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先人の記録の地名表記がまちまちのため訪れるたびにどこが「中三ツ倉」なのか確信がもてないままでした。
丁寧に探してみると山本明正様の解説に辿り着き、今更ながらですがようやく理解できました。
私としては「西中国山地」の桑原先生(私が学生時代の化学の先生)の解説、
地元由来の名称を残しておられた姿勢に感銘を受けています。
内黒峠のルートを歩くと納得できます。
【Akimasa Net】様、 ありがとうございます、引用させて頂きます
ひろしま百山(私の踏み跡)
https://hyakuzan.akimasa21.net/jipposan/
↓
『内黒峠縦走路の地名表記について
内黒峠縦走路は、内黒峠〜彦八の頭〜丸子頭を越え、さらに、前三ツ倉(1312m)から中三ツ倉、奥三ツ倉、そして論所を越えて十方山山頂に達する。前三ツ倉は、藤十郎〜那須集落コースへの分岐となっている。
前三ツ倉、中三ツ倉、奥三ツ倉の位置は、後述のように、「西中国山地」、「ひろしま百山」あるいはその他資料によってまちまちであり、どの集落の呼称を採用するかによって、同一資料中においてすら矛盾点を含む場合がある。
当Webにおける表記では、前三ツ倉1312m(2006年現在の那須登山道分岐点)、奥三ツ倉1320m台(最高点に岩塊あり)とする。そして、中三ツ倉はあえて表記しない。(注:2006年6月以前の当Web山行記の内容はまだ訂正していない)
「ひろしま百山」P.023の記述
(内黒峠からの稜線縦走コースでは、丸子頭を過ぎ)ブナの倒木を越えて潅木帯の登りとなり、高い杉の木がある前三ツ倉、岩のある中三ツ倉、ブナ林のある奥三ツ倉へと続く。
「西中国山地」(桑原良敏著)参考概略図”十方山と細見谷”P.101
三ツ倉(前、中、奥)の位置を、那須集落における呼称によって、前三ツ倉(丸子頭1236.3m)、中三ツ倉1312m、奥三ツ倉1320m台としている。』
※ハイクを始めたころいつも参考にさせて頂いた「あの山この山」様の地図
長年の疑問が解けて良かったですね!
確か私の地域にも呼び名が異なる山があったような。
そして解けたような。
忘れちゃうから山先生に叱られる(笑)
すっきりしました。
呼び名は一緒ですが標識がないので目印をつけようかと思ったのです。
ヤマレコ地図と古い地図やその他HPの記録もまちまちなので💧
それぞれのお考えがあることが分かったので
自分的な印はやめとこう、と思いました😸
すっきりですね
私が知っている京都の山
天ケ岳
ふもとの静原では「アマガダケ」、百井では「テンガダケ」
私は アマガタケ 派です
千頭岳
センズダケが本来の呼び名のようですが言いにくいからか セントウダケ と呼ぶ人が多いそうです 多数決で名前が変わることもあり得ますね
眠れないほど悩んではいませんが
歩くたびに、ヤマレコ地図と実際の地点がもやもやしていました。
アマガタケ、の方が優しい感じがして私も好きですね。
多数決はちょっと悲しいかも。
私でさえ千頭観音さんはセンズと読むので🙄
こちらでも違う呼称のお山があります。
臥龍山と苅尾山
かりお、は古くからの地元の呼び方なので
私はもっぱらこちらで呼ぶことにしています。
スッキリしてよかったですね
女房と歩く時は目新しい場所に二人だけに分かる名前をよくつけています。
交代交代につけまくってお互いのセンスを探り合うのがまた面白い⁽笑)
大抵私の方が劣勢に陥ります
お山で二人だけに分かる名前だなんて!
それはそれはロマンティック
ご夫婦に乾杯、完敗😸
チャボの名前は夫よりかはセンスの良いわたくしが命名しますが🐤
「中三ツ倉」論議に参加っ(興味しんしん 笑)
那須から登ってみて感じましたが、植林帯は石垣の上に築かれ、昔は集落とか田畑だったのでしょうね🤔
ここからYoshio説(笑) ⇒ ピークには感じられない「中」はズバリ地区名👍
タタラ製鉄の燃料のため、十方山テッペン周辺は伐採され、もしかしたら道後山みたいに放牧地になってたかも🐮
問題は「論所」の湧き水です🤔
農民視点で見ると、あんな高所の「水」は「命」💧
「我田引水」の水利権を争ってたのではないでしょうか❓
地形図でも分かる様に、十方山とか道後山は高所に水源がある共通点があります。。
我が地元近くの八本松(深堂山)にも「千度の掛け外し」という幅30cmくらいの山水を巡って水当番したり、時には争いが起きてたみたいです💢
「奥」は何日何時から何時まで、「中」は〜〜〜「前」は〜〜〜厳しい掟があったかも知れません👺
昔の人の感覚は現代人には分からないでしょうね🤔
山を巡ってると、アンビリーバボーな遺跡によく出遭います😳
忘れ去られそうになってる先人の労苦💦を感じられるのも、山の醍醐味かも知れません。。🙏
追:藤十郎さんも、そんな先人の一人なのかな〜🤔
尾根ピークで、中、が、さほど感じられないので
私は桑原先生の集落の呼称の解釈が合うと思うんです。
倉=大岩、となると「丸子頭1236.3」=前三ツ倉!
大岩がある3位のピークなので自然だと思います。
はい、論所(湧き水)は水利権の関わった場所で間違いないでしょう。
ただ山にお米を作れるところはなく放牧もないと思われます・・
豪雪の中で、狩猟、林業、炭焼き、たたらの地域です。
「藤十郎」の件は記述が見つからなくて😞
熊にやられたとか、雪に埋もれたとか、悲しい伝承がないことを願います。
中三ツ倉の位置も興味ありましたが、この日山頂でお会いしてたようです。ビックリ👀
12:30頃に瀬戸の滝から山頂にたどり着き、東西南北の写真を撮って、水越新道側に腰を降ろして1時間ほど昼食を摂りながらまったりしてました。
寝坊してなければ、ホビットさんたちと同じ往路から内黒峠経由で那須周回してました。
わかっていればご挨拶できたのに、残念(>_<)
えー😮
写真撮ってくださってないですよね、ミカン下さった方でもないですよね。
12時から13時ごろまでのんびりしていたのですが(センターで)きっと背中側におられたのね。
コーヒーや羊羹よばれてはしゃいでいたのかな😅
盛り上がっただろう大チャンス逃してすごくすごく残念です。
それにしても青空でしたね♪
写真もミカンもちがいますよ😅
もしかして、ソロのおじいさんに色々お裾分けしてらした方たちかな?
私は山頂に背中を向けてひっそりと一人で座ってました😆
またどこかで出会う偶然に期待してます✌️
ソロおじさんにバウムクーヘンおすそ分けしたのは私です。
みかんもらったので。
スモークさんも何かくだされば・・😆
私たち以外に近くにソロ男性しかいらっしゃらなかったので栗ようかんをおススメしたらお礼にみかんを頂きました。
ついに修行されて気を消せるようになられたんですね〜😲 さすが亀仙人。
お元気そうで😁
ソロの男性は、確か青いシャツの方でしょ??
私はオレンジの半袖シャツだったような🤔
まぁ、気を消してましたからわからなかったでしょうが、私にも何かくれないかなぁと待ってましたよ🤣
((ノ∀`)・゚・。 アヒャヒャヒャヒャ
久しぶりにお腹がよじれるくらいに大笑い!
オレンジ!😮 天狗の隠れみのを被っていらっしゃたんですね〜、きっと。😀
地名の表記が分かってスッキリ♪
読み方ってホント難しいと思う。
山なら尚更カモね^^
未だ、神戸デモ読めない地域名があるもん。
読み方も難しいのありますが
地図を作ってルート見て地点ポイント入れられるのって
ほんと大変だと思います。
古い文献と現在の地図では誤差もあるので
実際に何度も何度も歩かれたんだなあ(これが大変😅)と敬服しております。
横レスごめんなさいね。
中三ツ倉、奥深いです。倉が岩ってことも初めて知りました。ほびっとさんから学ぶ事がいっぱい! これからもよろしくお願いします。(^.^)(-.-)(__)
コース上でテープやらマジックのご用意、恐れ入りました😆
ヤマレコ地図で表示される「中三ツ倉」地点は
小さな岩があるものの由来も感じられない印象薄い場所でしたね。
「前三ツ倉」の登山標識のところが古い地図では「中三ツ倉」です。
これなら納得です。
10月8日の山行記録の「かりがね寒し」のことですが、
名月赤城山に「渡る雁がね乱れて啼いて 明日はいずこの塒(ねぐら)やら・・・」という歌詞がありますが、花にも「かりがね」があったのですね。
いずれにしろ、山へ登る時、ただ登るのではなく、山名の由来やら花、鳥のことを知るのは楽しいですね。
残念ながらここには鳥の雁はやってきませんが
晩秋にはオシドリの群れがやって来るはずなので楽しみにしています。
鳥の渡りの時期に花の名も合わせて昔の人は洒落ていますね。
地名も花名も、そういうことか、と頷けます。
刈られたり潰されたりしてもちゃんと咲いていました。
よくある里の花、愛でる人も少ない道端の花です。
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