BSのTVを視聴して色々と考えさせられました。
新年の恒例登山後、なんとなく足が山に向きませんでした。
私は、蛇口をひねると飲料水が出る(今はレバ-をあげる ですね)に馴れてしまっているが、同じ地球上には、毎朝、生活用水を汲みに山道を数時間かけて歩いてる人達がいるし、飲料水の確保以上に空爆や化学兵器におびえて生きている人達がいます。
山に登るたびに見える景色に思うことが、複雑に感じることが多くなってきてます。リフレッシュ、自然に触れる、高山植物を愛でる、汗をかくため等々良い想いで歩いてましたが、いつしか 目に入る景色は人工物がやたらと多いと思い始めました。
人工林の中を歩き、視界が開けた場所から見える景色は、高圧線に鉄塔、開けた山裾は、ゴルフ場やソ−ラ−施設。もっと下界に目をやれば、田畑・工場・道路など建築物等々 人工物だらけ。
空を見上げても飛行機 海にもタンカ−が遠くに小さく見えます。
そう思いながらも、安易に公共交通やマイカ-で登山口まで行っている...。
役行者や播隆上人達 先人は、登山口まで行くのに不便を感じてたのだろうか?
縄文人の遺骨は、争った傷跡が骨に残ってないようです。弥生時代の稲作を初めてからの遺骨には打撃等の痕が見受けられるようになったとか..。
とある縄文遺跡では寝食の場所が高所で 海・川から採った食糧の加工場(貝塚)は岸近くにあったとかで、自然災害の畏れを代々知り伝えていたようですね。
多くを望まず、地球の営みに逆らわず命をつないできた縄文人の知恵は素晴らしいと思えます。
文明が開き科学技術が進化し、生活が便利になり、より便利になろうと日夜勤勉に励んでいる人々。
安楽死や尊厳死と対局に、いつ、国同士の争いやテロ等で、殺されるかと怯えている人達もいるのが現実。
数万年前、アウト オブ アフリカした祖先 ホモサピエンスは、何を思い考えて旅に出たのだろうか?GPSやスマホや自動車・スト−ブ・ゴア○ック等が無く大変な想いをしたから、現在 私達が使用してるのかな?
将来、電気に変わる動力が発明発見されるのかな?。
46億年の地球の貯蓄(資源)をここ数百年で使いきって、あらゆる生命が尽きることが無ければいいな...。
隠蔽だの偽造だのパワハラだのの問題は 政治・会社やスポ-ツ界の平和の産物?代償でしょうか..。
宗教や経済に洗脳されてしまったかな?
富や簡単便利より代々繋いでいく大切なことがあるはずだけど...。
賢い縄文人のDNAの覚醒を期待したりしてます。
てな、青臭い事がよぎりました。
五感(触覚 聴覚 視覚 嗅覚 味覚) 第六感 が、鈍くなったかなと感じる今日この頃。
明日は、三輪さんとの対談の様です。
目に見えない事物の話があるのかな?
興味津々です。
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