「ちゅうぼう(自身が中学生のこと)」の忖度。
以前、この日記でキツネの急襲について情報をアップしたが、その中で、中三の夏休みに伊良湖岬までのサイクリングで自信をつけての釣行記云々。
地元の方はご存じかもしれないが、旧鳳来町川合から東栄町につながる国道151号は、急坂が立ちはだかる、その名は池場坂。当時、水窪ダム奥への釣りでは、この坂を休むことなく立ちこぎでペダルを踏み続け、登り切った後は達成感と疲労感とともに、自動車と同じスピードで駆け抜けることができた。
話は変わり、その釣行記の前の事だった。
場所は、旧赤羽根町の通称ロングビーチの表浜街道に接続する少し手前の道路での出来事。
連れと先頭を代わるがわる交代しながら、目的地である伊良湖灯台へ向かっていた。
ビニールハウスが連続したあるセクションで自分が先頭を引っ張る形で、足には痙攣一歩手前の状況、快調に飛ばしていた。
どうも後ろの気配がいままでとは異なり、路面とタイヤとの摩擦からくる音が、今までとは違うと感じていた。自分の5段変速のハンドルはセミドロップという形で、バックミラーもつけていなかった。
私は仲間がすぐ後ろに必死でをついていると勝手に思い込み、ここで一気に離してやろうと、ペダルの足を置く位置をつま先側に変え、スパートするかのようにこぎ続けた。
道が少しカーブし、このままペースをあげて後続を放していくと、表浜街道に出てしまい、単なる暴走となってしまうと思い、ニュートラルに減速し自転車をすみに止めた。
息を弾ませながら後ろを振り向くと、なんと、見知らぬ大人が、黒いピチッとしたスパッツのような格好で、ヘルメットをかぶり、止まっていた。その足元には、黒いクライミングシューズのような靴で、競輪競技で使うようなピストにブレーキを装着したものにまたがっていた。
「えっ?」思わず声を上げると、「君、なかなか早いね。競輪やらないか?どこの・・・」というような会話をし、結局、後続の仲間が到着するまでの間、その男性に名前、住所、電話番号をメモ書きしていた。今の世の中では考えられないというか、私自身が、あまりに無頓着で、自身の個人情報を伝えてしまったことが、サイクリングを終えてからも後悔し続けていた。もし、大きな事件にでもなったら、自分は、親は、兄弟は、どうなるんだろうかと。
夏休みが終わった秋口の日曜日、見知らぬ男性二人が、菓子折りをもって自宅に来た。玄関では母親が最初に対応し、途中から私も加わった。来訪者のうちの一人は、あの伊良湖岬へのサイクリング途中に話を交わした男性だとすぐわかった。
「息子さんに、ぜひ競輪選手になっていただきたいと」というような内容の言葉を母親に伝え菓子折りを渡そうとしていた。母親は、息子の将来を暗中模索していたのだろうか、突然の申し出に困惑しながらも、断り続け菓子折りを受け取ろうとせず、私も、親への裏切りとなるのではないかと忖度し、高校へ進学してから考えるも、そのとき競輪への気持ちとなるかはわからないと答えた。
結局、気持ちが変わればとのべられ、菓子折りも置いて行かれた。
時は過ぎ、高校では、陸上競技の短距離選手としてインターハイ出場はかなわなかったが、東海大会の決勝まで進出ができ、残念ではあったが自分なりに達成感はあった。そのときの愛読雑誌は、月間陸上マガジンであった。
国内様々な競技大会での記録が掲載されており、自分のタイムが国内何傑かなどということも見て取ることができ、高揚感をもってながめていた。
ある時、インターハイ決勝で、福岡県八女高校のよんけい(4×100メートルリレー)競技の選手の中に中野浩一という名前を見つけた。
さらに時は過ぎ、自分は、地元の体育大学へ。教員を目指し陸上競技をすこし取り組んでいた。結果、大学卒業後、学校で保健体育の講師などをさせてもらいながら教員採用試験に挑むこと3度。見事に失敗。そのうち一度は一次試験を突破し、二次試験の面接で不合格となる失態。本音を告げることができた面接での失敗に、すこしさばさばしていた。
自身の就職後、あの陸マガに出ていた中野浩一さんが、競輪選手として世界選手権10連覇という快挙を成し遂げるというニュースを、衝撃をもってながめていた。
そうだったんだ。
ちゅうぼうだった、あのときの、わけもわからないまま、対応してしまった「忖度」
を思い出していた。
「岐路」という名の、「忖度」をしたことが、紆余曲折し、もがいて、今があると考えるのは、どう受けいれればいいのか。(備忘録)
お邪魔します。
様々なご経験、興味深く拝読いたしました。
中でも教員採用試験の面接の話。
実は親戚筋よりの話で仕方なく受け(させられ)た県があり、私自身はその県の教員になる気は全くなかったので(新幹線と在来線特急を乗り継ぎ片道6時間もかかる場所)、面接でやってやりました(^^)v
面接官が「どんな先生になりたいですか?」
なんて質問するから、私はためらわず、、
「そもそも教員たるものは、、、」とか、受験しながら矛盾する話ですが、「社会人の経験もない若輩なのに、先生と呼ばれることに、云々、、、」とか(;^_^A
面接官の引きつった顔が今でも良い思い出です。
おはようございます。
本来、試験は落とすためのものと理解することも承知しております。
少し飛躍しますが、「建前と本音」、「机上論と実際」などの言い方をされるように、そこには相反する事象が、まことしやかに存在することがあるようですが、法令順守を土台とした思考をし、行動を起こす人々が世の中を席捲していれば、また違った世界が開かれていくかもしれませんね。
でも、社会の変革に伴うトレンドだかといって、法令改正があっては困りますよね。
私もよくわかりません。
ありがとうございました。
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