開祖行者角行から始まり五代目は月心と月行に分かれた。この宮は月心を引き継いだ村上清光によって再興,栄華を極めた。一方月行は身禄に六世を譲り清光と対象的な生涯で終わるも、、、。
庶民のための富士講であったが武士もこの魅力に取りつかれて信者になったという。新田次郎著「富士に死す」は食行身禄について書かれ、同著「近藤富士」は武士が信者となって富士塚を作った顛末が書かれていていずれも読者を引きつけて止まない。
幕府は富士講を禁じた・・。それは何故か。
私が住んでいる近くにも富士塚の名残りがあり晴れた日昇のころに行くと丹沢山塊の向こうに富嶽の雄姿をくっきりと見ることが出来る。
麗嶺
下記は北口本宮冨士浅間神社のHPです。
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