクトメールが増えたように思われます。
比較的災害の少ない地域に住んでいるが、東京直下型地震もあるから備えなくてはなないと考えながら、時間は過ぎてしまいました。
車の中には、もう寝袋持って山へは行かれない為、不用になった寝袋を入れてある。
年のせいかトイレが近くなった携帯トイレも必要だわ。
なんて、ダイレクトメールを見ながら買おうかな、どうしようかな考えている。
ちなみに、あの時寄れたすき家。後からどこだったのだろうと地図で探したが分からなかった。恩人のようなお店だ。
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