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しかしながら、一般道がそのポイント付近にまで到達していない「山岳渓流」での釣りは、ザイルワークやゴルジュ帯突破、そして道程の途中に幕営地を設定しながらの遡行釣りとなるが、当時私の仲間には、そこまでの経験のある者はなく、しかし憧れを持ち続けている仲間は少数いた。
そうした願望を抱きつつ、毎年のように地元の天竜川の支流、相川の枝沢「出馬川」をホームグラウンドとしていた頃は、山師が分け入り、地元漁協のアマゴの成魚・稚魚放流という、ある意味治山状態が健全に保たれていた。流程はそれほど長くないが、滝をいくつも高巻くなど、それなりのポイントからは尺に近い天然化したアマゴが、手作りのフライにヒットしてくれたものだ。また一日遡行しても、一部沢沿いの山師の道を利用して、十分に楽しむことができた。
あるとき、富山湾に流れ込む、神通川の上流、温泉水が流れ込む新穂高温泉郷の川(蒲田川、高原川など)では、道路や山々に残雪がいたるところに見られる早春の渓では、その水温が高いおかげで、魚の餌となる水生昆虫が活発に生息し、真夏でも雪解けのおかげで、年間の平均水温が18度前後と安定し、魚の生息条件にとり、うってつけの環境であり、私の住む河川では、真夏直前にやっと、体高の素晴らしい獲物をゲットできる季節となるところ、この川では、岸辺に残雪が覆う時期から、グッドコンディションのヤマメがゲットできるとあり、その魅力はいやがおうにも、ポン助の心を高ぶらせた。
新穂高温泉郷のとある宿を行きつけとして、泊りながら何回か出かけたとき、宿の主に、真夏の双六谷でのオオイワナも魅力だとういことを聞かされた。
主は、地元の山師が、そのついでにイワナ釣りをするために訪れることことしかできない「べかり淵」について、熱く語ってくれたのだった。そのことがきっかけで、私の地元愛知には、大物のイワナを、ダイナミックな渓流で狙うことなど夢また夢であったため、早速、唯一釣りのうまが合う、仲間と計画をねることとなった。
「べかり淵」は、金木戸川の奥にあり、ゲートに車を駐車させて何キロも林道歩き、高低差100メートルほどの沢に降りるためには、当然のこととしてロープが必要とのことであった
春先の釣りにもかかわらず、その年の真夏のイワナ釣りに向け、夢を語りながら、消防の救助技術の一つである懸垂下降の知識でもって、座席結びにカラビナを装着し、50メートルロープを3本つなぎ合わせれば、渓流に降り立つことができると判断し、その時期まで数か月。
そもそも、宿の主人によると、「べかり淵」の「べかり」とは、見ためが、べかーっと、ないでいることの表現であるとのことで、水面は流れの見分けがつかなくとも、碧く、深く、水中は重く、早い流れのある淵であることがわかった。その淵は、流れ出しから上流の滝の落ち込みまで、およそ、40メートルぐらいあるらしく、泳いでいかないと落ち込みまではたどり着けないというものであった。
またそこでは、以前山師が、50センチに近いイワナを数本上げたのであるということだった。
決行当日、一番にべかり淵にたどり着くため、上宝村の宿を夜中に出発し、ライトを照らす必要のないまで、夜明けを車中で待ち、下降。
下降したあと、しばらくは胸までつかりながら、その淵を目指し、一部泳ぎながら遡行、尺上のイワナを数本ゲットし、べかり淵と思われるポイントに到着。
すでに体が冷え切っているため、とても泳いで落ち込みまでは行けないが、頭上は開けているため、ダブルホールで、バッキングラインまで出せば、落ち込みの直前までフライを届けることができる距離であったため、早速、8番のドライ・マドラー・ミノーをキャスト。一頭目から、写真の45センチの獲物をゲットすることができた。
今となっては、その場所へ行く仲間がいなくなり、己の体力や装備も対応することができなくなり、若気のいたりだと思っている。
その翌年には、淵のさらに奥の、キンチジミ沢への釣行も実施したが、乏しい遡行能力により、入渓してわずかにたどり着いた、大きな釜での流れ出しで納竿となった。
沢登りの技術があれば、もっと上流の桃源郷にたどり着いたのではと、いまでも後悔の念にかられることがある。
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